2ヶ月も日本から離れた事が無かった俺には、久しぶりの日本はホッとする場所だった。



そんなのも束の間、世界一周する前にまずば日本一周の旅が始まった。



最初はバイク2台で始まり、最終的にはビッグスクターに二人乗りと言うスタイルに落ち着き、北海道から沖縄まで走り、更に途中で勢いで韓国に渡り、韓国もバイクで一周してみた。



まー、これも思い出はた~っくさんあるんだけど、それはその内に。



ただ、このバイク旅をする前に俺がやったこと、それは大型バイクの免許を取ること。



なにせ、妻はすでに大型バイクの免許をもってたから、そのまま旅に出ると俺が中型のバイクで走る後ろを妻が俺よりも大きく立派な大型のバイクで走ることになる。



なんかそれって俺ちゃっちい感じがしたんだよね、そのまんま家庭の立場も決まりそうだなとガクブルっと恐怖に打ち震えたので、まーサッサと取りに行ったよね。



無事にバイクの旅を終えていよいよ日本を発ち、海外に行く事に。



まずはアメリカのロサンゼルスに向かったんだけど、行きの飛行機の中でまるでホームシックの様に切なくなる。



だって、これからしばらく日本に戻れないし、そもそも未知の世界に行き危険な目や面倒臭い思いもしなきゃいけないかもしんないし、なぜそんな可能性があるのに海外に行くのか。



なんて事を思ってるのは俺だけで、嫁はいよいよ始まる世界一周に胸を躍らせていた。



あと数時間後にはロスに着いて右も左も分からない旅がスタートします。



今思うと、本当良く踏み出したなあの一歩、って思う。



なんとかなった今は、良くやったな位だけど、リアルタイムの当時は大きな一歩だった。



次回はいよいよスタート世界一周スタート。
















最初にまず校長によるクラス分けの為の面談が行われた。


校長が話していることをどれ位理解でき、それに返答できるかが鍵。


もちろんサ~ッパリわからなかった俺は一番初歩のクラスへ。


妻はもう一つ上のクラスへ。


クラスの面子は、最初は19歳の男子から43歳のおばちゃん?までの7人。


一番初歩クラスの俺らの授業は、歌やお遊戯などの幼稚園的な内容もあった。


まー、確かに幼稚園児に教えるのと変わらないレベルだからね。


後半には単語と文法のテストもあったりしたけど。


この2ヶ月間は色々新鮮だった。


年齢バラバラのクラスメイトと飲みに行ったり遊んだり。


日本だったら年が違うと敬語を使ったりするけど、学校内は日本語禁止で英語での会話だから、英語にも丁寧な言い方はあるけど普段友人同士で基本的に使わないから18歳の子とも対等に喋ってて、そーすると学校以外での日本語での会話でも自然と年の差関係なくタメ語同士になるわけです。


