父親を名乗るおっさん2人と私が暮らした3ヶ月について | わたしの夢はどこに・・・

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私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

いきなり父親がやってきた、しかも2人も!? 笑って泣ける家族の物語。

たった一人の家族だった母親を病気で亡くした高校二年生の新田由奈。
母の葬式の日、そんな彼女の前に突然、父親を名乗るおっさんが現れた。しかも2人も!?
金髪でチンピラ風の竜二と、眼鏡でエリート官僚風の秋生。「今さら父親なんて認めない!」と反発するが、一つ屋根の下で暮らすことになってしまい――。
不思議な共同生活が紡ぐ新しい家族のカタチ。その中で知った母の意外な一面と残された想い。
あたり前に近くにいる人が愛おしくなる、いびつでおかしな親子の物語。

******************************************************* 裏表紙より *****

 

家族とは?

  親、特に父親とは??

ひょんなことから飼いだした子猫

  まだ飼いだして何日も経っていないのに、もう家族の一員みたいになっている子猫

  それに比べて、一緒に暮らしだしても、まったく家族になれない私たち

  由奈は何気なく口にします

  「家族ってなんだろうね」

 

同じ家に住んでいることなのだろうか?

  血のつながりなのだろうか?

  家族ごっこのゴール?

わたしは、「家族になる想い✖ふれあいの時間」の積み重ねかな、と思っています

  大きくなれば言葉を使った想いの伝達が時間をカバーすることもあるでしょうが

  幼子の時には

  やはり大きなウエイトを占めるのはどれだけ触れ合ったか、だと思います

 

母親は父親に先立つこと十月十日も早く親子になります

  父親が親になるのは、子が生まれてから!

  そこでどれだけふれあうか?

  DNAの半分を渡して、給与を運び、同じ屋根の下に居ても

  それだけでは親子に成れないのではないのかな、と思います

 

金髪でチンピラ風の竜二も、エリート官僚風の秋生も、

  本当は自分が実の父ではないことを知っていても

  臨終の母からの手紙一本で父親になるつもりで由奈のもとに来ました

それは彼らが、一度は本当に父親になる決心をしていたから・・・

  いくら想いだけがあっても、それを実際の行動に移して時間を積み重ねることがなければ

  それは無いものも同じ

  その想いを行動に移せるチャンスがあれば、ためらわず動いた彼ら

  その行動が、想いが、由奈を変えていきます  

 

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 私たちは、まだ家族じゃない。家族ごっこを続けている途中だ。

 ナツコのことを思い出す。ほんの短い間だったけど、ナツコは確かに私たちの家族だった。

 家族っていうのは、ありがとうがいらない関係のことなんだと思う。ナツコはまだ小さな子猫で、なんでもしてあげたいって思ったし、当たり前のようにそれを受け入れてくれた。そこにありがとうはいらなかった。

 私は、ありがとう、という言葉をいうときにいつも余計なことを考えてしまう。

 それを忘れられるくらいの信用が、私にとっての家族の定義かもしれない。私とお母さんのあいだには、それがあった。ありがとうを言わなくても、言われなくても伝わった。信用っていうのは、たぶん好きとか嫌いとかとは別の次元にある。

 そういう信用を作るのは、きっと一緒に過ごした時間なんだと思う。特別な思い出がなくたっていい。なにかを一緒に乗り越えたとか、意見がぶつかり合ったとか、そんのなくたっていい。一緒に晩御飯のテーブルを囲んだ回数や、おかえりとただいまを言った回数みたいなものが、家族を育てるのだろう。

************************************************************************ 本文より *****

 

わたしは意識して子供たちと夕ご飯を一緒に食べました

  現役SEでありながら(少なくとも子供たちが小学生までは)

  週五日くらいは夕食を共にしています

  お食事をし、子供たちと一緒にお風呂に入り、その後読み聞かせをしながら寝かしつけ

  その後がわたしのお仕事時間です(^O^;)

 

わたしは親にはなろうとはしましたが、父親になろうとはしませんでした

  もともと母親にはなれませんが・・・

親として、私としては、子供たちにはそれぞれに

  こうして欲しい、ああしてほしい、ということはあります

  でも絶対的な(ありえないですが)不始末でない限り

  他の人たち(学校の先生方も含めてね!)の反対があっても

  基本は子供たちに寄り添い

  ”あなたは一人ではない、少なくともわたしがいる”

  ということだけは伝えていきたいと思っています

  そして、もし失敗したとしても、いつでも羽根を休める場所があるのだと(^O^)

 

その想いの継続、積み重ねの上で、わたしは子供たちの親に成れるのかな、と思っています

  なれているのかなぁ・・・

そして家族には親子だけでなく、彼女もね

  こちらはチト微妙ですネ!

  今は夫婦ではないけれど、二人の子供の共通の親として

  共に子育てしてきたパートナーとして

  それなりのお時間を過ごしてきた家族かな??