こんばんは、mycelarです。

 

一つ前の記事で僕の婚活歴と今後の課題を挙げましたが、その課題の1つに

 

「僕の感覚を相手に擦り合わせてもらうことが嫌」だという思考のクセ

 

があります。

「いきなりマリッジ2」というAbemaTVの恋愛リアリティーショー(面識のない男女が結婚式場で初対面し、そのまま式を挙げ、ひとつ屋根の下で30日間の結婚生活を送るというもの)のワンシーンで、同様の思考のクセを持った夫に対してネットがザワついたとき、僕は身につまされる思いで冷や汗を流しながら見ていました。

 

簡単に説明すると。

玄米派の妻が白米派の夫に擦り合わせて白米を炊いたことを、夫が良く思わなかった、信念がないとのこと

 

は?

とお思いになる方は多いのではと思います。

よくできた妻やないか!夫は何様や!まずは感謝やろ!

などとお思いになる気持ちはすごくよくわかります。

いくら僕でも

「ありがとう!じゃあ明日は玄米にしようね!」

くらいは言うと思います。

が、僕はたぶんこの夫の気持ちもわかります。

 

リブログさせていただいた記事から言葉を拝借すると、この件のズレは結婚生活を「擦り合わせ(インテグラル)型」のコミュニケーションで続けていきたい妻と、「組み合わせ(モジュラー)型」で続けていきたい夫の、コミュニケーション手法の違いによって発生したのだと思います。

 

 

「擦り合わせ型」について説明すると、例えば自動車は、ほとんどの部品(ネジなどは除く)がその車種にのみ合うように作られていて、ほかの車種と部品を交換するなんてことをするとなると、その部品だけでなく関連する部品すべてに大変な形状変更作業(擦り合わせ作業)が必要になると思います。ただ、時間や労力がかかるぶん、一体感のある高いパフォーマンスが発揮されます。

 

これを結婚生活に置き換えて考えると、二人の間で生じた問題について、その都度お互いの考え方などに修正を加えながら「常識的な家庭像」とか「幸せな結婚生活」とか「相手のことが好きだから」という入れ物(コンセプト)に収まるように工夫して入るという感じですかね。このコンセプト(もしくは環境)を守るために「人を変える」ともいえるのかな。

 

一方、「組み合わせ型」は、パソコンで代表されます。パソコンはPCやメモリやといった部品(モジュール)同士の接続様式が規格化されていて、仮に合わない接続方式をもった部品同士でも部品同士の形状を変形する必要はなく、接続方式を変換する専用部品を使うなどすれば接続が可能ですたぶん。そうして組み立てていって最後にすべてが入るサイズの箱を選べば、ちょっと詳しい人なら自分好みのスペックを持ったパソコンに仕上げることができます。部品の形状から考えて作らなくて済むので、時間や労力が軽減され、自分好みのスペックが発揮されます。

 

これを結婚生活に置き換えて考えると、二人の好きなものをそのまま好きでいつづけられるために、上で挙げた常識的な日本の家庭像などにとらわれずに、2人がまるっと収まる入れ物(コンセプト)を探すという感じでしょうか。人は変えずに「コンセプト(環境)を変える」ともいえるのかな。

だからたぶん「それって結婚(というコンセプト)っていえるの?」と思っちゃうような解決方法が導かれたりします。」

 

 

「玄米vs白米」問題では、「擦り合わせ型」の妻の解決方法として、自分のスタイルを変形することで、夫のスタイルに擦り合わせましたが、夫はおそらく「組み合わせ型」の考え方をお持ちなので解決方法に違和感を感じました。

 

では、「組み合わせ型」の解決方法はどんなものかというと、玄米派という主義も、白米派という主義も変更しないことを前提として、どう接続するかを話し合うべきで、例えば炊飯器を2つ買って両方炊くというのは選択肢の一つでしょう。

炊飯器2個を買う行為に対して、「そこまでして玄米食べたいわけじゃないから白米でいい

という考えるのはタブーで、

「え?じゃあ今まであなた頑張って玄米を選択してきた気持ちとか大事にしたいものってなんだったの?」

という疑問が沸くのが「組み合わせ型」でしょう。

 

