土偶の正体とは?

(ما هي الهوية الحقيقية للتماثيل الطينية؟)

 

 

写真の土偶は

1886年(明治19年)に青森県亀ヶ岡遺跡に於いて

出土したものです。日本では最も有名な土偶と

言っても良いでしょう。

 

 

遮光器土偶の名づけ親は、考古学者の坪井正五郎氏が

ロンドンに留学中、明治24年(1891)に命名した

そうです。

 

さて、今回の題

遮光器土の正体と作成目的。

 

 

遮光器土偶の写真を見ながら、いろいろと思考して

いました。

 

今までたくさんの学者や考古学好きな人が

様々な説を発表しています。

 

宇宙人の模型だと言う人までいます。

 

しかし、結局は確信が持てないと言っています。

 

つまり、不明。

土偶を観察します。

 

顔のほとんどを占めているのは遮光器なのだそうです。

 

カナダ北部に住む先住民族のイヌイット族が

使っている遮光器に似ているので

遮光器土偶と命名されたそうです。

 

 

光を遮るための道具ですか?

 

寒い所では、氷雪にずっといると

光が反射して目に良くないのでしょう。

しかも、カナダ北部は日照時間が夏には

一日で20時間もある。

そりゃぁ目に負担が来る。

遮光器土偶は主に日本の東北で発見されている。

この土偶は縄文晩期のものだと言われているので

紀元前3世紀か5世紀となる。

 

頭部は髪の毛でしょう。それを何かで留めて

巻き上げているように見える。

飾りも有りそうです。古代エジプト女性のような、、。

 

 

下は古代エジプト女性の壁画。

頭に円錐型の何かを乗せている。それは太陽を模したもの

では無いかな。

上着は膝ぐらいの長さ。遮光器土偶に似ています。

 

頭部は何となく上の女性のイメージが残っている。

気になったのは、黄色の円で囲んだところです。

 

 

これは、ちょっと見なら単なる文様としか

思わない。

 

だけど、私はすぐにわかりました。

 

これは羊の角の文様ですね!

この事が今回の記事の肝要な事です。

これに気づかなければ謎は永遠に解けません。

 

 

雄羊は古代エジプトでは神聖な動物です。

古代エジプトの太陽神アモンは

羊のような渦巻状の角を

もっています。

 

 

太陽神アモン

 

参考として重要文化財 遮光器土偶(恵比須田土偶)も

見ます。左が前面全形、右が前面の拡大、と背面の拡大。

前面も背面も羊の角の文様です。

この文様を羊の角である、と言及した文献は私が知っている限り知らないので、多分この記事が世界初だと思います。

 

国立国会博物館のホームページでも羊の角とは書かれていませんでした。

 

 

 

 

それから、、下の古代エジプト人の絵の写真で青〇で

囲んだ人の顔、

鳥のように扮しています、でも目の部分は

一種の遮光器では無いかな?

 

 

ここからは私の新説です。妄想かも、、フフ。

 

この遮光器土偶は女神官、または、女呪術師の

フィギュアだと思います。

 

土偶は、泥をこねて型を造り焼いた人形です。

その当時は窯を使わず、野焼きです。

 

人の形ですから、人に似せて作られています。

 

だからモデルがいたはずです。

モデルというより、元の型の人物。

 

実在した女性に似せた人形、でしょう。

 

土偶というのは、基本的にその時代に存在した

人物や物を模して作っています。

 

それで、遮光器土偶は

縄文後期に東北地方に居た女神官または女呪術師に

似せた像だと私は最近思うようになった。

 

各地域で発見された遮光器土偶はほぼ同じ形で

同じような文様をもっている。

多少違いがあった意味(理由)は、

こうした女神官はひとりでは無く、

複数存在していからです!

 

女神官たちの儀式服は、既定の装束が

有ったのでほぼ同じ。それで各地で発見された土偶は

少しの違いがあるにせよ殆ど同じ様式です。

この土偶の時代、拝む神様は太陽神。

 

太陽を神様として拝んでいたのだろうから、

光が眩しいので神官は遮光器が必要だったと推理できる。

たぶん、イヌイット族が使っていた遮光器のような

効果が有る器具を使っていたのでしょう。

 

ちなみに、エジプトも太陽信仰でした。

 

 

遮光器土偶の祭服は見るからに布ではなさそうです。

 

この土偶は浮き彫りだから、実際の女祭司の

服は

皮だったのでは無いかな?

 

膝まである祭儀用の服。

それは上着で結構長い服です。

 

それに、この服装はデザインを含め、

とても古代の日本人の服装とは

思えない。

 

基本、長い服は祭司・神官の服装です。

 

弥生時代は移民が顕著だったが、その前の縄文晩期から

移民は多く無かったけど有った。それで、この土偶のモデルになった女性は、

恐らく移民してきた神官一族、または呪術師の血筋の女性で、祭儀の作法を知っていたのでしょう。

 

普通の人はそんな事は知らないし、できません。

特別な人でしか、祭儀はできません。

 

ちなみに古代イスラエルではモーセの律法以来

女性の祭司や女呪術師は

禁止でした。

出エジプト記/ 22章 17節
呪術を行う女を生かしておいてはならない。

レビ記/ 19章 26節
まじないをしてはならない。卜占をしてはならない。
 

 

以上のような禁止事項があります。

 

逆に考えれば、それまで占いや呪術を行っていた人が

居たのです。居たから禁止になった。

 

ん!?モーセは40才までエジプトで暮らしていたのですが、、。

 

エジプトでそれを、、見ていたのでしょう!!!

