良くないニュースを知ることが多くて気が晴れない。

 

こんな気分は近年では毎年の事になっている。

身近で病の人がいてその病に嘆息していたり、

 

こうしようと生きる道を示しても聞く耳が無い人もいる、、、。

別の者は真実を語らず虚偽に威勢を盾に捕り保身のため

天に恥しげも無く唾を吐く愚かな生き物がいる。

その生き物は人と称されて、

 

実はその正体の原初は神様に産み出された

高貴な身分であって、

聖く清く潔いはずの愛されるべき存在だった。 

どこに行ってしまったぁ? 

美しい魂を持っていた

 

彼方は?

 

貴女は、、?

 

あなたは、?

アナタは、、??

見えなくなった霊の瞳、

 

見えない眼をしきりに擦り(こすり)、

何処にあるか知らないのに

 

見えない目を閉じて幾分震える手を合わせ、

 

どこかに思いを伝えたいのかぁ?

心で何かを願う、。

 

風のように見えない霊はどこに行くのかぁ?

あなたは知らない。

 

教えてもあなたは信じない。

だけど、元々聖い心本体の魂は

元々在ったその聖い居場所に、

 

帰還するだけだよぉ。

痛みも

 

悲しみも、

 

つらさも無い、

 

その魂の懐かしい原初のところ!

連れて行こう、みんなを、、。

安心して!!。

いにしえからの原聖者がいざなうのさ、、。

愛、、信仰、、希望、、。

あなたの中の、見えないくらい小さいけれど、

辛さに押しつぶされそうになって今にも消えそうな

思いの原(みなもと)を

 

私は知っている。

一緒に行こう、あの聖く美しい懐かしい場所へ。




 人の記憶が存在する、ずっとずっと前の

 

太古を超した

原初の存在の聖なる記憶を呼び覚まそうよ。

宝にもなる叡智の煌めき、、。

キラメキ・・・きらめき。


眩いくらいに無限の色を持つ光を放ち、

 

見上げる霊の瞳はそれを観る!

無限色の光源の中心は限りなく、

限りなく透明に近く、

 

無色か?と錯誤するくらいに明るい。

光に照らされた我が身を見よ!

今にも光と同化しそうな、、。

あなたの穢れていた霊の体も圧倒的な光の強さに、?

なぜなのかなぁ? 

一瞬で洗われるように白くなる。

汚れた鏡、、

 

だけども

 

元々は汚れなき鏡だった。

 

聖なる布で磨けば

元の美しい鏡になり、

蘇った鏡に聖なる光が放射され、、

そして鏡は光を吸収する事なく

他の誰かの鏡に向かって輝く光を放つ。

そしてその誰かは繰り返すように穢れが落ちて行く。

リピート、、リピート。。一人じゃない、

1人は2人に2人は4人に、4人は8人に・・・

無限に続く光のリレー。

 

その光の源は

 

何だか知ってる?

 

愛だよ。



無限の過去の聖なる記憶、、

叡智の記憶が

蘇り、人の魂に出現する。

人の魂のベースは同質、、。

そう、、私とあなた、、も。



真実の愛!


 キリスト教では創造主を神様と呼ぶよ。

創造主とは人、霊界を含む、この世を造ったからです。

 

それで、この世は被造世界と呼ばれる。

創造主の造ったこの世の人間は神様にとって

 

分け隔ては無い。

尊さに於いても人は差異が無いよ。

 

だから神様の御前に於いては人は皆平等。

ただし、人間には能力の差異がある、

 

しかし創造の趣旨に於いて神様は差別はしていない。



なのに、人は人を差別する。

能力至上主義がいかにも正しいのだと人は

自分で決めている。

合理主義の優位性がいかにも正しいと

人は自分で決めている。

 

フフ、それは何と愚かし事、、。



人間は人間の歴史上でそれを作り上げてきた。

何もできない人がいたら、価値が無いと言う。

人は存在自体に価値がある事を皆、解らなくなっている。

生産性が無であっても、人間存在自体に価値がある。

 

何にもできなくったって、居るだけで価値があるんだよ。

人は赤子には生産を強要しないし

 

無価値な存在とも思わないけれど、

赤子が成長して大人に成ったら、

 

生産性を強要する、。

 

その能力が低いと、

価値が低いとか価値が無いと

レッテルを貼る。

同一の人間なのに、時間の変化によって評価を変える。

どこか、おかしくないか??


