リブログした記事に書いた”ふつうって何?”の「ふつう」と同じ様に
子供たちがよく使う”みんな持っているから買って!”の「みんな」
みんなって何人?
何人中の何人??
そして、その総体はどのようなグループ???
このあたりの感覚は「ふつう」も同じですね
でもなんで”みんなと一緒”でないと、いけないんだろう?
”ふつう”でないと、いけないのかなぁ??
リブログの元記事でも書いているように
わたしは中学二年の担任から
「〇〇君はクラス全員が反対して一人になっても意見を通す」と、言われました
そしてそのころから大きくなるまで、いろいろな人から
「お前は変わっている!」とよく言われ続け
わたしは(発言者の思いは無視して)それを誉め言葉として捉えていました(^O^;)
わたしは、必ずしも人見知りだったり、人付き合いが苦手、というわけではないのですが
だからと言って、ボッチになるのが怖い、不安になるということもないのです
先ずベースは独り
そのうえで、いろいろな人とツルむことも楽しいとは思うのですが
一人になることも厭わないのです
今この場、この時の、”みんな/ふつう”って、どういうことを言っているのだろう
ということを思慮するだけの力は持っています
ただそれが自分と合っているのか、自分がそうなれるのか、したいのか、は別!
みんなと、ふつうと、違っていてもいいじゃん!という自分がいます
多分それが、わたしがトランスジェンダーであっても
それほど心を病むことなく
また自分を押し通してこれた原動力なのかな、と思っています
ただそんな私の周りにいる人々は
いらぬ禍に巻き込まれて、迷惑をこうむっているのかもしれませんが・・・
わたしは私
これまでも、これからも
人の目は意識はしても、気にしない様に・・・
昔むかし・・
はぐれの雲さんに
あこがれていましたネぇ~