とある総合内科医の苦悩 -14ページ目

とある総合内科医の苦悩

ある関西の中小病院で働く総合内科医の独り言です。
ちょっと毒もありますがご注意ください。

京都のとある病院で感染症と総合診療と時々リウマチを学んで過ごしています。


※なお、原則的に医療的な内容の相談はいっさい御受けしません。

最近HIVの診療の比重が大きくなってきている。

その中で多くの方はsexualityとしてはminorityであることが多い。

端的に言うと男性同性愛者が多いのです。

ただ、性的な嗜好で差別されることもありとても難しい世界です。

しかし、日本は実はもともと性的には寛容な国のはずで江戸時代には普通に男性同性愛者の将軍もいたくらいです。(正確にはバイセクシャルという話も)

なのになぜこんなに偏見の眼でさらされるのか。

ここで思い出す事は「ハンセン病」です。

ハンセン病患者さんは隔離の必要性が乏しいはずなのにずっと隔離生活を余儀なくされました。

日本特有の「くさいものにはふたをしろ」文化です。

医学的に証明されていることが感情的に受け入れられないという状況は今の日本でも普通にあるのです。

そして、そういった差別をしていると気づかずに生活をしていることが多い。

自分自身にもそういった差別的な視点がないか常に気をつけないといけないと考えています。

願わくば、sexual minorityがカミングアウトしやすい環境を作るように貢献したいと考えています。
「ことば」というものはなんだろうかと考えることがある。

脳梗塞を代表とする病気で「ことば」をしゃべることができない・伝える事ができない、「ことば」が理解できない・伝えられない人たちがいる。

しかし、そういった方々とコミュニケーションは取る事ができる。
「ことば」がなくてもコミュニケーションは可能である。

では、「ことば」は何のためにあるのか。

世界には同時多発的に「ことば」が発明されている。

時折、「外国語」という単位でぼくらを苦しめる「あれ」である。

ただ、その起源を考えると「複数」の人が「必要」にせまられて「思いついたもの」であるはずなのだ。

なんで「ことば」はあるのだろう。

なんてとりとめのないことを考えています。