スカボロー・フェア (Scarborough Fair)

今回はサイモン&ガーファンクルのヒット曲「スカボロー・フェア」について紹介します。


■ サイモン&ガーファンクル (Simon & Garfunkel)



 

まずは有名なサイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」をお聴きください。
映像は、1981年9月、ニューヨーク市セントラルパークで行われたコンサートでの収録です。
このライブ・アルバムは1982年にリリースされました。

詠唱なしのバージョンです。

 

 

「和訳」
スカボローの市へ行くのですか?
パセリ、セージ、ローズマリー、タイム
そこに住むある人によろしく伝えてください
彼女はかつての私の本当の恋人だった

キャンブリックのシャツを彼女に作るように伝えてください
パセリ、セージ、ローズマリー、タイム
縫い目も残さず針も使わずに
そうしたら彼女は私の真実の愛になれる

1エーカーの土地を彼女に見つけるように伝えてください
パセリ、セージ、ローズマリー、タイム
海と岸辺の間にある土地を
そうしたら彼女は私の真実の愛になれる

革でできた鎌で刈り取るように伝えてください
パセリ、セージ、ローズマリー、タイム
そして全部集めてヘザーの束にしてほしいと
そうしたら彼女は私の真実の愛になれる


 

サイモン&ガーファンクル (S&G) について
1964年にニューヨークで ポール・サイモン (Paul Simon)アート・ガーファンクル (Art Garfunkel) によって結成され、1960年代後半から1970年代初頭にかけて活躍したフォーク・ロック・デュオです。
数々のヒット曲を世に送り出しました。

しかし、人気の絶頂期に、5枚目のスタジオ・アルバムをリリースした直後に、志向する音楽の違いから解散してしまいます。
その後、2人はソロ・アーティストとして音楽活動を続けます。
そして、1981年再結成され、セントラルパークでのコンサートの開催となったのです。コンサートは成功するものの、2人の溝は埋まることはなく、恒久的な再結成にはなりませんでした。


スカボロー・フェアについて
原曲は16世紀イギリスの伝統的なバラッド(ballad)です。
バラッドとは、特にイギリスで、メロディに乗せて歌われる物語風の詩を指します。
スカボローとはイギリス北東部ヨークシャー州にある海沿いの観光地(現地ではスカーバラと発音)のこと。
フェアはスカボローで定期的に開かれる市・市場のこと。
すなわち「スカボロー・フェア」とは「スカボロー市」のことです。

曲の内容は・・・

スカボロー市で、聴き手に昔の恋人への伝言を頼むという形式を取っています。
「縫い目のないシャツ」を作ったり、それを「乾いた井戸で洗う」など、一連の不可能な仕事を成し遂げてくれれば、再び恋人になれるだろうと歌った曲です。


16世紀から歌い継がれてきたスカボロー・フェアの歌詞の隠された意味は・・・
中世に戦いで亡くなった騎士が悪霊となって荒野をさまよいます。
スカボローに残した恋人を忘れられないからです。
彼は、通りすがりの旅人を見つけては、スカボローにいる恋人への伝言を頼みます。
その内容は・・・
「針を使わないで薄手のシャツを作ってほしい」とか「海辺の波と陸地の間に広い土地を見つけてほしい」といった実現不可能な内容です。
でも、その不可能が実現できたら、死んだ人間も生き返って、彼女に会えるというのです。
もう一度恋人になりたいのに、実行不可能な要求を出すということは、恋人になれない、なることはないという前提があるからです。
悪霊となった騎士は、来る日も来る日も通りすがりの旅人に語りかけます。
旅人は、その願いを聞き入れてしまうと悪霊に魂を乗っ取られてしまうので、話に乗らないように、しきりに魔除けのハーブ(香草)の名前を唱えます。
それが「パセリ、セージ、ローズマリー、タイム」であり、悪霊から身を守るためのおまじないなのです。

<こんな訳も>
スカボローの市場へ行く旅人に、そこに住んでいるであろう、かつての愛する女性に向けて伝言を頼みます。

彼女は戦争の犠牲ですでにこの世にいません。
今なお、彼女を愛し続ける彼が伝言として言いたかったのは、その伝言がもし彼女に伝わり、そしてその無理難題が万が一にも叶えば、また愛する彼女が自分の元に戻ってくれるという奇跡を願っているのです。

「パセリ、セージ、ローズマリー、タイム」のハーブは、彼女が大切に庭で育てていたというのです。

あなたなら、どちらの解釈が好きですか?


■ マーティン・カーシー (Martin Carthy)
S&Gのデビュー時、デビューアルバムは数千枚しか売れず、人気はいま一つでした。デビュー失敗に失望したポール・サイモンは、イギリスを始めとするヨーロッパへ旅に出ます。そして、イギリスを訪問中にマーティン・カーシーに出会います。
そして、マーティン・カーシーのアレンジした「スカボロー・フェア」に巡り合います。
マーティン・カーシーによる「スカボロー・フェア」は1965年リリースされました。

 


この曲に惚れ込んだポールは、1,800ポンドで楽曲の使用権を取得します。
そして、独自の歌詞(詠唱) を追加して、1966年に発表します。
S&G版の「スカボロー・フェア」は、「サウンド・オブ・サイレンス」とともに、1967年に公開されたダスティン・ホフマン主演の映画『卒業』の挿入歌として用いられました。


■ 再びサイモン&ガーファンクル
2人とも1941年生まれで、多感な20代をベトナム戦争(1960-75)の真っただ中で過ごしました。そのため、彼らの作品には「反戦」をテーマにした歌詞・アレンジが見られます。「スカボローフェア」においても、伝統的な歌詞の間に、反戦のメッセージが輪唱のように付け加えられています。
この追加部分は、コンサートでは歌われませんが、映画『卒業』のサウンドトラック盤には入っています。

詠唱ありのバージョンです。

 

 

「詠唱」
丘のそば 緑深い森の中
雪に覆われた大地でスズメの足跡を追いかける

毛布と寝具に包まれて
山の子は進軍ラッパの音にも気づかずに眠る

小山の斜面では舞い散る落葉が
銀色の粒の涙で墓を洗っている
兵士は銃を磨いて手入れをしている

戦いの怒号が深紅の大軍に燃え立ち
将軍は殺せと兵士に命じる
そして戦えと、戦う意味も忘れているのに



イワン・マッコール (Ewan MacColl) とペギー・シーガー (Peggy Seeger)
1957年発表。
「スカボロー・フェア」のメロディは、イワン・マッコールとペギー・シーガー による The Singing Island に収録されているものに由来します。
先ほどのマーティン・カーシーはこれを参考にしたと言われています。
イワン・マッコールは劇作家で詩人でありシンガーソングライターです。50年代から60年代にかけてイギリスの伝統音楽の復興運動を起こし、見事に復活させたブリティシュフォークの立役者です。
妻のペギー・シーガーとフォークバンドとして活動しました。
メッセージ性の高いその歌詞は、人、社会、国に対してモラルを問うような内容でした。

 




■ 秋本悠希によるスカボロー・フェア

最後に、オペラ歌手の秋元悠希によるスカボロー・フェアをどうぞ。

澄んだ透明な歌声が心に染みます。

 

 

 

 

【 お ま け 】
上野洋子のスカボロー・フェア
印象が全く違う軽快なアレンジになっています。
上野洋子は元 ZABADAK (ザバダック)のメンバーです。

 


ZABADAK については以前の紹介を参照してください ➩ こちら