なんか今までずっと日本の環境にいて、年齢やキャリアによって言葉を使い分けてた俺からすると不思議。


18歳の子からタメ口聞かれてるなんて、日本だったら礼儀知らずで怒ってるとこだけど環境が違うから別に怒りはなく、本当なんか不思議な感じ。


やっぱり、こう言うとこでも知らずに日本の環境に当たり前に馴染んでるんだな~と思う。


旅してどんだけ日本の当たり前が海外では、おかしな事や素敵なことだと思ったことか。


あとはよくインド人やフィジー人と酒を飲み交わした。


なんであんなに下ネタ好きなんだろう?と思える位皆飲むと、エロ話をするんだよね。


それから皆が危ないよと言いう中、妻と車で島内一周もした。


近くの島は海が綺麗だから泳ぎにも行った、住んでたビチレブ島は排気ガスも酷いし海もドンドン汚れていってたけど。


あとは洗濯しようと、ベランダに出たらインロックで鍵が閉まり家族が帰ってくるまでの3時間ただひたすら星を眺め蚊と格闘したこともあったけ。


とにかく、ついこの前まで仕事してた時とはまーーったく違う環境にいる。


仕事の時に使ってた、思考する部分が必要ない。


だから、今までと違うところを深く考える余裕があって、その中でも環境について前より意識が働くこととなった。


だって、すっげー当たり前にみんなゴミをポイポイそこらに捨てるんだもん。


えーっ!なんのためらいも無いの?って思う位、当然の様にみんなゴミを道に捨てる。


その光景が俺には、まるで家のゴミ箱に捨ててる感覚の様に見えてしまって、それを2ヶ月間も見たら、いい加減地球はお前のゴミ箱じゃねぇーぞって思うよね。


昔から俺もなるべくゴミは捨てないようにしてたけど、この光景を見続けたせいでなるべくでは無く絶対に捨てないに変わった。


他にもこの島民は犬に対する愛情ねぇ~な~とか、色々感じた事はあったけど、気づけばあっという間に楽しく2ヶ月間が過ぎた。


最後の授業の日は、妻のクラスと合同でお別れ会を開いてくれた。


涙してくれた人達もいて、俺ももらい泣きしそうになった。


まさか、一回社会にでてからこんな環境に出会えるとは夢にも思わなかったな~。


肝心の英語は多少聞き取れるのが多くなった位で、大きな成果としては英語が生理的に嫌いだったのが特に嫌いでも好きでもなく普通になったこと。


嫌いじゃなきゃ、この先勉強もできるからね。


クラスメイトが空港まで見送りに来てくれた中、俺達は日本に帰ったのでした。


その時のクラスメイトとはもちろん今も連絡してるし、たまに会ったりもしてる。


さて、次回は日本帰国後のからスタート。

「ここです!」担当にかたことの日本語で言われて着いた一軒の家。


中に入ると、今までの人生では接点がまるで無かったインド人の女の人がいた。




しかも結構綺麗。




その横にはわんぱくそうな男の子と、これまた将来が楽しみだと思える位美形な女の子がいた。




担当の人が今日からここにホームステイするのがこの子だよ的な状況説明を恐らくしたんだろね、するとこのインド人の女の人がなにか言ってきたんだけど、ぜ~んぜ~ん何言ってるかわからない。




俺も始めましてとか、宜しくとか伝えたいけど英語わかんないからさっぱりどーすることもできない。




で、あとはジェスチャーと相手が何を伝えたいかを必死に顔の動きや雰囲気で読んでた。




その結果、多分だけどこの部屋があなたの部屋でとりあえず休んでて的な感じっぽかったのでベットに横たわると、8時間も飛行機に乗ったこと無かったし(今考えりゃなに言ってんだかって感じだけどね。)、外国に来て言葉もわからない環境に落ちた疲れもあってすぐに寝てしまった。




3時間位寝ると旦那が帰って来て、俺になんか話しかけてきたんだけど、




いや~、マジわかんないだよ・・・・




英語ホント駄目なんだって、分かんないとかじゃなくてもう嫌いなレベルだからね。




さて、ここでまた必殺空気を読む。




付いて来い的なことだなと思ってとりあえず付いて行く。




一応comeとかschoolとかの単語位はかろうじて分かるからそれでなんとか。


恐らく学校までの道を教えてくれたんだと思う。




学校に着いた時にあれが明日から行く学校だよって教えてくれたからね。




今は昔より英語も聞き取れるようになったけど、基本はあの頃と変わってない。




自分が聞いて分かる部分を紡いで後は推理していく、分かったり聞き取れる単語が増えた分精度が上がっただけの事。




いよいよ明日から語学学校の始まり~





















そもそも世界一周だって妻の「あたしバックパッカーになる夢やっぱり(やっぱりってなに?)捨てられないから、世界一周してくるけどどーする?」から始まったわけだし。




妻とは出会って2ヶ月で結婚、正直遊んでいた俺は妻と付き合って他の女の子とは綺麗さっぱり関係を終えて、予想外の結婚をして2ヶ月経った時にいきなりのこの宣言。




まず思ったことそれは、あーもう行くのは決まってんだ・・・




もうすでに30も越えて、一応それなりに仕事もしてたし会社も伸びてるところでこのまま会社にいれば結構良い暮らし将来的にできそうな感じの中、みんななら奥さんからこう言われたどうしますか?




