人の話しをきいて
自分だったらどうするか、
そして自分のことじゃなくてよかった、
と思うことはある。


わたしは学校時代は成績よくいい子として問題なく通ってきた。
子供の世界では、容姿がいいとか、
活発だとか、他の人たちが楽しそうに見えて劣等感はあった。

社会にでて一緒に暮らした男性がいて
仕事についても問題おこしてやめてしまい
働かなくなった。

自分は恋愛も仕事も会社での人気も絶頂期で、
何もかもうまく行っている時だった。

同居人が働かない。
という理解しがたいことをする
それを受けて苦しむ自分。

こころの最初の問題

他人は思うようにならない
どうしてやらないんだと責める
責めるのは自分のこころ
責めるのをやめる
苦しみからとかれる。

だけれど人のいいわたしは、
相手のために何かしてやろうとして
自分が大きな損をしたことにあとで気がつく。

同居人は、厳しい親の目がとどかないところで遊び呆けて落第し、
大学中退で学生のうちに就活もしたことなく
それまでわたしが仕事を探してやっていたが

県内でも言葉がちがう土地へきて
言葉のハンディがあったんだろう

そんな理解は、理解だけにとどまり、
だからと言って「なぜ自分でやらないんだ」という結論にたどりつく。

他の人は県外からきて自分からバイトさがして
してるじゃないか。

ところが
運のいい人間は他の人が助けてくれる。
わたしが車の免許をとりにいかせて
親にいい顔をできるようになった。

タイミングよく親にバレて実家に帰ってこいと
親が仕事を見つけて与えた
同居人はとっとと私を捨てて田舎に帰ってしまった。

自分だけが損をした
それからの再スタート

私ひとりになりしばらく仕事をしていたが
どうしてもできない仕事か回ってきて
自分でも作り話しをしだして、おかしくなった。

仕事をやめて近くに転職しようとした。
しかし今度はわたしが無職になる番になった。
ちようど車の免許がはやり必要になった時代で
わたしは親が免許をとらせなくて、
仕事が見つからない。

本当に病気になった。
それを、理解してくれない母親。

どうしてやらないだ
責めることで自分が苦しむ。
他人から噂をされる
それがさらに苦しみで泣いている。

でも、親は大人なんだからさ?

社会の何かを教えてくれてもいいようなものだ。
励ましてくれてもいいんじゃないのか?
苦しんでいるのはこっちだ。

他の大人は、あれをやればいいんじゃないか
これをやればいいんじゃないかと言ってくれる。
見合い話を持ってきたり
とにかく前にすすむとを考えてくれた。

母親が、
ワープロの学校に通ってるひとがいると
話しをきいてきた
自分の顔色をみてそれ以上何もいわない

何か習わせるとかしたらいいのに

わたしは
「この親はどうするんだろう」
と試していた。

わたしだったら、
もっといろいろ考えるんだろう

何より寄り添ってあげた方がいいか
ほっといてあげた方がいいか
考えるだろう

許せるか
許せないか

うちの母親は「娘を許せない派」だ今でも
だけれど本当にそうだろうか

誰しも子供がかわいい
という意見を聞く

結果、
この道とどう折り合っていくか
自分の生まれ持った能力なんだなあと
思う


今でも問題のこたえを知りたいと思っている。

車の免許がない
仕事がない

わたしの根本的な願いは
「みんなと同じように生きたい」

なのに行くところがないんだよ。