大学進学でのジェンダーギャップ | わたしの夢はどこに・・・

わたしの夢はどこに・・・

私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

昨日ですが静岡新聞の朝刊に次のような記事が載っていました

要は静岡県における四大進学率についての記事でした

  今年の四月での調査だと思うのですが

  高校三年生に対する進路希望調査で、男女とも8割以上が進学希望だったが

  その内四大への進学希望は

  男子が6割に上ったのに、女子は4割にとどまった、と言うことで

  このことに対して、なぜ男女差が出たのかを考察しているのです

 

この中で静大の吉田教授の説明では

  「日本では、親が子に大学進学以上を望む『教育期待』が女子に対して低い」と指摘し

  それは「・・・親は女子の大学進学に”費用対効果”を感じにくい」としています

 

過去記事にも何回か書いていますが

  わたしは、まだまだ”終戦後”の雰囲気が残っている時代に育ち(団塊の世代です)

  高校進学率でさえ今の大学進学率に及ばず

  大学進学率は30%にも満たない頃

  家庭もそれほど余裕もない中、いろいろな条件は付きましたが

  (親たちは)「何も残してあげられるものはないけれど、教育だけは!」と言って

  大学に行くことを許してくれました(^O^)

 

振り返ってみて、この大学進学が

  その後のわたしの人生において

  とっても大きな支援そして分岐点になったのは事実だと思います

私達の世代の成長と同期するような形で

  年功序列から実力世界に移って行ったとも言われることが多いですが

  (わたしの感じた)現実世界では

  確かに実力で振り分けらるようになってきたのは事実ですが

  その実力勝負の場という土俵に上るのには”学卒”というパスポートが必要で

  それがない場合、その条件の代わりをクリアするのはとっても大変の様でした

あれから随分と時間が経ち

  そういうことはなくなったのか?というと

  どうなんでしょう??

  (進学率があがって)より見えにくくなっているのかもしれませんが

  逆にその傾向は強まっているのではないのかな?

多分、多様性の一環で道は増えているのかもしれません

  その道によっては(しょもない)学歴よりは経験の方が優先されるコトもあるでしょう!

    ※今では分数計算できない大学生がいるらしいし(>_<)

  でも何でもない”普通の人”にとっては

  却って”学卒”の看板は、やりたいことをやるための

  (当然のことながら)十分ではないけれど、必要な条件になってきているかもしれまん

 

でもそれは、わたしの結果論、経験則としての感想であり

  それ以上に、わたしが経験した

  あの”親からも、そして未だ社会からの束縛のない素敵な時間”

  わたしのこども達にも経験して、感じてほしい、と

  ただそれだけの為に・・・・コスパなんて考えたこともありません!

  こども達には、こども達の小さい頃から「大学生活っていいよ~」とお話してきました

ただそれだからと言って

  「勉強せい!」の「あの大学に行け」「この学部が(これからは)いいらしいよ!」

  なんてことは一言も言いませんでした

そして家のこども達の辞書には

  「努力」なんて言葉はないものだから

  (わたしからしたら)受験勉強なんてせずに・・・上の子は少しはしたかな(^O^;)

  行ける処に行って、なんとか卒業して社会人になりました(^O^)

 

こども達が、自分の大学進学をどう捉えるのかはこれからだと思うのですが

  いつかこども達から「(大学に)行かせてもらえて良かったよ!」と

  一言だけでいいから言ってもらえたなら

  それだけで、わたしにとっては充分ですネ(^O^)

 

そんな想いでの、こども達の大学進学なので

  家では、女の子だから、男の子だから、なんてことは微塵も考えることなく

  二人とも当たり前に、大学に行く気ならば、行ってね!というスタンスでした

 

わたしが大学に進学した時は”男の子”でした

  もちろんその時だって大学に進学する女子は居たけれど

  わたしの高校では(地域TOP校ということもあり)==>基本全員大学進学予定

  一学年9クラスの内、男女クラスは4組までだったので

  大雑把に2/9≒22%くらいでした

こうした時

  もしわたしが女の子だったら

  それでもわたしの親は大学進学を許してくれたのだろうか・・・

  もう二人とも亡くなっているのでいまさら聞くことはできませんが

  どうなのかな???

  それでも許してくれた親だったらうれしいのですが

  あとは弟がいただけなので、分かりませんね(^O^;)

  
身体の造りの違いによる配慮は別として

  世の中が、男の子だから、女の子だから、という

  ジェンダーバイアスのくびきから解き放たれるのはいつのことになるのかな?

もちろん

  わたしがジェンダーバイアスに一切囚われていない、なんていうことはありません

  こういうバイアスは意識しないで

  まわりから自然に刷り込まれるから厄介なのです(^O^;)

  バイアスに掛かっていること自体を認識していないから恐ろしいのです

でも妻の姓になる夫婦が5%も満たなくても・・・長男なのに!

  LGBTのTが1%に満たなくても・・・・・還暦すぎていても!

  あまり周りの目は気にせずに、構えることなく

  自分の想いに従って進んでしまうわたしだから

  これからもバイアスには気を付けながら生きていきたいですね(^O^)