自分が引きこもりなせいか、
最近、不登校のお子さんについてのブログを読むことが多い。

わたしはどうだったろうとかんがえた。


小学5年生くらいの時、
風邪か何かで1週間ぶりかで学校に行ったら、
さんすうの授業がまったくわからなかった。

確率の勉強だった。
黒板の問題を自分で考えて当てはめてみたが、全部はずれていた。

そこで苦手意識がでた。

今では、投資や賭け事で苦手なはずの確率を使っていて、理解できているから、小学生の時に置いてきた問題は解けている。


学校を休んだら勉強を聞き逃してしまう。休んだらついて行けない。と思ったから、その教訓は今でもある。

わたしの友人も「そうだよ!」と同感した。
病気がちでよく学校を休み、子供のころ九九を自分で作ってやっていたらしい。


わたしは小2の時の担任がいつも膨れっ面をしている女の先生でヒステリーだった。その人の相性なのか、よくなぜか嫌なことが多発した。それも
家でもそのことで、親にマジで殴られたりした。

子供ながらに心は地獄だったけど、
なんで学校に行っていたか考えると、負けず嫌いなのか、大人ってバカだなあと思っていた。

子供は立派な大人に憧れる。
なので大人を試すことがあると思う。
いつも怒っているバカな先生に怒られてカチンときて、逆に間違った言いつけを守ると言って強情になり、父親に殴られて外に投げられた。
でも泣いてるふりしていただけで、
先生にも、親にも、
子供をばかにすんなっていうプライドがあった。
母親は不幸な子供と親を演じていて満足していた。


それから中2の時、先生にいじめられた。すごく
つらい一年をすごした。

中2のある朝、
「学校に行きたくない。」と母親に言った。

母親は、いつも無口なくせして、不幸ごとには物分かりのいい顔をしてくいついてきた。
「どうしたの?あのこと?このこと?」
など、根掘り葉掘りきいてきた。

子供には「プライド」がある。

いろいろ聞かれて、答えなければならないのかと思ったら、めんどくさくなった。

家にいたら、毎日、毎日、こういうことを聞かれるのかと思うと、
めんどくさい。

一瞬で天秤にかけて、
「うん、行くわ」と
学校へいくことを選択した。

われながら偉い!と思った。

高校受験もあるし、
休んでしまったらこじれてめんどくさいだろう。

ていうか、不幸なわたしを
親が喜んでいるような気がした。