私のひきだし

私のひきだし

これまでの迷いや気付き、人からもらった言葉など、
私の感じたあれこれを少しずつ書いてみます

誰かの笑顔が、誰かの言葉が、時に自分の糧となるように、

私の笑顔が、私の言葉が、時に誰かの糧となると信じて。


「誰か」に、ありがとう。

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人から励まされた言葉の中に、「愛」というものがあるなんて、頭でわかっていても心で理解できていなかった。


だけど、人からの言葉で救われて初めて、「愛」というものを感じた。


素直に人を信じる事の大切さを知った。


そして、人から貰う言葉全てに、「何かしらの意味」があるとわかった。


良い事も、悪い事も、そこから沢山学べる事がある。





今、自分の周りにいる人達は、自分に最も近い人達。


自分が持っている良い部分と同じものを持っている人、

自分が持っている悪い部分と同じものを持っている人。


どちらもいる。


その人達が発する言葉を、どう受け止めるかで、自分自身が大きくも小さくも変化することができる。



遠慮ばかり。

私が主張したら、相手にイヤな奴と思われるんじゃないかという恐怖。

そんな思いに支配され、自分を主張する事が苦手だった。



「○○さんが□□かな、と思って△△した」



なんて、相手を気遣う事が多かった。


それで良い場合もあるんだけど、時折、そこに働く自分の気遣いが全く的外れであるために、相手を怒らせたこともある。



でも、自分の中のもう一人の自分はわかっていた。



気を遣って、なんて良いように言ってるけど、結局は「自分がキズ付きたくないだけ」の自己中心的な思いでしかないじゃん。



全ての行動が自己保身。



もう一人の自分はわかっていた。

それで全部、辻褄が合う。



だけど、心がそれを認めようとしない。

そうして、結局は自分で自分をも苦しめる事が多かった。





「青春」を謳歌するはずだった学生時代。

みんながバカな事を言って笑っているのを聞いていて、本心から面白いと思ったことがなかった。



実にくだらない、と思っていた。



今でこそ大好きなお笑いでさえ、「何が面白いんだ、くだらない」と心底思っていた。



同級生を見る目は、とてつもなく冷めたものだったと思う。

担任の先生に、「学校の中に楽しいものなど一つもない。」と言ってしまい、落胆させてしまった事もあった。


だけど、面白くない事を「面白くない」と素直に言えず、無理して笑っていた事もあった。

周りと同じ輪の中で踊らないと、自分は絶対的に独りになってしまう。

そんな風に恐れて。



親も、この子はどうなるんだろうか、友達はいるんだろうか、と心配していたらしい。

幸い友達はいたし、学校以外に楽しいと思えるものもあった。

勉強だけは、キチンとしておかないと将来困りそうだな、と変に真面目だったので、成績も悪くなかった。



でも、社会に出てから、自分の持っていた世界の狭さを痛感。

実にくだらないと思っていた「自分」こそがくだらない、と気付かされる。



学生時代に、バカな事を言って笑い合えなかった自分を勿体なく感じた。



今思えば、生き急いでいた青春時代。

早く大人になりたかったんだろう。

その方法を知らず、ただ足掻いていただけだけど。



大人ぶってみてたけど、



やっぱり、子供だったんだなぁ。私。