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児童養護施設で働いて思うこと

元会社員で、転職し、児童養護施設と一時保護施設で働いていました。
そこで考えたこと、思ったこと、願ったこと、綴っています。

 

親と直接話すことはあまりなかったけれど、

児童相談所の人との話で、親の様子を聞くときに、この言葉はよく聞いた。

 

 

子どもが怒らせるようなことをするからいけないんです。

子どもが○○するから怒るんです。

子どもが悪い。

子どもが変わったらそんな事しない。

 

 

最初の頃、そう思ってしまう親の気持ちもわからなくないけれど、

賛成はできない。

何か違うと思う。でも、うまく説明できない。

もやもやと、思っていた。

 

働いているうちに、だんだんわかってきた。

特に、境界性パーソナリティー障害の本を読む中で、

言葉で形を持つことができた。

 

自分と他人に、境界線がない、と言うらしい。

あの人がこうだから、私はこうなってしまった。

あの人がこうしたから、こうしなかったから、私はこうなった。

自分がこうなのは、あの人がああしたから、ああ言ったから。

他人の行動と自分をつなげすぎていて。

自分の状態は、その人の行動で決まってしまう。(と思っている。)

だから、自分の苦しさは、全部相手のせい。

 

子どもの言動と、自分が怒る事は、別のこと、と気づかないのだろう。

自分が「怒った」のは、「子どもが怒らせた」んじゃない。

子どもが何をしたって、怒らなくてもいい。

 

自分と他人(子ども)が別の人間だという感覚がなくなっているのかもしれない。

 

自分と他人の境界線がわからなくなってしまう感覚って・・・。

それは、たぶん、自分の手が勝手な動きをするとか、足が自分の意思と違うことするとか、そんな感じかなと想像する。自分の体なのに、なんでこうしないの!こうならないの!私はこうしたいのに!こうしてほしいのに!そんな感覚で怒っている。

自分と相手は、いつも同じ感覚でいなければいけないのに。

私がこうしたい時は、こう動いてくれなきゃだめじゃないか。

勝手なことをするから、怒られたんだよ。

 

支配とコントロール。

 

私の中にも少なからずあるし、誰の中にも、きっとある要素。

どうやって抜け出すんだろうな・・・。