ルーベンス マリー・ド・メディシスー7 17世紀中期北方絵画  ルーブル美術館 | 山 スキー 旅行 巡礼 ルネッサンス絵画 Mountain Ski Travel Pilgrim Renaissance

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台風21号、北海道胆振東部地震により被災されましたすべての皆様にお見舞いを申し上げます。


ルーベンスの描いたマリー・ド・メディシスの一代記の第六回目です。



マリー・ド・メディシスはルイ13世の国王就任後、息子であるルイ13世と対立。


ルイ13世は母のマリーをブロワ城に幽閉します。


マリーはブロワ城を脱出、反乱軍を決起しますがすぐに息子ルイ13世の軍に鎮圧されます。
その後マリーは追放され、ブリュッセルで10年以上の亡命生活を送り、ケルンで亡くなりました。




『ブロワ城からの脱出』  マリー・ド・メディシスの生涯の17作目

 

幽閉されていたブロワ城からのマリー・ド・メディシスの脱出事件が描かれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アングレームの条約』 マリー・ド・メディシスの生涯の18作目

 

神々の伝令メルクリウスが差し出すオリーヴの枝をにこやかに受け取るマリー・ド・メディシスが

 

描かれています。

 

二人の司祭は、ルイ13世が出した追放命令によって生じた両者の対立について、マリーが話し合い

 

に応じる用意があることを意味しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アンジェの平和』 マリー・ド・メディシスの生涯の19作目

 

マリー・ド・メディシスはルイ13世に対し反乱しました。

 

その危機から逃れる場面が描かれています。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『完全なる和解』 マリー・ド・メディシスの生涯の20作目

 

多頭のヒュドラに致命傷を与える擬人化された「神の法」と、それを見つめる「摂理」が画面前景に

 

描かれています。

 

瀕死のヒュドラは、ルイ13世の寵臣で1621年に病死したダルベールに擬せられています。

 

ヒュドラはギリシア神話を代表する怪物の1つです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『真理の勝利』 マリー・ド・メディシスの生涯の21作目


ルイ13世とマリー・ド・メディシスとの和解が天国を背景にした純粋な寓意画として描かれています。













『マリー・ド・メディシスの肖像画』

 













ルーベンスの描いたマリー・ド・メディシスの一代記について、中野京子さんが

 

『はじめてのルーブル』で述べられているルーベンスのこの絵に対する取り組み

 

について、分かりやすく書かれています。


ここに引用させていただきます。


「ちょっと想像してほしい。あなたが作家だとする。一代で世界的企業を興した

 

名物社長(アンリ4世)が、土地売買の悶着でやくざに殺された。その妻(マリー・

 

ド・メディシス)から伝記の依頼があったので、当然、社長の伝記と思っていると、

 

それはいずれ書いてもらうとして、まずは自分の伝記を上下二巻本の大作にしろと

 

言われる。びっくり仰天して彼女の顔を改めて見直せば、何のオーラもない

 

どころか個性も魅力も欠片(かけら)すらなく、いくら探っても平凡を絵にしたような

 

つまらなさ。これまでの人生はと言えばさらにつまらなく、ただの金持ち娘が政略結婚

 

したものの夫に愛されず、未亡人になってからは跡継ぎの息子(ルイ13世)がまだ小さい

 

からと強引に社長におさまり、凡庸な経営能力と人徳の無さで皆に忌み嫌われ、やがて

 

成人した息子から会社を追われ、最近ようやく仲直りしたばかり。


どうやらその仲直り記念の伝記制作らい。(中略)


ルーベンスはこれを自分への挑戦と解した。彼女のために描くのではない、自分のためだ。

 

この連作を見る者はすぐわかるだろう、かくもどうでもいい人物を、かくもドラマティックな粉飾の

 

もとにヒロインへ仕立てあげた画家の、並外れた力量の凄さを。そうだ。マリーがどうでもいい

 

人問であればあるほど、見る者は画家の力技と演出力に圧倒させられるのだ。マリーの生涯

 

ではなく、画家の天才に感銘を受けるのだ!」