貧困で保護された子達 | 児童養護施設で働いて思うこと

児童養護施設で働いて思うこと

元会社員で、転職し、児童養護施設と一時保護施設で働いていました。
そこで考えたこと、思ったこと、願ったこと、綴っています。

一時保護所には、貧困が理由で保護された子が時々きた。

私が出会った貧困家庭の子ども達について、書いてみたい。

ただ、貧困家庭といっても、私が出会った、保護されてきた子ども達の家庭の話であって、貧困家庭みんながそうではないことは断っておく。

 

また、どこからが「貧困」か、基準が難しいが、

今回は児相からの書類に、保護理由として「貧困」が書かれていた子ども達の事について。

 

ちなみに、貧困は「状態」だから、ずっと続いていたものなのに、

ある日、子供が保護されることになった原因は何なのか。

①電気ガス水道のどれかが止まった時。特にお風呂や洗濯ができなくなったら、学校へ行くのに支障が出る。私が出会った子たちは、学校を休んだり恥をかいたりする前に、すぐに児相に連絡がついて保護されたと言っていた。どうつながったのかわからないが、よかったと思う。

②きっかけは貧困ではないパターン。虐待とか、夫婦喧嘩で警察が介入とか、別の理由でその場で子供が保護になったけど、児相が関わってみたら、貧困問題もあってそれが十分保護理由になるという場合。電気が止まっているとか。

 

この仕事をするまで、「貧困」というと、生活に苦しんでいるイメージだった。

家が古い、着る物も古くて少ない。食べ物も質素。

切り詰めて、切り詰めて、ギリギリの生活していると思っていた。

勝手だけど、漫画のような、そんな「貧乏」を絵にかいたイメージを持っていた。

そういう家庭もあると思うけれど。

私の所に保護されてくる子ども達やその家庭は、少し違っていた。

 

保護されてきた子達は、見た目には全く貧困を感じさせなかった。

服もきれいだったし、

年ごろの女の子は、髪もつやつや。縮毛矯正したみたいなサラサラストレート。カラーコンタクトレンズも好きな傾向が強い。

ボロボロの服で、何日も洗濯してない様子で、、、なんてことは、全くなかった。

 

ちなみに、親の精神不調・精神不安定、ネグレクトでくる子達の方が、目に見える。

毛玉だらけで、着古されて、サイズが小さい服。汚れ。におい。

全員ではないけれど。

 

それに比べると、貧困の子に、そういうことはほとんどなかった。

 

生活について、あまりこちらからも聞けなかったので、

会話の中で、子どもが話してくれたことを聞く限りだが、

違和感を覚えることが度々あった。

それは、経済感覚。

 

例えば、

中学生の女の子が「お金ないから、友達と遊びに行っても、スタバでおしゃべりするだけだよ」とか。

高校生が、友達の誕生日にシャネルの口紅をプレゼントするとか。

ナイキ、ネットフリックス、映画館、アイドルのライブ、食べ放題、脱毛エステ・・・

華やかなワードが次々でてくる。

ちなみにここは六本木とか白金とかタワーマンション住民の町ではない。

田んぼと畑が一面に広がるのどかで小さな地方のいなか町。

 

私の経済感覚がおかしいのだろうか、と、混乱してしまう。

今は色々値上がりしているから、遅れているのかもしれない。

ファミレスのドリンクバーとか、マクドナルドとか、もう安くないのだろうか。

高校生のプレゼントって、今はみんなそうなのだろうか。

経済感覚は、本当に人それぞれなんだと思い知らされた。

 

例えば、お金がないとき。

私だったら安いお肉と野菜で家で料理し、外食を控えると思う。

でも、彼らの家では、毎日安い菓子パンで、たまに焼肉食べ放題へ行って肉を食べる。

高校の昼食代がないから昼ごはんは食べずに水で我慢して、その代わりにナイキの最新モデルシューズを買う。

 

とても質がいいもの、見栄えがいいものを求めていて、それを我慢しない。

だから、生活は華やかで、楽しいことが好きで、楽しんでいる。

そして、ガスや電気がとめられてしまう・・・。

 

 

そういった価値観や生き方も否定はしないけれど、せめて、ガスや電気は、、、と思う。

ちょっと、いや・・・かなり極端で、バランスが悪いと思う。

お金の使い方は人それぞれ自由でいいと思うけれど…。

 

電気代のためにいくら残しておかなければという見通しの持てなさや、

「ほしい、やりたい」という衝動性、その衝動への抑制のきかなさ、

そういうものは、少し共通した傾向がある気がした。

 

生活保護とか、そういう支援制度を使っても、

きっと同じようにブランド物を優先して購入するんだろう。

 

本当にこれはただの予想でしかないが、

金銭的に支援しても、きっと彼らや彼らの家庭は、必要な物より、欲しい物を優先してしまうだろう。

たぶん、彼らにとっては「欲しい物」が「必要な物」であり、節約しているつもりなのだろう。

 

できないんだろう、と、思う。そうやって、寄り添う気持ちと、同時に。

生活を工夫すれば、もう少しなんとかなる、生活はできる、と、思ってしまう…

否定したくない自分と、否定してしまう自分。葛藤する。 

人生も、お金の使い方も、すべての人が自由でありたいと思うと同時に、

社会保障や福祉、それが税金で行われている事についても考えてしまう。

保護の速さから、「ちゃっかりしている」とも見えてしまって…。

何とも言えない気持ちになる。

 

もともと収入が少なく安定していない家庭が多いことは事実で、やりくりの問題だと思えば、やはりそれができないという点において能力の問題や特性が絡んでくるのだろう。

本人たちはわざと変なお金の使い方をしているわけではなく、困っているのだから…。

 

 

世の中には、本当に経済的に困っていても、支援につながらない家庭も多いのではないかと思う。

私の所に来た子達が、なぜか偏っていたのだと思う。

本当は、そんな困っている子ども達にも、保護に至ってほしいと願っているのだけれど…