2023年、年末最後の日。

 

記念に書くことにしました。

 

しばらくして、非公開になる記事かもです。

 

祈り

聖なるかな、聖なるかな、神様、、。

 

命の教え、時来たりて、。

 

人の罪穢れ払いて、、聖霊の導き、。

 

 

 

略、、。

 

 

さあ、始めます。

 

 

 

イエス様は、母マリアの胎を通って父、アロン家の

祭司ザカリアの子として生誕した。

 

ザカリアの妻は石女だったけれど、時が満ちていたので、

 

年老いていたけれど、アブラハムの妻サラと同様、

子、ヨハネを儲けた。

 

もしヨハネが生まれなければ、イエス様は

ザカリアの子とし112に育てられたが、

ヨハネが生まれたため、マリアの家で乳離れするまで

育っていった。

 

その後、秘密の父ザカリアの家に行く。

 

母マリアが幼い時から神殿で奉仕したように、。

 

義理の兄弟ヨハネとイエス様は小さいころから、

 

ザカリア家で一緒に育つ。

 

少年になって共にエルサレム神殿で奉仕する。

 

ザカリアの妻アロン家の血筋のエリザベトは

二人の子を分け隔てなく可愛がり

育てた。

 

後の二人の聖者、ヨハネとイエス様は

一緒に育ったのだ。

 

仲も良かった。

 

イエス様は12歳まで祭司ザカリアの家に居たけど、

 

それ以降は母マリアと養父ヨセフが迎えにきたのでマリアの家に帰った。

 

 12歳までというのは、祭司ザカリアとマリアとの

約束があったからです。

 

ザカリア家の跡取りのヨハネが12歳になるまで生きていたら、そのまま成長しザカリア家を継げるようになるから、

それまでは、イエス様が予備としてザカリア家にいたのです。

 

ヨハネとイエス様は年の差は約6月だからおない年。

 

イエス様の12歳の記録が聖書にはある。

神殿の境内で学者らと議論した、、事。

 

そしてイエス様はマリアの家に帰っていった。

 

ところが、、祭司ザカリアの事、何らかの理由で

ザカリア家が無くなった。

 

それで、本来ザカリア家を継ぐはずだった

ヨハネはエルサレム神殿に関係する祭司に

なれなかった。

 

それで、ヨハネは自分でヨハネ教団をつくることになった。

 

それは、独立、。

 

 

ヨハネ教団設立の際にはイエス様には連絡があったので、

20数才の時ヨハネ教団に参加していた。

 

エッセネ派とかはヨハネと関係があったと思われる。

 

その内、、イエス様はヨハネから離れる事になる。

 

ヨハネはやはり既存の神殿祭司の規範を

超える信仰を得る事が難しい。

 

影響を抜け出られなかった。

 

イエス様はそれまでのユダヤの教えを超える

 

福音、、愛の宗教を民に今こそ

 

知らしめると思っていた。

 

 

それが二人を分けた。

 

 

ヨハネが自分がエリヤの再来だと自覚していれば、

 

イエス様に民を備えたはずだが、

 

自己否定した。

 

エリヤでは無い、、と。

 

イスラエルの12部族をイエスさまに

備える事ができなかったので、、

 

エリヤ、、すなわちエリヤを失った

イエス様は代わりに12使徒を選んで得た。

 

12使徒は12部族の代わりなのです。

 

12使徒がイエス様を完全無欠に受け入れたなら

 

それは象徴的に完成の信仰と認められ

 

イスラエルは国を再び持つはずだった。

 

でも、だめだった。

 

イエス様は連日エルサレム神殿の境内に行っていたが、

 

神殿内の聖所、至聖所に入るはずだったけど、

 

祭司やサドカイ派らの妨害によって

 

それはできなくなって、

 

十字架での勝利をめざした。

 

辛かった、苦しかった、、泣けた、、。

 

そして、、完了。

 

十字架から降ろされ

 

墓場に葬られた、

 

来ていた亜麻布を脱いで天に昇る。

 

天使が二体いた。

 

亜麻布を脱いた事はレビ記の祭司規定どおり。

 

天使二体は契約の箱の上に置かれた

 

二体のケルビムの実体だった。

 

 

十字架後、マグダラのマリアに現れた事、

 

記録されなかったが、、待っていなさい、

 

私の時を、、いや、私たちの時を、、と。

 

私たちの時の私たちとはイエス様とマグダラのマリアの事です。

意味は、、ここでは言いません。

 

カナの婚礼の時、イエス様がおっしゃった事、

 

私の時はまだ来ていません!を 考えたら

わかるでしょう?