仕事ができるかできないかの人の能力と、

 

人の価値評価が連動されている。

それは創造主の創造とは無関係なのに!。

神様は人に高い能力があるからとして

 

人を愛しているのではないよ。


能力があろうとなかろうと、神様は人間を憐れみ

愛し続けている。


人は生きているだけで、価値があり尊いのです。

 

加えてこの世から去って霊になっても同様です。

それが、キリスト教が主張していることです。

 

でも、クリスチャンでありながら、

それを忘れている人が多い。


金融業は大昔は見下された仕事でした。

 

金融業者は軽蔑の対象でした。

 

それがいつの間にか、お金第一主義の
拝金主義者が蔓延る世の中になった。


お金に支配される人間社会になってしまった。

それが当たり前だと?、、、

思い込んでいる人間ばかりになっている、。

 

それは洗脳されているのであって、洗脳されている事自体に気づかない人間になってしまっている。

お金は政府がインフレを制限装置としてこの限度内で無限に

 

発行できるのに、

政府はそれを国民に教えない。

 

国民を奴隷のように使役し、

 

意図的にあたかも神のごとくに困窮者を創造し

 

支配し続けようとしている。

仮に政府が国民から、税金を1円も受領しないでも、

政府は政府の借り入れで国民にお金を配ったとし

ても国が破綻することは無い。


或る国はそれに気づいて政府借金を拡大しはじめ、

表向き民間企業としつつ、

実は政府の紐付きの大企業に、無限に補助金を
与え続けている。

 

その政府が湯水のごとく、その企業に注いでいるので

世界市場で優位性を持っている。

原価を政府が出している事になるからだ、、。

失敗しても失敗してもその政府が無限に資金を与えるので、資本主義側の企業は競争に勝てなくなってきた。

 

 

星がイエス様を現していた事、、

 

なぜなのでしょう?

約2024年前、地上にメシアが来られました。。

 

初臨です。

それは聖書が記録しました。
マタイによる福音書/ 2章 1節&2節
イエス様は、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムで

お生まれになった。

そのとき、占星術の学者たちが東の方から

エルサレムに来て、言った。

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、

どこにおられますか。

わたしたちは東方でその方の星を見たので、

拝みに来たのです。


マタイによる福音書/ 2章 9節&10節
彼らが王の言葉を聞いて出かけると、

 

東方で見た星が先立って進み、

ついに幼子のいる場所の上に止まった。

学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」


ここで、謎に気づくひとはいるでしょうか?


上の聖句で、、なぜ?って。


神様は地上に神の人救い主キリストをその時送ったのですが、、星が目印だったのです!

なぜ 太陽でもなく月でもなく 星だったのか?

え、、何々、、何も疑問に思わない? 

 

そういう人もおおくいるでしょう。

少し 聖書をわかる人は星の謎に気づくはず。


神様は何でもできるお方だから、、特別星でなくてもよかったのに、、、と。

昼間の太陽でもよかったし、、、、と思う人もいるはず、、、かな??


実際は 星がキリストを示したのでした。

なぜ?星?が、、、です。


この答えがわかるかた、、、どうしても星で無ければならなかった意味は?

。。

。。












はい 解るか解らない解らない程度の

預言があったのです。

アブラハムの時、神様は子孫を星の数ほどにする、、

と約束しました。

聖書を読みましょう。

創世記/ 15章 5節
主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」

そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」

創世記/ 22章 17節
あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、

海辺の砂のように増やそう。

あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。

創世記/ 26章 4節
わたしはあなたの子孫を天の星のように増やし、

これらの土地をすべてあなたの子孫に与える。

地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。

神様から アブラハムの子孫は星でにしめされました、

なので 、イエスさまの時現実的には実際の星でアブラハムの子孫であるイエスは星がしるしとなったのです。


聖句の決定的なところはここです。


「地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって

祝福を得る。」

事実イエスさまによって地上の諸国民は祝福を得るのです!

と、、、聖書にはじめから記録されていたのですね!

 

 星で示すことが!


簡単でしたね!?

であるので、、、2回目の来臨の時も

 

星で、

 

示されることになる、のです。

 

🌈🌈🌈

 

昼間は瞳に虹を映し、

 

夜に星を観る、、のです。

 

銀河を七色の虹に見立てて、それに腰かけて