とある総合内科医の苦悩 -15ページ目

とある総合内科医の苦悩

ある関西の中小病院で働く総合内科医の独り言です。
ちょっと毒もありますがご注意ください。

京都のとある病院で感染症と総合診療と時々リウマチを学んで過ごしています。


※なお、原則的に医療的な内容の相談はいっさい御受けしません。



~引用~

質問(8年目勤務医)
ERで近隣の施設から、「身寄りがなく、ほぼ寝たきり、難聴もあり、意思疎通が困難な高齢者」が様々な理由で搬送されて来ます。自分のER診療のモチベーションが保てなくなることがあります。こういう時のモチベーションの保ち方を教えて下さい。

回答
こういう時にモチベーションが維持できる聖人君主はいません(笑)。こういう時には、私もモチベーションが下がります。でも、自分の高齢者の救急診療での大きな間違いは、「カリカリしながら診療した時」に起こしたことを思い出して、自分を律することにしています。さらに、「老年医学に強い総合医を養成してこなかったこと、在宅医療で看取りができる家庭医を養成してこなかったこと、これらのツケを、今、みんなで払っている」と考えるようにしています。救急医療が円滑に行われるには救急医や各科専門医を養成して、救急総合病院を増やしてもうまくいかないのです。老年医学に強い総合医を養成すること、在宅医療で看取りができる家庭医を養成することも上手くやらないと、その地域の地域医療も救急医療もうまくいかないのです。その意味で、救急医を目指される医師も、総合医や家庭医の養成を応援する姿勢が必要です。

~引用終わり:感染症診療の原則より~

高齢の方の救急搬送が増えています。
今後もさらに増えるでしょう。

でも、日本の医療は待ったなしです。
どういう日本の医療体制にしていくか医師だけでなくみんなで考えて行く時期にきているかもしれません。
とある改憲派の方の文章が流れてきたので取り上げてみます。
ちなみに僕は完全に護憲派です。

有名人としてfacebookに登録されていてシェアもされていないようなので引用は大丈夫という判断をしています。もし、それは困るという連絡が入ればいつでも削除する方針とします。
では以下、引用です。

ー以下、引用ー
憲法9条を守れという人のその意見というものは、ほとんどが情緒的・感情的な理由によるものだと言える。
およそ一見論理的に聞こえるものであってもその理屈は破綻していることが大半だ。
要するに聞く価値など見出すことができない。
それは過言ではない。 
護憲論者の大概が、「戦争はよくない」「戦争はきらいだ」という。
しかしながら、彼らに『それでは戦争とはどういうものなのか?』という問いを投げかけてみて、まともな回答をできる人に出会ったことがない。
戦争とは、国益を追求する手段の一つであって、国際法上の合法行為なのであります。
したがって戦争行為そのものが合法であるためにそこでの殺人はどのように残虐であったとしても罪には問われない。
そこでは開戦にいたる手続きや攻撃の対象と攻撃方法が『してはならないもの』に該当していないのかどうかが問われるのです。
これを言うとカミツイテくる人が必ず出てくるのですが、彼らにはそこで言っておきたい。
このようなことを述べたからといって戦争を肯定しているわけではないのです。
戦争などは起こすべきものではない。
しかし、自らが起こすべきものではないものの世界の中には、突拍子もない考え方をする人間も居る。
無用心にも盲目的に人を信じることには懐疑的であります。
戦争を起こすものに対しては、それによりかかる火の粉を振り払う準備と心積もりはできるようにしておかねばならぬのであります。
それが愛する何かを守るということであります。
護憲論者には真の意味での人に対する愛情が足りぬのであります。
違わないでしょう!

ー引用終わりー

ここからはコレを突っ込んでみたいと思います。長いので最後までおつきあいいただいた方はありがとうございます。以下、引用部分は「」で表現します。

「憲法9条を守れという人のその意見というものは、ほとんどが情緒的・感情的な理由によるものだと言える。」
➡決めつけはよくないと思います。 
 
「およそ一見論理的に聞こえるものであってもその理屈は破綻していることが大半だ。」
➡あなたの論理も破綻しているのでこれから突っ込みますね. 
 
