30年前の今日、その日は日曜日だったけれど
名古屋市中区役所に婚姻届けを出してきました
縁あって彼女(元奥さん)と結婚することになったのですが
わたしの性格からいって、わたしの性向というか性癖を隠したままには出来ず
当時のわたしの知識の範囲で
「わたしは女の子になりたくて(成れないのは分かっているけど)女装する」ということはお話しました
カルーセルさんがモロッコでSRSしたのは、その10年前くらいで
DMS-ⅢでGIDの概念は発表されていましたが、まだまだ一般には伝わってはいませんでした
そのうえで、わたしのお部屋で仕事している時に女装することは黙認という形で容認していましたが
子供たちが生まれたころに埼玉医大でのSRS、小学校に入るころに特例法が施行されて
戸籍の上では女の子になれる道が開かれたことを知りました(^O^)
彼女は、わたしが年を取ったら女装を病めるようになるだろうと思っていたようで
上の子が中学生になるころから、「そんな趣味に大金をつぎ込んで!」とか
「上の子が知ったらまずいから」と、女装することに反対するようになっていきました(-_-;)
本当は20年目の夏に富士登山するつもりで、その前年に尾瀬の燧岳にも四人で登ったのですが
もうこの家には居られない、と思ったのですが
ちょうど上の子の高校受験の年、それで自分の意思確認も含めて一年延期しました
そして翌年、上の子の高校が決まって、シェルターの意味も込めて、近くに家を借りました
そのうえでGWに家族を集めて「女の子になるために、家を出る」と宣言して、家を出たのですが
その時に彼女が一番心配していた上の子が、一番私を理解しようとしてくれました
全ての関係が切れることも覚悟しての行動ではあったのですが
その時は、子供たちが大学を出て自立するまでは籍はそのままにしたいということでしたが
家を出た二年後には、わたしの改名の結果
変わってしまった保険証の被保険者(私)の名前を嫌って、離婚はしました
その後も、子供達の高校~大学の時期と重なって ・・・・ この間のことは過去記事にも!
特に上の子のことやらで、ず~っとつながりは続いていました
そして一昨年、彼女の誘いもあり、7年半に及んだ「勝手にRLE」も終えて
亡くなった彼女のご両親が住んでいた(同一敷地内の)隣の家に戻ってきました
それからのこの二年の間に、子供達も社会人になり、家を出ていきました
そうした中、戻る前に心配していたこともなくはなかったのですが
それでも何とか過ごしています(^O^;)
子供達も社会人になって、なかなか四人でそろうことは難しくなってきているのですが
一昨日はなんとか四人そろったので、わたしの思いは隠して、四人での昼食会を開きました
そして昨日下の子を送っていった時に、上の子には今日帰る時に
入籍して30年経ったこと、こんな親でも付き合ってくれていることの感謝を伝えました
そして本丸の彼女には、昨晩に仏壇の脇に先日買った1991年生のお酒を置いておきましたが
今朝見て見たら、置いてある場所がズレていたので気が付いているはずなのですが
今日改めて30年の感謝を込めて花束を渡しました
上の子は「お母さんきっと忘れているよ!」と言っていましたが
予想的中!
花束を渡したら、「誰の誕生日?お母さん??」なんて言っていました(^O^;)
そしてそんな今日は、先日採血したHRT血液検査の結果を聞き
半年に一回のHRT定期診察です
検査結果のE2は441.5 そしてLHは5.2 テストステロンは0.03測定限界以下
わたしのホルモン接種は卵胞系パッチ剤のエストラーナテープのみですが
わたしの身体には合っているようで、乳房もまだ成長し続けているようです(^O^)/
パッチ剤は、錠剤よりも肝臓サイクルが少ないのと
デポ注よりもホルモン値変動が小さくて
塗布剤よりも取り扱いと量の制御が易しいので、わたし的には気に入っています
その他のDダイマーやフィブリノゲンのような血栓症関連の値も
肝機能やその他の多くの項目の数値も問題ないとのことでした(^O^)