I Am That Am. 
おはようございます。YOSHIKAです。
今週はなんかとっても寒くなる予定のようで、寒いのが苦手な私はちょっと心配なんですが皆様はいかがお過ごしですか?
さてさて今回は月読命から受け取りましたメッセージを考えてみようと思います。
今回の旅で私が神様から受け取っているメッセージって基本私自身に対するアドバイス的なものがメインだってことはお伝えしました。それ以外で私が全体的な流れとして受け取っているな~と感じているのがどういうエネルギーがそこにあるか、ってことや、やはり三位一体という考えの基、エネルギーの統合、的な説明がされてるんですね。
月読命からのメッセージにもそれが感じられるものとなりました。
最初はシェアするべきかどうか。。。ってことも考えたりもしたんですけど倭姫命からのメッセージを踏まえ、やはりシェアするべきのようなので、ここにお伝えさせていただきますね。
月読命といえば、三貴子(三貴神)の一柱、天照大神の次に産まれ、須佐之男命のお兄さんにあたるとされる神様です。天照大神と須佐之男命に比べると記紀の中にもほとんど登場しませんし、神社の数も圧倒的に少ないですよね。そんな月読命ですが、伊勢神宮では内宮、外宮と両方に大きく祀られています。
これは天照大神を太陽と考えた時、月の存在である月読命が伊勢神宮に祀られるのは当然といえば当然のような気もしないではないですよね。太陽を陽と考えた時、月は陰とされ対極的な存在としても扱われ、それが理由かどうかはわかりませんが須佐之男命と同一神と見られたりすることもありますよね。でも三貴子(三貴神)の一柱としての存在として、私の中では“月”自体が持つ中立的でひかえめなエネルギーがずっとありまして、それに対してずっと好感を感じていた、ていうのがあります。
この間ご紹介しました
あめうるし くにうるしつつ ひかげなす つきたるかみの すめらおおかみ
この歌にもそのままあらわれているのではないでしょうか。

