先日下の子のお誕生お食事会をしようとして
目的のお店が閉店しちゃっていたので、その時はその近くのお店に行ったのですが
どうしてもそのお店に行きたいのか、ランチに市内にある同じ系列のお店に行くことになっていました
ただ行くのももったいないので昨日は、もう持って行ってもよいお洋服を厚手のゴミ袋に詰めて
今日運ぶことにしました・・・・まだまだたくさんあって、片付くか不安なのですが(-_-;)
昨晩(元)奥さんから連絡が入って「明日はカーテンレールを付けたり、いろいろしてほしいので
それなりの格好で来て!」と(-_-;)
作業があればそれなりの格好はします!
多分出かけるにあたっての牽制なのではないかと、うがってしまうのですが
こういう積み重ねが大きな亀裂に至るのではないかという(自分に対する)恐れがあるのです・・・
先日の切り替えたお店で、LINEに登録するとサービスがあるのですが
わたしは登録してあるのでサービスのエビフライは、それが好物の下の子に上げたのです
その時にお母さんが下の子に「あなたも登録したら!」と何度も言うのです!
一回は、こういう情報もあるよ!と教えてあげるのは構わないのですが
言われて動かないのは、その人なりにいろいろと判断して、”しない!”ということなのです
それを自分がよいと思ったことは、ほかの人も良いはずだと決めつけて
自分の意に沿うまで繰り返し言ってくる、他人にはその人なりの考え判断があるのだ
と、いうことが考え方から欠落しているのですネ!
本人は良いことを教えているのだから、と悪いことをしているとは思っていないのです
これは義父、義母(いとこ同士です)とも基本同じ発想だったので
同じ思考を引き継いでいるのだと思います
先日も下の子に、「登録すれば余分な要らぬメールが入ってくるから嫌なのだ」と言われていましたが
どこまで理解したのかなぁ・・・
今日のお食事中にも同じようなことがあったので、たぶんこれからも治らないと思います
隣に引っ越した時の心配も、まさにこのことで
離れていればこそ、聞き逃せておけばよいことでも、隣になるとね・・・
子どもたちに対しても、わたしは子供たち自身で考えられるような、決断できるような人にする
ことは考えて子育てしてきたつもりですが
どう考えるかは一切仕向けたことはありませんでした
もちろん私としては、今この時ならばこうした方がよいのでは?という想い/考えはあります
でも実際にその道を歩むのは(一時期共に歩めたとしても)最後まで歩むのは子供自身なのです
だとしてら、子供の人生は子ども自身のもので、子供自身が決断していくものだと思うのです!
もちろん相談してきたら、それには真摯に相談に乗るつもりですが
あくまでも決断して歩んでいくのは子供自身なのです
わたし自身がこれまでそうしてきたように・・・
親は分かれ道で行く先を指示(指定?)するのではなく
分岐点に来たことを知る感性、その時に判断/決断できる胆力、そしてそのバックボーンとしての知性
これらを子育てを通して、その時までに身に着けさせることだと思っています
その時にどう判断するかは、それまでの子育ての結果なのだろうと思います(^O^;)
もう子供たちは二人とも成人です
実際には、まだ経済的には親がかりですが、それももう少しの期間
さらに自律(自立)していきます
さみしいのではなく、うれしくならなくては(^O^)
本題に戻って、ここにあったはず!というところには別のお店が!
先日行ったお店の系列の新しいお店でした!
ナビで確認すると、確かに場所は間違っていません(^O^;)
スマホで確認すると近くのモールに入っているようです
急遽そちらに向かいます
日曜のお昼、駐車場に車を停めるのに苦労しましたが、何とか停めて、お店に!
こちらも1時間待ち、わたし一人ならほかのお店に行っちゃいます
下の子はオーバーポンド!
それほど苦しそうにもせずに、ペロッと食べきっていました(^O^)
昔々岩手のわんこそば、食べ過ぎて戻した子とは思えないですネ!
お食事終わって向こうの家に戻って、カーテンレールを釣ってから
今日も日帰り温泉で、身体を休めてきました
今日も一日Tバックでした(^O^)/
お着物の時は”穿かない”とも言いますが
昔はなかったからだけなのかな?
浴衣ならまだしも、お着物なら肌着、襦袢、着物と三重になりますから
ラインがひびくとも思えないですが・・・
浴衣を脱いだ時、他のお客様はどう感じたかな(^O^;)
さあ これから「君の名は」です!