児童養護施設で働き始めたころ、
ふと立ち寄ったBOOKOFFで手に取ったマザーテレサの本。
こんな人になりたかったけれど、私には無理みたいだな・・・と絶望の中にいたときだった。
立ち読みでパラパラめくった時は特に感動を覚えなかったけれど、
なぜか後から心に残って、その後ずっと私を支えてくれた言葉がある。
『私が、愛されるよりも愛することを望みますように。
理解されるよりも、理解することを望みますように。』
たぶん、書いてあった言葉は少し違ったと思うけれど、
ずっと胸の中で私を励ましてくれた言葉。
子どもや同僚と分かり合えず悲しい時。
イライラしてしまったとき。
ふとこの言葉を思い出した。
イライラしたのは、悲しいのは、誰かに自分をわかってほしいから。
自分の事を肯定して、優しくしてほしくて、好きでいてほしいから。
私をわかってもらうことより、私が相手をわかろうとしよう。
嫌われても、意地悪されても、私は親切でいよう。
そんな風に、我に返らせてくれれた。
そう思えたら、悲しみはやわらいだし、イライラも落ち着いた。
その本を手元に置こうと思って、
後からBOOKOFFへ買いに行ったけれど、もうなくなっていた。
なんという本だっただろう。
あの言葉は、何か長い文章の一部だったのだけれど、全文は何と書いてあったのだろう。
ずっと気になっていたけれど、
ふと思い立ち、ネットで調べたらそれらしい文を見つけることができた。
聖フランシスコの祈りというのだそうだ。
もとは外国語なのでいろんな訳があって、本の文章がこれだったかはわからないけれど。
覚書として、記しておこうと思う。
これをお祈りの時にいうのだろうか。それすらもわからないけれど、今読んでもとても心にささる。
・・・・・・・
神よ
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみあるところに愛を
争いのあるところにゆるしを
別れているところはひとつに
疑いのあるところに信仰を
誤りのあるところに真理を
絶望のあるところに希望を
闇に光を
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。
慰められるより慰めることを、
理解されるより理解することを、
愛されるより愛することを、わたしが求めますように。
わたしたちは、
与えるから与えられ、
ゆるすからゆるされ、
自分を捨てて死に、
永遠のいのちをいただくのですから。