「要するに聞く価値など見出すことができない。
それは過言ではない。」 
➡過言です。 
 
「護憲論者の大概が、「戦争はよくない」「戦争はきらいだ」という。」
➡はい、人が死ぬということは悲しいことだと思います。 
 
「しかしながら、彼らに『それでは戦争とはどういうものなのか?』という問いを投げかけてみて、まともな回答をできる人に出会ったことがない。
戦争とは、国益を追求する手段の一つであって、国際法上の合法行為なのであります。
したがって戦争行為そのものが合法であるためにそこでの殺人はどのように残虐であったとしても罪には問われない。
そこでは開戦にいたる手続きや攻撃の対象と攻撃方法が『してはならないもの』に該当していないのかどうかが問われるのです。」

➡この回答がまともらしいです。全然まともではありません。まず根拠が示されていないのに断定調です。国際法というものは時代や国家間でその都度状況が変わっていく非常にあいまいで難しい性質のものですので断定できるものではないということを言っておきます。
国際法上、現在は国際連合憲章では戦争は国益を追求する手段には認められているという文言は入っていません。むしろ、平和的手段での解決を模索するように提案されています。
百歩譲って戦争が合法とした場合ということはおそらく戦時国際法上の合法行為と判断しているとのこと前提で話をすると、
現在は戦時国際法では「非戦闘員の保護」をするように定められています。(ジュネーブ条約がその根拠)なのでそこでの殺人は罪に問われないわけではありません。ジュネーブ条約に日本は1953年に加盟しており、これを記述した人は知らないというのであればここですでに論理的でもありませんし、日本が加盟していることを知らない「非国民」であります。
これ以上言う必要もなくなってきています。
 
「これを言うとカミツイテくる人が必ず出てくるのですが、彼らにはそこで言っておきたい。
このようなことを述べたからといって戦争を肯定しているわけではないのです。
戦争などは起こすべきものではない。」
➡この点については激しく同意します。
 
「しかし、自らが起こすべきものではないものの世界の中には、突拍子もない考え方をする人間も居る。」
➡そうです。そしてそれは根拠が薄弱であるのに自分の言いたいことだけ言うあなたのことでもあります。

「無用心にも盲目的に人を信じることには懐疑的であります。」
➡その点についても激しく同意します。あなたの周りの人があなたの言動を疑うことも時には必要でしょう。
 

「戦争を起こすものに対しては、それによりかかる火の粉を振り払う準備と心積もりはできるようにしておかねばならぬのであります。」
➡しかし、対立というものは相手への配慮なしには語れません。「緊張のある対話」ができない日本の外交力のなさをむしろ批判すべきでしょう。火の粉になる前に止める手段がまだまだあります。
そして、もし火の粉がかかってきそうな場合にはまずは「国連」や「国際司法裁判所」などに訴える手段もあります。武力でしか解決できない問題はありません。 

 
「それが愛する何かを守るということであります。」
➡それは相手国の誰かが愛する人がいることを忘れた一方的な意見にすぎません。
 あなたが大切な誰かを守りたいと思う事は当然です。しかし、戦争しようと考えている人たちもまた同様に考えているのです。
 
「護憲論者には真の意味での人に対する愛情が足りぬのであります。」
➡真の意味で人に対する愛情が足りないのはあなたです。
 それは国籍が異なればその人に対する愛情はないことといっしょです。ヘイトスピーチを繰り返す新大久保の愚か者たちと本質的には同じです。
 
「違わないでしょう!」
➡上記理由で違います。考えを改めた方がいいですし、その訴えは論理的に大きく間違っています。
 
これでおわりです。
長々とすいませんでした。

ただ、こういった論理的に破綻しているのに論理的に一見見えてしまうような文章は要注意です。
情報を取捨選択し、自分の頭で考える事がとっても大事だと思います。

質問・疑問・異論があれば書き込み自由です。
mydearestdarlingでした。