ただ、俺は昔から独立した方が良いよって言われるタイプだったのもあって会社員で終わる事は無いんだろうな~と漠然位に思ってたのもあったから、良い機会だと思って妻の世界一周に付いて行くことにしたんだよね。




なので主導権は妻。




フィジーへの語学留学ももちろん妻主導&実行。




手続きなんかもすべて妻が行った。




この頃の俺は海外=危険だったから、海外にビーチサンダルで妻が行くとか言うと、何かあった時にダッシュで逃げれないから止めとけとか言ってた(笑)




しかし意外にもフィジーはこれが当てはまる国だったし、身近な危険度で言えばいままでで一番危険な国だった。




フィジーはインドネシア同様に沢山の島が集まった国なんだけど、その中でもメインのビチレブと言う島に語学留学をしたわけです。




ここには多くの日本人が通ってて、失業者が多いこの島の連中からしたら小柄でお金持ってる日本人が沢山学校に通ってるんだから、自分が生きる為に日本

人を襲うと言うことがあっても然りだったんだよね。




さーほぼ始めての海外、今日から2ヶ月間未知の国フィジーでの勉強が始まる、フィジーの空港に着いて担当の人を待つ間にそんな事を思ってた。


担当が来て早速ホームステイの家に送り届けてくれる。




今回妻はフィジー人の家に、そして俺はインド人の家にホームステイすることなってるんだよね。




もちろん一緒に同じ家ってのが夫婦だったら尚更普通なんだけど、妻は辛いものが食べれない、子供が嫌い。




俺は辛いもの、カレーも子供も動物も好き。




ってことで、条件が全く違うから別々でいいかと言うことになったんだよね。


なので2ヶ月間は島内別居状態。




あーあとちなみに、今回の留学の件があるまで英語にイギリス英語とアメリカ英語があるのも知らなかった俺。




持ち帰りをアメリカ英語はテイクアウト、イギリス英語はテイクアゥエイって言うでしょ、そんな事すらまーーったく知らなかった。




さて、そんな俺が妻と別れてホームステイ先に着いたところはまた次回で。























うーんタイトルにこう書いちゃう位、行きたくて始めた世界一周じゃなかったんだよね。


今世界70ヶ国を周って、冷静に考える事ができるとなんで俺は海外旅行に興味がなかったのかと言うと、

 日本に満足してた

もともと日本に温泉や食べ物が好きで満足してるのに海外に行く必要が無い

 英語が喋れない

話せないから旅になんないでしょ!って思ってた。

この頃は旅に興味も無いから英語以外にこんなにも沢山の言語があるとは思っていなかった。

 海外になんの魅力があるのかわからなかった。

TVとかでふーんこんなのもあるんだと思う程度満足してた。



こんな俺が実際世界を見て周ってどう思ったかというと、

 日本に満足してた

日本の政治や経済状況を知るにつれ、日本以外で住めるところは無いかと考え出した頃でもあったので妻と旅をしながら日本以外で住めそうなところを探すと言うのも旅のサブ目的にしていたのに、気づいてみれば日本ほど良い国無いよねって結論に達した。

他の世界一周組みとも良くこれについては話したっけな。

なので、更に日本の良さを改めて知ってしまい日本を更に好きになった。

 英語が喋れない

なんとかなる!

いや~、本当に全くしゃべれないと不便だけど、いまどき何とかなるもんだよね。

だって英語とかじゃなくてアラビア語とかなんか喋れるわけないじゃん、そんな国に行ってもなんとかなるんだから、英語の国なんかまだモラルとかもあるしどーにでもなるよね。

ちなみに究極言葉が通じない、例えばイエメンとかは俺日本語で喋ってた。

それでも、あっちも理解する気があるとなんとなくわかるもんなんだよね。

もちろんジェスチャーとかも入れるけど、世界の中でも日本人は空気が読める人種だからなんとなく分かるんだよね。

 海外になんの魅力があるのかわからなかった。

今では俺が魅力の要素だと思ってた、例えば世界遺産とかよりもその国に行かなきゃわかんない人の優しさや宗教観などの文化の違いとか、行ったからこそわかるものがあるんだというのが魅力だと分かった。

世界遺産なんかすばらしいものいっぱいあるけど、大分ガッカリなのも腐るほどあったからね。


さて、こんな俺がまず世界一周の前に英語を習いに行ったのがフィジーでした。


次からはまずその時の様子から振り返っていきたいと思います。