母親と子供達で暮らしていて。
母は女手一つで育てていて、
気力体力経済力、全部ギリギリの生活。
子供に手がまわらなくて、心に余裕がなくて。
荒々しくなってしまって。
子供が保護される。
そんな家庭は多くはないけれど、何件か、やはり数はあった。
子供はいろんなタイプがいたけれど、
頑張れるお母さんの子だけあって、ちゃんとした子も多かった。
特性が強いと、お母さんはだからパンクしてしまったのだろうなと思うこともあった。
その中で、心に残っているある女の子のお話。
小学校高学年の女の子。妹と二人で保護されてきた。
すごく優しくて、思いやりがあって、好かれる子。
おとなしいけれど、おそらくクラスでも友達が多いタイプだろうなと察しがついた。
職員にも優しい言葉をかけてくれるほど、精神的に大人だった。小学生なのに。
そんな優しい子だから、お母さんの苦労をに気が付いて、エネルギーを使ってしまうようだった。
お母さんの愚痴も聞いてあげるし、悪態も笑いに変えてあげる。
お母さんを支えてあげている。たぶん本人もそう思っていたと思う。
実際はお母さんに寄りかかられて、嫌なことも嫌と言えず、苦しんでいた。
お母さんの愚痴を聞くと疲れる。
お母さんは親切でしてるつもりだけど、自分は望んでない事もある。でも言うと怒られる。
本当は悲しい。本当は嫌だ。
お母さんが好きという気持ちと、思春期にさしかかり、自分の気持ちがはっきりしてきて、そのギャップが色濃く出始めて自分でもどうしていいか戸惑っているようだった。
普段は明るくても、考えこむと暗い顔をしていた。
家に帰る方向がはっきりしてきて、母から謝罪の手紙などが届いていた。
母が変わってくれるなら、とてもうれしい。会いたい。
でも、きっと変わらない。帰ってもまた同じことの繰り返し。
そんな思いを行き来していた。
ある夜、「おやすみ」と一度は部屋に入ったけど、
12時ごろ「眠れない」と宿直室きた。顔がこわばっていた。
言葉が出てこないようだったので、「お茶でも飲もう」と麦茶を注ぐ。
コップを受け取ると、ぽつりぽつりと話してくれた。
話がずれるけれど。
こういうとき、「お茶」って、すごいなあって思う。
お茶のもう、と話しこんだこと、何度あっただろう。
子どもだから、麦茶だけれど。
飲んだり食べたりするって、心がほぐれるんだなあとよく思っていた。
そういった心の話をするときは、向かい合わない。
なるべく並んで座ったり、90度。
それは緊張をほぐすためでもあるし、
背中をさするときに、腕が疲れないようにするためでもある。
背中に手をあてるだけで、せめて、安心はあげられるんじゃないかと願っていた。
何もできない。
家に帰っても大丈夫とか、無責任なことは言えない。
家に帰らなくていいよ、と安易に言えるわけでもない。
その子の幸せがどこにあるのか、わからない。
結局私は、何にもできなくて、ただの傍観者で、無力だった。
だから、ただただ話を聞く。
お母さんの悪口を、子どもが言っても一緒になって言わない。
共感してほしがっているときは、悪口じゃなくて共感を伝える。
泣いてるときに、こちらが何か言っても、たぶん残らない。
泣きたいだけ泣かせてあげる。
言いたいだけ不安を吐き出すのに付き合う。
ずっとそばで背中をさすってる。
そうやって落ち着いたら、少し明るい話をして、おやすみする。
現実は何にも変わっていないけど。
たくさん泣くと、頭が空っぽになって、少し軽くなる。
モヤモヤして巨大化した考えから、一歩離れられる。
それでいいんだよ。がんばったね。
ここには、そばで気にかけている人間がいるよ。
また泣いてもいいよ。
いつだって味方になるよ。
そんな思いが伝わればうれしい。
それだけのことで、人間て頑張れると思うんだ。
結局は子供も親も、一人で頑張るしかない。
涙の後に笑顔がみえたら、部屋まで送って、布団をかけてあげる。
「何かあったら、またおいで。いつでも来ていいよ」
そういって、もう一度来た子は一人もいない。
その子は結局、家に帰っていった。
そうやって、直前まで不安で過ごしながら家に帰っていく子たち。
もう一度保護されて来ないということだけが、きっと大丈夫なんだと信じる根拠。
きっと、大丈夫。
みんなそれぞれの人生を生きていっている。
生きるって、つらくて苦しいこともあるけれど、楽しくておもしろくて、美しい。
ただ少し、一時保護所で休憩しただけのこと。
みんな一生懸命生きている。
それがただただ愛しいなって思うんだ。