barso様との応答が続いていますので、その3です。
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barso様)またまた逐語的で丁寧な返信を
ありがとうございました。
わたしは聖書解釈のやり取りは楽しいと感じていますが、
あまり時間と手間を掛けると申し訳ないので、
ゆっくり対応していただければ、と思います。
Yhoshuah) 今はGW中ですから時間的には余裕があります。
barso様)まず、個人的な信仰の深さに驚かされました。
特に思ったのは真理追究への真摯な意欲と行動でした。
「突然 神様から、あなたは普通の人の世界にもどれ、
その中ですべきことを成せと指示され」たという点ですが、
これは直接その声が聴こえたということでしょうか。
そうであれば、ほとんど新宗派の教祖か、神の預言者か、
あるいはスピリチュアルのチャネラーのレベルです。
Yhoshuah)神様の存在が私にとっては幼い時から日常的な事でしたので、信仰が深いとかそういう意識はありません。
前回にもお話したように祈り始めたのは3歳ぐらいのときで、はっきりと祈っていると
自覚したのは5歳ぐらいです。祈りのきっかけは、母のためでした。
或る事があって母が悲しみ泣いている事が多く慰めるため
神様に祈っていたのです。
それで、祈りも日常化していまして、いつのまにか
私にとって祈りは神様との会話になっています。
barso様)そのゆえか、前提の解釈がちょっと
違っているので、
関連する聖句の解釈も違ってきているように感じました。
たとえば
「前に回答したように最初からカインの捧げものには
目を留めないと決めていたからです」とか
「性的な罪だった原罪を赦し」がそうです。
Yhoshuah)はい。何度も応答を交わしましたので、今まであなたに言わなかった事を
加えてお話しています。目を留めないと決めていたとか、
性的な事など、いきなり話しても
解らないと思っていたからです。私の話は時に既存の解釈から離れています。いままで聞いた事もない真理を
あなたは今、聞いています。
非常においしい食べ物でもいきなり容量を超えるほど沢山食したら、消化できず吐き出します。ですから最初からすべてを話す事はしていません。
まず概要をお話して、その後、深い所をお話しています。
barso様)これは面白いと思った説明もありました。
「旧約での十字架預言は、そうならないように、
との警告預言です」
聖書の預言者は、将来こうなると"予言"したのではなく、
いま問題を改善しなければ将来こうなると預言しましたが、
十字架刑の預言をそう解釈するのはちょっと驚きました。
Yhoshuah)はい。そうですね。普通はあなたと同様に驚くか、または反発します。
彼らは聖書の預言は必ず成就するのだ!と言います。
しかし、実際には成就していない預言は、事実あります。
神様の摂理のマスタープランはあります。
だけど実際に行動するのは人ですから、
人が摂理通りに行動しなければ一旦停止、
そして時をへてまた救いの摂理は進みます。
マスタープランの中では、方策はひとつでは無く、
最終目的に達する道は複数です。
例えばアブラハムのイサクの燔祭。その前の動物の儀式を
失敗したのでイサクの儀式に変更されたのです。
到達点が一致することが大切なのです、、。
摂理の最終到達点は全人類の救いです。
加えて言うなら、神様の創造目的の完成です。
未だ未完成なので。
barso様)わたしは創世記3:15にある通り、
「彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く」
のですから、十字架刑は歴史の最初から預言されていて、
それ以降のメシア預言はメシアを見分けるための預言だ
と思っていました。
Yhoshuah)はい。創世記3:15は原福音または最初の預言と言われている箇所ですね。
お前の頭とは、サタンを言っていますし、彼とはイエス様を示唆しています。
実際この預言は十字架上で成就しました。
少し話がそれますが、十字架上で何が有ったのか?
を、簡単にお話します。
クリスチャンがよく十字架の勝利と言うでしょう?