「組み合わせ型」における部品(モジュール)は、その1つ1つの部品ごとに開発コンセプトや発揮すべき性能を持っていて、それに対して忠実に作られているはずで、そのコンセプトや性能こそが最大の強みであり魅力なのであって、だからこそ、その部品を愛するファンがいて購入するわけです。

だから、1つの部品自体がもつコンセプトが擦り合わせによって削られると、部品が本来持つ魅力の根幹が揺れ、二人の関係の土台まで揺れます。

 

逆に「擦り合わせ型」側から言えば、この相手とだから自分の思い描く幸せな結婚生活が送れると思ったので、幸せな結婚生活という究極的コンセプトを実現するために折れるところを折って伸ばすところを伸ばして、二人だけの関係を一緒に構築していく、ということでしょうか。一緒に構築するという行為そのものにとても大切な価値があるように感じます。

 

僕はたぶん「組み合わせ型」思考に寄っているので、「組み合わせ型」の弁護はやりやすいですが、「擦り合わせ型」の弁護がへたくそな感じです。たぶんもっと良い表現があるのでしょう。

コメントにてどなたかご教授いただければ嬉しいです。

 

 

「玄米vs白米」問題以外の例として、スマホの充電コードの接続規格問題を挙げてみます。

お使いのスマホが「iphone」の妻と「Android」の夫がいたとすると、電源コードのインターフェイスは「Lightning」と「USB-typeC(もしくはB」です。

規格が違うスマホを充電することを考えたとき、選択肢は

 

①コードを2種類買う

擦り合わせ型、または組み合わせ型

②コード1本で接続方法の着脱可能な変換器を買う

擦り合わせ型または組み合わせ型

③コード1本でどちらかのスマホの接続形式を改造する

擦り合わせ型のみ

 

の3択になるかと思います。

「擦り合わせ型」は必ずしも擦り合わせる必要はないので、「組み合わせ型」と同じ選択肢を選ぶ機会は多いと思いますが、③は「擦り合わせ型」しか選ばない選択肢なので、これを選ぶと問題が発生します。

ただこの問題は「擦り合わせ型」に対して意地悪ですね。③なんて絶対選ぶ人いないでしょうし。

 

今度は絵を描くキャンバスを例を挙げると、

一人ひとりが1枚のキャンバスを持っていて、各人が自分の絵を描いているとします。

2人の男女が結婚したとき、

 

「擦り合わせ型」は

①二人で1つの共有するキャンバスを用意して、そこに絵を描くことがメインで、自分のキャンバスは隙間時間に描く

②お互いのキャンバスをくっつけて1枚にし、その1枚全体を使って描く

が考えられます。

 

組み合わせ型」は

二人で1つの共有するキャンバスを用意しても、「擦り合わせ型」の人に比べて自分だけのキャンバスに描く時間のほうが長い

お互いのキャンバスをくっつけて1枚にしても、その1枚全体を使って描くわけではなく、自分のキャンバスの側ばかりに描く

 

という感じでしょうか。ちょっと雑になってきました。

んー、、、取り上げる例によって「擦り合わせ型」の判断に共感をえたり、組み合わせ型」の判断に共感を得たり、その都度変わりますね。誰しも状況によっては考え方が違うでしょうから、あまり極端にどちらか一方の考え方だけを選択する人はいないとは思います。

 

ここまで書いてみると、結婚に関して言えば、「擦り合わせ型」のコミュニケーションで作り上げたい気持ちも半分くらいありますが、でもそれによってケンカが増えていがみ合ったままの一体感のないものができ上ってしまう可能性もありそうだし、、、

なるべく最初は「組み合わせ型」で解決できるか相談してみて、そこで導かれた解決案が結婚というコンセプトに合わなそうだったら今度は「擦り合わせ型」で解決できるよう努力するという感じでしょうか。

 

リブログ先の記事のおかげで、自分のクセを修正できそう。とってとてもためになった。

ありがとうございました!