 

キリストイエスさまの使命は、

 

人の原罪の赦しです。

 

罪を犯した人間が罪ある人を許す権利はありません。

 

罪が無い存在でしか罪ある人の赦しはできない、

 

だからキリストが必要だったのです。

 

ただここで聖書では、罪はその子に受け継がれないという

聖句があります。

 

ふつうの罪ならそうです。

 

親が強盗しても子はその罪を負いません。

 

でも原罪はちがう。

 

原罪は神様に対しての直接の罪です。

 

イエス様のヨハネも人に対して

まむしの子よと人にいいました。

 

マムシとは蛇であり創世記に出現したあの

エバをだました蛇です。

 

その正体は元天使のルシフェル、で

 

後に神様になり変わりたりと

 

天から堕ちた悪魔の事でした。

 

悪魔がだました時から聖書暦で4000年たって

ヨハネもイエス様も民に

マムシ、、悪魔の子孫だと言った事は、

 

民、、人に悪魔につらなったのだと言った意味となる。

 

悪魔に連なっているので悪魔の思いが入っている、

だから、悪事を人は行うようになった。

 

メシア、キリストはそのつながりを

切るためにこの世に来たのです。

 

悪魔に連なっているのを、神様に連なるように

するため、、です。

 

だから象徴的に葡萄酒とパンを儀式でいただく。

 

命の木はイエス様の象徴、

 

善悪知るの木はサタンの象徴だった。

 

サタンは元々善の天使だったので

 

善は知っている、しかし神様に反逆したので悪も知ってしまう。

だから善悪知るの木はサタンだったのです。

 

木の実とは、、。

 

イエス様はサドカイ派らの教えをパンの種だと証しました。

 

種は木でいうなら実です。

 

だから木の実を食べるなと神様は言いました。

 

悪魔の実は悪魔の教えであり、、

 

その途中では性的な事でした。

 

再臨については?

 

神様しかわかりません。

 

再臨したキリストはわかります。

 

 

空中再臨、携挙について、。

 

ほんとの事をいいますと、

かわいそうなので言いにくい。

 

死ぬほどに再臨をのぞんでいる人は過去も現代も

多くいます。

 

ほんとうに、死ぬほどの信仰者はいる。

 

空中・・・は、

 

無い。

 

偽キリストの予防です。

 

愛を考えたら、いきなりの携挙は

無いです。

 

それまでの家族とか他の関係で愛をはぐくんでいた

人をいきなり信仰故に携挙はできない。

 

それまでの愛を断絶する事になるからです。

 

神様への信仰は大切、だけど、

家族や恋人、子への愛がその時点で

御破算(ごはさん)になる事を望みますか?

 

神様は愛の神と決まっています。

 

その愛の神様がそんな事をしますか?

 

しません!

 

キリストの使命のもうひとつは。

 

原罪の赦しとは別にある事。

 

原罪が子々孫々につながっているので、

それを赦すのと別に、

神様に実際に肉体的に子孫につらなるようにする事。

 

それは、、、、これも言いにくいけど言います。

 

再臨のイエス様は子孫を残すという事です。

 

そうすることで、悪魔のつらなり、から

 

神様側のつながりに変わっていく。

 

だから、サタンはイエス様を殺したかったし、

 

事実 殺したのです。

 

初臨でそれができていたなら、再臨する

必要はありませんでした。

加えて言うなら、、それができていたなら、

キリスト教も必要なかった、。

 

今回はここまで、、。

 

 

 

 

 

 

 

 

この曲は反戦歌です。