今回の旅で松尾大社にお参りできた時、摂社である月読神社へもお参りしたわけですが、そこですごく歓迎とご縁を感じたんですね。(こちら:神様からの歓迎サイン 4 いろいろあんねん | My Holy Trinity by YOSHIKA)で、伊勢神宮でも今回参拝できる時間があれば行こう、ぐらいに思ってたんですが、位置的に自然に足を運ぶようになってるようにやはり感じたんです。
確かに月読命は12年前に最初に伊勢神宮にお参りし、月読命の存在を知ってから何故か心惹かれるものがありご縁は感じていました。
実は以前、もう何年も前になりますが、不思議な体験をしたこともありました。ある時、満月の夜に「きれいだな~」って自分ちの部屋からその満月をしばらく眺めてたことがあったんです。そしたらその満月のすぐ横に月と同じくらいの大きな大きな雲が現れて、それがみるみるうちに大きな大きな笑ってるお爺さんのような顔になったんです。めちゃめちゃびっくりしたわけですが、そしたら“月読命”って頭に入ってきまして、「そうなんや。。。」とその顔が消えるまでしばらく眺めてた。。。ていう経験があります。
怖くはなかったですけどね。何かメッセージをいただいたわけでもなく、ただその顔はやさしそうに笑ってただけなんんですけど、すごく印象に残っていてご縁自体は感じていたんです。
そして今回伊勢神宮にお参りした際、やはりご縁を感じるから、何かメッセージをいただけるかな~なんて思ってて、今回天照大神のエネルギーのつながりで伊勢神宮に行った私としては、このご縁ってどういう意味があるのかな。。。って思ってたんです。
。。。前置きが長くなりましたが。。。
最初に外宮の月読宮へお参りした際、そんなこんな考えながら参拝してると最初に入ってきた言葉が
“月の巫女のため”
っていう言葉でした。つまりですね。。。私のためじゃないよ、って言われたんです。
でも私と月読命の間にご縁がある、ということが他の人たちのためになる。。。どういうことなの?ってところなんですけど、これがね今回の私の旅でテーマになっている“エネルギーの統合”の部分について、でもあるってことらしいんです。
その後に来たのが、月の巫女(月とご縁があると感じる方々みんなに対してだと思います)は先ほどの歌の意味をしっかり理解する必要がある。。。とのこと。
あめうるし くにうるしつつ ひかげなす つきたるかみの すめらおおかみ
このね、“あめうるし、くにうるしつつ ひかげなす” とありまして、この特に “ひかげなす” の部分への理解。。。が大切になるとのこと。文章の意味的には、
“天(天津神)を潤し、国(国津神)を潤しつつ 自らは日陰となす”
という風にも解釈できると思いますが、これはただ単に立ち位置的な意味ではなく、もっとそれぞれの内面的な部分を表現している、その意味をそれぞれが理解する必要がある。。。ということらしいです。
このメッセージっていうのは受け取る側によって、沢山の解釈があると思うんですよ。私がどうこう思う云々を別にしてね。
神様とか目に見えない高次の存在は私たちの幸せを応援してくれていることはもちろんですが、人間としての願いを叶える云々よりも何より優先していることっていうのが私たちの魂の成長なんですよね。その部分を踏まえながらこのメッセージを受け取っていただくと、この歌の意味から見えてくるものが変わってくる、ってことがあるかもしれません。
私的にはですね、これはある意味あくまでも個人的な視点での反応なんですが、このメッセージを受け取って、ぶっちゃけ「なんで私が。。。」的に感じる部分がないわけではないのです。いろんな意味で。
そしてその視点からの物事についてのみ考えた時は、私がこのメッセージを公開することできちんと伝わることなどあるのだろうか。。。何の変化も気づきも起きないのでは。。。と、そんな気さえするわけです。
でも倭姫命からのメッセージを受け取って、その時のメッセージは個人一人一人の中で起こるエネルギーの統合、調和、を言っているのに対して、月読命のメッセージってもう少し大きい人間関係、社会的な立ち位置なども踏まえたもう少し大きな規模でのエネルギーグループの間でのエネルギーの統合のお話にもなってくるな。。。と感じたわけです。
ちょっと話が大きくなりますが、私自身は、二極化が広がると言われている中、それを最小限に抑えるべきだと思っているんです。
で、二極化が広がらないようにするプロセスのために、ある意味、このメッセージを公開すること、っていうのは大切なのかな。。。とも思ったんですね。
例えば社会的な地位やお金、実績がある人が口で慈悲深い言葉を言うこと、優しい言葉をかけること、理解しているようにふるまうこと、っていうのも可能なわけなんですが、そういう人達が私が何故今このメッセージを公開しているかを本当に理解できるようになってくれば、それはある意味これから先二極化へのエネルギーの移行は極端でなくなり、イコールそれは苦しみ大変な思いをする人が減る、変わりたいを思う人々が変化しやすい。。。という状況が作られやすくなる、ってことなんです。
最近“祈り”が大切、ってよく言われますね。私も同感です。
その中で、祈った時、“天候に変化が表れる”、っていうことにすでに気づいている方も多いのではないかと思います。
私はその天候の変化においても祈る人、祈りのエネルギーによって変わってくる、って思ってるんですが、今日のこの小さな月読命からのメッセージは、たどっていくとそういうことにもつながってくる、って私は感じています。
ヒントは、龍神様って雨を降らすってよく言われていますが、反対に晴れさせたり、風を呼んだり、雲を動かしたり。。。そういった他の現象も起こったりするのはどうしてだと思いますか?
考えてみてくださいね。
メッセージの表面的な部分だけで終わらないでいただきたいな。。。。。というのが私の心からの気持ちです。
まずは外宮の月夜見宮。
このお宮は私の記憶からすっぽり抜けちゃってました。
でもとっても落ち着いてて気持ちのいい空間でした。


りっぱな楠のご神木。
お宮は忘れてたのにこの道は一目見ただけで思い出しましたよ。
月読命が豊受大神に馬に乗って通ったとされる道です。
こちらは内宮の月讀宮。外宮と内宮の間、倭姫宮と比較的近い位置に鎮座しています。
ここは来てみたら思い出しました。以前もお邪魔したな。。。と。
月にご縁のある皆々様も、機会があれば是非お参りくださいね。
もう少し私の旅は続きます。
許します!ありがとう!感謝します!嬉しい!楽しい!大好き!愛してる!よかった〜!幸せ〜!ついてる〜!
そして私は決断する!!

それではまた〜

YOSHIKA