13年前の今日、2011年3月11日14時46分ごろ
関東北部から東北の太平洋側を地震、そしてそれに伴う津波災害が発生しました
わたし自身はその時、会社に居て
この地でもそれなりの揺れを感じたので、すぐにネットで地震情報を検索すると
宮城沖で強い震度の地震発生の速報が流れ
その後、時間が経つにつれ災害の規模と範囲がドンドンと広がり
さらには大規模津波の発生が報じられてきました
そしてとどめが、原発による被災・・・
その(地震と津波の)震災後遺症だって
まだまだ復興できたというにはほど遠い状態ですし
その後も日本国内であちこちと地震が発生し
今年もお正月に能登で大きな地震に襲われました
その能登には
たまたま(福島の影響で)運転停止していた志賀原発と
住民運動の結果造られることのなかった珠洲原発があります
まがりなりにも(営業運転はしていなくても)休眠していた志賀原発は
重大事故は発生はしませんでした!
それは正しく十分な地質調査がなされた、安全な大地に上に建設されていて
充分に考え抜かれ検討しつくされた安全基準で造られていたから
重大事故を起こさずに、周囲に(どのくらいに範囲??)安全な施設だった
と言えるのでしょうか??
今回も大きな被害にはつながりませんでしたが
外部電源や非常電源が一時使えなくなった時があったそうです
そして別の視点で言うと
もし震災と原発事故が複合した時
今回はほとんどの避難路が遮断され
なおかつ放射能により他所からの救援は断たれます
ある意味今回の能登地震は、地震の発生自体が
お得意の”想定外”
そしてもしかして志賀原発が直接被災して事故を起こしたなら
それも”想定外”・・・・そこに活断層があるとは思わなかった等々
そして、何があっても基準に則って造っているから安全だ!
ではなく・・・・そう造るのは当たり前だけれども!
それとは別の管理軸/視点として
それでも事故が起きてしまったなら、どうするのか?
どう抑えるのか??
もし抑えきれないとなったら
どこまでの被害を容認するのか、受け入れるのか???
※今回は外浦側が隆起してしまったので
寸断されてしまった道路の代わりに海側からの救援も出来ませんでした
放射能漏れが発生していたとしたら
被災者自ら脱出してこない限り、孤立集落を見捨てるという決断もあるかもしれません
そうしたことも含めて検討し、住民に周知したうえで、準備しておかないと
いけないのだろうと思っています
そこまでの覚悟を、つくらせる方も、受け入れる方も
そしてわたし達日本人は持てるのだろうか・・・
そうした時
人間は原発を使ってもいいのだろうか?と思います
例えばガスタンクや、石油タンカーが被災して
想定外の状況下で炎上爆発したとすると
その周辺何kmの範囲は壊滅的に破壊されるかもしれません
それでもそれによる影響は
その時その範囲での(どんなに大きくても)被害でしかないのです
でもそれが原発による事故だったら
その被災される広さも期間も
他のことと比して段違いに大きいし長い・・・
まだまだ人類は原子力をコントロールできていないのです(-_-;)
そして原発に寄る発電は
運転時の費用は他の発電と比べて安く安定しているのかもしれません
でもLifeCycleで見た時
特に放射性廃棄物の処理を含めた廃炉処理等々を含めた時
その処理の仕方の行方も含めて
今の人類では、今の原発を使ってはいけない
のではないのかな、と思います
もちろん何もしなければ新しいモノが生まれることはないので
各国で実験炉の様な少数で小規模な研究施設は仕方ないのかもしれませんが
それだって日本と言う地震大国で行ってよいのか?
というと、とっても悩むところです(*_*;
もしつくるのであれば
どこかに首都のバックアップないしは分散地を設けたうえで
東京近郊につくるべきなんでしょうね(^O^;)