オランダ生活🇳🇱34ヶ月のMegです
↑こんなふうに
普段は自分で望んで、決めて
納得してやっていることも
時間的、精神的、
体力的、経済的な余裕を失うと
犠牲感が出てしまって
『なんで私だけ!!』と
相手にひとこと、いや、みこと、いや足りない、100ことくらい言わなきゃ気が済まない!ってことはよくあると思うんです。
私の場合、相手の愛とか思いやりが感じられない行為は不満になります。
でも愛の表現方法って人によって違います。
ちなみに
愛の表現方法は5種類あるんですって。
①プレゼント
②言葉
③時間
④ボディタッチ
⑤時間を共有すること
私は『③の時間』に愛を感じるタイプなので、私がやらなくてはいけないことを代わりにやってくれてその分時間に余裕をもたせてくれたり、やりたいことをする時間を与えてくれたり、時間に焦らせることなく待ってくれたり、時間を守ってくれたり、そういうことで相手からの愛を受け取ります。
だから
私は自分が相手に愛を表現するときにも
時間は無視出来ません。
時間をかけようと思います。
でも、プレゼントもするし、言葉もかけるし、ボディタッチも時間共有も大事です。
つまり
愛を受け取るときは③が重要だけど
愛を表現するときは①〜⑤、というのが
私のタイプ。
一方、夫は
プレゼントや言葉、ボディタッチや時間の共有で、愛を表現するタイプです。時間でという愛の表現方法は残念ながら待ち合わせていないのです。
そう、私たちには
ズレがある!!!
言い換えれば
価値観のズレとかなんとか言うけれど
ただズレがあるだけ。
愛がないわけではなくて、愛の表現方法にただズレがあるだけ。そして、欲しい愛の優先度が違うだけ。
これを知っていると
一瞬腹は立つけど、あぁそうか
愛がないわけではなくて
彼の愛の表現方法が
私の求めるものと違うだけ。
そう思うだけで、少し心が落ち着くというか
許せるというか
仕方ないというか
自分の中で腑に落ちるというか。
だって、彼は私の欲しい愛の表現方法を待ち合わせてないんだから。
やりようがない。
怒っても仕方ない。
こうしてもらえたら嬉しいって
伝えるしかない。
親子でも同じことが言えるのかなと
思ったりします。
例えば
親が子どもに躾や教育、経済的な安定をプレゼントすることが愛だと思っていても
子どもはただただ抱きしめてもらいたかったり、『大丈夫よ』って言われて安心したかったり、一緒にいてくれるだけで充分幸せって思っていたら・・
そう、ズレがある。
愛はお互いあるのに。
ズレのせいですれ違ってしまう。。。
だから
違うんだなって思うだけで、愛を疑う必要はないのだと思います。
今日焼いたパン。
↓
美味しかったぁ!