 

モーセはbc13世紀の人で、モーセ5書の成立は

その後です。

 

 

ただ、、昔の日本では祭祀を行うのは女性(巫女)に

限られた時代がありました。巫女のみです。

 

 

宗教的儀式をするとき、モデルになった、

その女神官は、土偶のような

装束でいたのです。

 

土偶はほぼ正確に女神官を再現していたのでしょう。

 

土偶を作成した人が文様などを想像で描けるはずが

無いからです。

 

例えば上で私が指摘した羊の角、遮光器土偶が創られた

時代、日本には羊は居なかったのです。

 

見た事がなかったら、または知識が無かったら、

丸みを帯びた角を文様として

描けません。

 

羊が日本に存在したのは、推古天皇の時代からです。

推古天皇はだいたい西暦600年前後です。

遮光器土偶はそれより約1000年前の物。

 

だから土偶作成者=職人は羊自体を知らないはずなのです。

 

まして角も。

 

しかし、

女神官たち(またはその一族)は羊を知っていたのでしょう。羊を知っていた一族とも言えます。

 

その一族が職人に指示して作らせたと考えられます。

 

羊の体全体を描かず、角だけを描いていた理由は?

 

神官自身の体を聖なる羊の体とみなしていたからだと

思います。

 

儀式中、羊の角を描いた祭服を着ているという

事は自分は聖なる者だ、または聖なる羊の化身だと

主張していたのです。たぶん、、いや確実に、です。

遮光器土偶はいろんな地で発見されています。

 

例えばこれも。

これも羊の角の文様があります。

首飾りも胸飾りも古代エジプト女性そのもの、。

日本人で当時そんなものは無い。

 

日本人祭司だったなら、勾玉を下げていたはずだけど、

それが無い。

 

いくつも造られていたということです。

 

ひとつでは無く多く造られた意味は?

 

その女神官たちがその当時とても有名だった証拠ではないでしょうか。

 

電話など無い時代なので、

口伝えで有名になった女神官たち。

 

彼女たちに似せた像である

 

遮光器土偶は、いつしか守り神として

 

各地の有力者らに求められるようになった。

 

それで、いくつもいくつも作られていった。

 

土偶のモデルになった、女神官は祭儀以外の時は

顔から遮光器は外していたと思います。

 

土偶は今でいうフィギュアなので、だんだんデフォルメされ

安定して置けるように太目?に作られたようです。

 

置き物用に、、です。

 

元々は人間なので、本来はもっと細目だったはずです。

 

だから実際の女祭司たち、、

 

素顔はもしかしたら、とても美しい人だったかもです。

 

 

 

 

 

 

 

旧約聖書で、ヤコブの妻ラケルが実家の守り神でもあり、

家督権の象徴でもあった、テラフィム像を盗んだ故事が

記録されています。

古代の家では守り神の風習は世界的に有ったようです。

 

それに似たような事だったかもです。

 

祭祀には音楽が必須です。

たぶん遮光器土偶のモデルになった女性も

それなりの音楽を奏でる事ができたと

想像します。

 

以下重要です。

最後にこれも。遮光器土偶の胸部の拡大写真です。

 

黄色円の中に赤でしるしをつけました。

斜めに5本の線状のものがあります。

 

 

(イスラエルのメノラー(燭台)は7本ですが、

 

エジプトの神官の紋章は、5本というイメージです。)

 

これに似たものがエジプトのミイラの服の胸(鎖骨の下)

あたりで発見されています。

 

そのミイラは古代エジプトの神官でした!。

5本のそれは、神官の紋章だったのです。

加えてこの紋章を持っていたのは、神官の他、

高位の大臣のみです。

 

 

 

正確には以下の紋。

この紋章がエジプトの神官のものだと私が知ったのは、

フランスの女性考古学者が話していたのを

聞いたからです。

 

 

エジプトには女性神官が実在していました。

 

古代エジプトのラムセス王は、女神官のネフェルタリを

妻にしていました。

 

女性神官だったネフェルタリ

彼女は自分専用の小神殿を持っていました。

 

エジプトには女神官たちが存在していたのです。

 

もうひとつ話します。

遮光器土偶は元々は赤みをしていたそうです。

と言いますか、製造時点では赤みがかった色を塗っていたようです。後年研究者はその赤色を生命力を現したなどと、

のたまっています。土偶を作った職人さんが何かの思想とか思惑を込めてつくるわけがありませんし、

その必要は無いです。

 

 

しかしその塗られた赤色というのは

真っ赤ではなく褐色です。

 

