児童養護施設は、その子の人生を一緒に生きている。
だから、その子の子ども時代を一緒に過ごした、隣りで過ごした大人として、
ちゃんとした思い出になってあげたいと私は思っていた。
もちろん忘れてもいいんだけれど、その子がちゃんとそこで生きていたということ。
誰に囲まれて、どんな生活をして、どんな場所で育ったのか。
大人になって、足元がふらついた時、自分のルーツがわかるだけで、力がわくことがあると思うんだ。
写真にも一緒に写るし、手紙も書く。
大人になっても残るものに、職員である自分の存在を隠さず残す。
大好きだよ、って言葉も書いた。
残してしまうのは、いい思い出ばかりじゃなかっただろうけれど。
そう思うと申し訳ない気持ちだ。
もらったお返事は、今も大切にとってある。
手紙をくれるのは、小学生低学年の子どもが多かったから、
言葉が2,3つだけだったりする。
その中の一つの手紙。
私が、中学生に暴言を吐かれているのを心配して、部屋で書いて走って届けてくれた手紙。
『何があっても、しんじゃだめ!!』
かわいくてかわいくて、心がほかほかした。
そして、その子の過去から、死だったり、別れがどれほど怖いのか、身近なものなのかを思うと胸が締め付けられた。
心配してくれた気持ち、うれしかったな。
別の子から。
『ありがとう。たまに意地悪しちゃってごめんね。』
自覚してたんだ、と笑ってしまった。
素直でかわいい。
意地悪したい気持ちの時に、のびのび意地悪できる場所であったならよかった。
いつもいい子でいようとする場所にはなりたくなかった。
きっと今頃は素敵なお姉さん、お兄さんになっているんだろうな。