その本当の意味を話します。
勝利というからには、誰かに勝ったという事です。
相手はサタンでした。 サタンからしてみれば憎いメシアを十字架にかけたのだから、その時点でサタンは
勝ったと思った。
しかし、イエス様はサタンもできなかった事を最後まで
成したので勝利したのです。
サタンができなかった事は、カインと同じで神様に見捨てられたと勘違いして神様を逆恨みし、天使の座から離れた事。
サタンは自分より後に人は生まれたのに、
自分には無い肉体を人間は与えられているし、
人間の方が愛されている、神様に見捨てられたと
勘違いしたのです。
イエス様が十字架に架けられている状態は、神様がイエス様を見捨てている状態と言えます。
イエス様はそんな状態であっても最後まで、、神様を信じ切った。それが勝利だったのです。
悪魔にはできなかった信仰をみせてくれました。それは次善であっても尊い勝利だと思います。
しかし、十字架は避けることはできたのです。ユダヤの民がイエス様をメシアだと信じていれば
十字架は無かったと思います。 摂理は絶対の神さまの計画であるけれど、摂理に人は加担しています。
全て神様だけで行うのなら、人はロボットですし、
操り人形です。
人に自由意志を持たせた甲斐がなくなります。
ですから、原福音も民の不信仰があったなら、こうなるよ、という預言です。
サタンについては、イエス様は十字架にかからなくても
サタンに勝利したでしょう。確実にです。
どうやって? ですね。
はい、それはサタンの罪を突き付け糾弾する事でできます。
それは、あの失楽園でサタンが何をしたのか?です。そこにサタンの最大の罪がありますから、。
十字架は、アダム以来聖書暦で4000年も待ち続けて、そしてやっと来臨したメシアをどうしてそうも簡単に
殺すのか、、という事になります。
以上の事を言うと、私は必ず異端者と言われます。
barso様)なお、誰もが抱くと思われる初歩的な疑問ですが、
「赦しの条件は人の悔い改めと信仰です」の「信仰」は、当然ながらイエスを信じる信仰ですね。
ヨハ14:6「わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」
ヨハ3:36「御子を信じる人は永遠の命を得ているが、
御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、
神の怒りがその上にとどまる」とある通りです。
とすれば、キリスト教信者にならなければ、
純粋に誠実に生きている"善人"でも救われませんが、
この疑問についてどう受け止めているでしょうか。
Yhoshuah)はい。barso様そのお尋ねは、あなたの長年の
疑問だったのではないでしょうか、、。
初歩的などとは思いません。
言い換えますと、
他宗であるなら、永遠に救いは無いのだろうか? ですね。
この事は私も考えた事はあります。
私がというのでは無く、人を愛す事ができる人間は
誰でも他宗人の救いを心配するはずです。
イエス様は初臨の時、こう言いました。
マタイによる福音書/ 15章 24節
イエス様は、「私は、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。
この聖句はいろんな解釈がありますけど、この時イエス様は異邦人のための宣教を始めるところでした。
異邦人世界はユダヤ教ではなく他宗でした。
イエス様は他宗の人をも救おうとされていたのですから、
イエス様を含め父神様が他宗を救おうとされるのは
当然といえば当然です。
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ただし、今すぐに救われたいなら、キリスト教徒になると
良いです。
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普通、クリスチャンはキリスト教徒にならなければ救いは無いと言います。
でも、世界を観ますとキリスト教でない民は何十億といます。
イスラムなどの民は何千年たってもクリスチャンになる事は難しいでしょう。
そうすると、それらの人々の救いはいつになるのか?
またはずっと救われないかもと
思うものです。
しかし
神様の願いは全人類の救いです。
人はどんな人も救われねばなりません。
たとえ善人であろうと悪人であろうと、、。
医者が病いの人のためにあるように、
メシアは罪人のために来るのです。
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以上、親愛なるbarso様へ。
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今日は5月3日 加筆します。
ヨハ14:6「わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」の条件をクリアして、
他宗を含め全人類の救いの方策はあります。
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