古代エジプト人の肌の色は褐色なのです。

 

つまり、、日本で発掘された遮光器土偶は

古代エジプトから遥々渡来した女祭司、

またはそれに由来した女祭司が

モデルだったと言うのが私の結論です。

 

以上。

 

 

 

 

 

加筆。

上記の遮光器土偶はある時から、ぱったり造られ無くなりました。 弥生時代に移民が顕著になり、別の宗教集団が一般の移住者と共に日本に移民してきたからだと思います。

 

移民、、渡来と言い換えましょう。

 

渡来人はいつしか日本に同化していきました。

日本に次の時代が来ます。

5世紀ごろ秦氏が渡来してきて、宗教が変わって行ったのです。太陽信仰の偶像崇拝から唯一神を拝す民が渡来したのです。渡来した民の中に秦一族がいました。

 

秦氏はユダヤ系の人で、東方キリスト教だったという

説があります。秦氏は日本人に受け入れられやすい日本的な形でキリスト教を日本に入れた人たち。

 

秦氏たちは日本に渡来する直前は

カザフスタンの弓月国(クンユエ)に居て

そこの人はイスラエルの失われた10氏族の末裔の一部

だと言われています。

 

この事を述べ出すとキリがないのでここで終わります。

 

Caucasian dance

カザフスタンはコーカサス地方の、ひとつの国です。

 

ダンスの特徴はステップにあります。女性は決して体が上下に動かないようにすり足?のようです。

 

ロシアの民族ダンスも音楽も、これに非常に似ています。

ソ連邦時代この人達に近い民族が併合されていたからです。

 

 

これを観たらわかります。

最初のダンスです。

そのダンスは恐らく婚約の時に踊るダンスだと思います。

鳥が求愛するのをマネているかのようです。

長い袖は鳥の翼。ダンスの最後で女性が高い靴を履いたら

婚約成立、、。蹴とばしたら?、、ハハハそれは言わない事にします。

 

 

★★★

 

参考として。

(悪いけど参考にならないのですけど。)

 

青森県つがる市役所の学芸員の解説があります。


性別は?

 

 学芸員)女性です。

 

私)これは誰が観ても女性としか見えないので

その通りです。


顔にあるものは?

学芸員)明治時代の学者が遮光器だと断定したが
現代は遮光器では無いという説が強くなっている。

単にデフォルメしているとか、。


私)土偶の後頭部をみると、遮光器を顔に止めるための

バンド状の物があるので、遮光器または、それに

類した器具を顔に付けていたと思っている。

 

以下の写真で後頭部をご覧ください。

顔を覆っている物を留めるバンドのような物が

あるでしょう?もしそれが無かったら、

他の人が言っているように私も単なる

顔を誇張しただけだと思ったでしょう。




体の文様は何か?

学芸員)雲形雲形紋と認識している。
当時の服を模している。

 

私)土偶のモデルになった女性の服を模したのは

当然だが、それが雲形雲形紋だと判断しているのは

間違い。羊の角という発想が学芸員や学者はできていない。

エジプトなど外国を研究している考古学者なら、

すぐにわかる。

 


学芸員)文様の意味は不明。

 

私)羊の角の文様だと解らないなら学芸員は

そこから何も進めない。



頭の上は何か?

学芸員)冠ではなく、単に髪を結ったもの。

私)それだけかな?髪と小道具で、

形造って何かを表現している。頭部を拡大してみましょう。

赤円の中を注目してください。完全な円では無いけど

円形に近い物があります。

これは、多分太陽ですね。

 

 

下は古代エジプトの女性神官。頭に注目。

 

 


使用目的は?

発見された多くの遮光器土偶が

一部欠落しているものが多いので学者は、

病気やケガを治すための身代わりにしたとの説。

例えば足が悪い人の代わりに足を壊すことで

自分が癒されるためとの説。

しかしこの説は、

現代陶芸家でレプリカを作った職人は
それを否定した。

陶芸家はこう証言していました。

粘土から作ったものを完全体として
焼き上げるのは難しい。
当時は野焼きなので尚更、
完全体で焼きあがる確率は10%以下に

なるだろうから。

 

つまり、焼き上げた段階で既に

欠落した部位が有ったということです。

 

だから身代わり説は否定されます。


学芸員)子孫繁栄を願うためとの説がある。
が、あるけれど、結局は不明。

 

私)この記事で使用目的は書いています。

 

 

結局、学芸員や学者は当てにならない。

知識も高いレベルでは無く、

発想も乏しいと私は思った。

いらない事を言いました、ごめんなさい。

 

 

今回は日本で有名な遮光器土偶の話をしました。

 

過去の人を垣間見える土偶を思考するのは

 

私には結構楽しい作業でした。

 

時空を超え、、過去を旅し、彼女らと

逢えた、、。

 

彼女たちの子孫は2千数百年の月日を過ぎて

既に日本人。

 

私はまだ、時空を行き来しながら夢を見ているのかも

しれないな。

 

私、、いまだ、、夢の途中、。