母親と子供達で暮らしていて。
母は女手一つで育てていて、
気力体力経済力、全部ギリギリの生活。
子供に手がまわらなくて、心に余裕がなくて。
荒々しくなってしまって。
子供が保護される。
そんな家庭も、何件か、やはり数はあった。
子供はいろんなタイプがいたけれど、
頑張れるお母さんの子だけあって、ちゃんとした子も多かった。
反対に特性が強い子もいて、お母さんはだからパンクしてしまったのだろうなと思うこともあった。
たいてい施設入所ではなく、家に帰っていくので、保護している間だけでも、お母さんに休んでもらい、気力体力だけでも元気になってほしいと思っていた。
その中で、心に残っているある女の子のお話。
小学校高学年の女の子。妹と二人で保護されてきた。
すごく優しくて、思いやりがあって、気が利く子。
静かでおとなしいけれど、おそらくクラスでも友達が多いタイプだろうなと察しがついた。
職員にも優しい言葉をかけてくれるほど、精神的に大人だった。小学生なのに。
そんな優しい子だから、お母さんの苦労に気が付いて、エネルギーを使ってしまうようだった。
お母さんの愚痴も聞いてあげるし、悪態も笑いに変えてあげる。
お母さんを支えてあげている状態。
逆に言うと、お母さんに甘えられている状態。
子どもにとって、母親との関係がうまくいくように気を遣って過ごしてしていたら、いつの間にかそんなバランスになっていただけで、
自分にとっての自然な状態、リラックスして自分でいられる状態ではなかった。
とても無理をして、頑張っていた状態だった。
お母さんに寄りかかられて、嫌なことも嫌と言えず、苦しんでいた。
お母さんの愚痴を聞くと疲れる。
お母さんは親切でしてるつもりだけど、自分は望んでない事もある。でも言うと怒られるから、喜ばなくちゃいけない。
本当は悲しい。本当は嫌だ。
お母さんが好きという気持ちと、正直な自分でいられない苦しさ、
そのギャップが色濃く出始めて自分でもどうしていいか戸惑っているようだった。
保護所の中で、普段は明るくても、考えこむと暗い顔をしていた。
家に帰る方向がはっきりしてきて、母から謝罪の手紙などが届いていた。
母が変わってくれるなら、とてもうれしい。会いたい。
でも、きっと変わらない。帰ってもまた同じことの繰り返し。
そんな思いを行き来していた。
ある夜、「おやすみ」と一度は部屋に入ったけど、
12時ごろ「眠れない」と宿直室にきた。
ガチガチに顔がこわばっていた。
言葉が出てこないようだったので、「お茶でも飲もう」と麦茶を注ぐ。
コップを受け取ると、ぽつりぽつりと話してくれた。
話がずれるけれど。
こういうとき、「お茶」って、すごいなあって思う。
お茶飲もう、と話しこんだこと、何度あっただろう。
子どもだから、麦茶だけれど。
飲んだり食べたりするって、心がほぐれるんだなあとよく思っていた。
母への不安を、たくさん話してくれた。
母が好きな気持ちも、でも、信用できない気持ちも。
これまでため込んだ気持ちが、夜になって大きくなってしまったようで、
その子は大泣きに泣いた。
でも、私は何もできない。
家に帰っても大丈夫、なんて無責任なことは言えない。
家に帰らなくていいよ、と安易に言えるわけでもない。
どうしたら、その子が幸せになれるのか・・・。
結局私は、何にもできなくて、ただの傍観者で、無力だった。
ただただ話を聞いた。
泣きたいだけ泣いてもらう。
言いたいだけ不安を吐き出すのに付き合う。
ずっとそばで肩を抱いて、背中をさする。
できるのは、それくらいだった。
そうやって落ち着いたら、少し明るい話をして、おやすみをした。
現実は何にも変わっていないけど。
たくさん泣くと、頭が空っぽになって、少し軽くなる。
モヤモヤして巨大化した考えから、一歩離れられる。
それでいいんだよ。がんばったね。
ここには、そばで気にかけている人間がいるよ。
また泣いてもいいよ。
いつだって味方だよ。
そんな思いを伝えて。
部屋まで送って、布団をかける。
「何かあったら、またおいで。いつでも来ていいよ」
そういって、もう一度来た子は一人もいない。
その子は結局、翌日家に帰っていった。
そうやって、直前まで不安で過ごしながら家に帰っていく子たち。
もう一度保護されて来ないということだけが、きっと大丈夫なんだと信じる根拠。
きっと、大丈夫。
みんなそれぞれの人生を生きていっているんだろう。
結局は子供も親も、一人で頑張るしかない。
生きるって、つらくて苦しいこともあるから、
ただ少し、一時保護所に寄り道して、人生の中で休憩したんだと思っている。
どんな家族も、なにかしら抱えていると思うから・・・。
それでも私は、生きるって、楽しくて、おもしろいって信じている。
あの子にも、そう思える日が来るとも信じている。