親とは?? | わたしの夢はどこに・・・

わたしの夢はどこに・・・

私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

以前録ってあった「八日目の蝉」を観ました

  永作博美、井上真央が親子?になった角田光代の原作をドラマ化したもので

  わたしは先に小説を読んでいましたが、この四連休のお時間でやっと見られました

親として慕っていた人が、自分をさらった人だった!

  親子として過ごした4年間!

  発見され、産みの親元に戻されて20年

  親子になり切れなかった20年!

双方向の4年と片方向の20年

  親子の絆って・・・

自分の幼いころの軌跡を辿り、思い出した写真館で最初で最後の家族写真を見ます

  その時の通い合った心を思い出し

  その時を、その人を憎み

  なかったものにすることは、必要ない

  その上で今があることを認め、産みの親とのこれからの新たな関係を築こうとします

 

20年の間には感じられなかった全幅の愛情を注がれた感覚の欠如を

  4年間の軌跡を辿る旅で思い出します 

 

そして昨日読み終えた本が下村敦史著「緑の窓口」

  小さい頃の体験で、人よりも食物を愛する樹木医の柊紅葉

  人とのコミュニケーションに苦手意識のある彼女

  母親の真意に気づかずに一方的に嫌ってしまった彼女

  それでも母親は言い訳せずに、甘んじてその憎しみを受け止めます

  対等の人同士ではなく、親として・・・・

  その気持ちは、パートナートになりつつある天野優樹から教えられます

 

わたしも子供たちと、どちらがより人としてできているかはわかりません

  子供たちには、特に上の子にはよく怒られます

  それでも、わたしには(自分が悪かったと思った時には)あとで謝ってくれますが(^O^;)

  そうした時でもわたしは、その怒りを対等な人としてではなく

  親として受け止めます

 

正直言ってなかなか難しい処があるのも事実です

  それでもわたしの考え方の根底は、先ずは”全面的な受容”

  わたし自身の考え方と違ってもね・・・

打算のない愛情のそそがれた感覚を感じ取ってもらえたなら

    受け取ってもらえているかな

      もらえているといいな(^O^;)

  人として、親になっても、生きていくことが出来ると思っています.

 

5組の母子の姿は以前にも一度書きました!