こんにちは!みっこです☺️
今回の大病は自分にとって
人生の棚卸しだと感じています。
どいう意味か。
拒否し続けた家族関係、
9年一緒にいてくれている彼と
自分の人生にきちんと
向き合ったということです。
今回は家族関係について
書きたいと思います。
自分は大学3年生の頃に
家出をしました。
人生の転機です。
自分の家出は反抗ではなく、
我慢の糸がプツッと切れた
サバイバル行為だったと思っています。
自分は、過干渉の家庭で育ちました。
小さい頃からずっと
母や父の顔色を伺って育ってきました。
母がヒステリックにならないように。
父が怒鳴らないように。
父と母が喧嘩にならなように。
被害が妹に及ばないように。
母が死んでしまうのではないか。
壊れていくのではないか。
幼い自分にとって、
感情を抑え込む十分な理由になりました。
自分の気持ちを曲げて
進路や人生の選択をしてきました。
限界を感じ始めたのは、
大学入学時でした。
大学受験で自分は失敗しました。
「母にとって」失敗しました。
大学受験後の進路で、
母は私に2つの選択肢を出しました。
「浪人か、進学して弁護士資格を取るか」
どっちも嫌でした。
なぜなら、自分にとっては
満足いく大学だった。
普通に進学して、
民間へ就職できればそれで十分だった。
でも、受験後、
母はヒステリックになりました。
受験が失敗したからです。
夜、泣き叫ぶ母の声に
耳を塞ぐ毎日でした。
結局、母の様子を伺い、
落ち着く選択肢を選びました。
「進学し、弁護士の資格をとる」
弁護士を目指すなんて
考えたこともなかった。
でも、その時の自分は
それ以外の選択肢がありませんでした。
就活のガクチカで
聞かれるじゃないですか。
今までの失敗は?って。
「大学受験です」と答えていました(笑)
大学に入っても彼氏を
作ってはいけない。
コンタクトも禁止。
資格塾に行くために
友達とは遊ばずに勉強。
誕生日プレゼントは
六法でした。
ありがとうと笑う
しかありませんでした。
愛してくれている。
私のためなのはわかっています。
胸が張り裂けそうでした。
だからこそ苦しい。
何やってるんだろう自分・・・
虚しくて空っぽな毎日。
家族が交通事故に遭う漫画を見て
羨ましいと感じてしまうほどでした。
大学2年生の時。
「もう弁護士の勉強は続けられない。」
そう告げました。
母と父の出した条件は、
公務員になることでした。
これならまだ耐えられるかも。
その時、密かに付き合っていた彼や
周りの友達も公務員の勉強を
している人は多かったから。
確かに勉強は続けられました。
それなりにできていたと思います。
でも、やっぱり自分は
公務員になりたくない。
自分の性格的に公務員は
違うと思ったからです。
ある日の夜。
母と父に
「民間に就職したい。」
と言いました。
そして、父が怒鳴りました。
「お前は公務員になれ。それ以外はない」
もう言い返す気力はなかった。
自分の部屋に入り泣きました。
そして夜3時くらい。
泣き疲れて冷静になった時
プツッと何かが切れたんです。
朝起きて泣きながら、
「家出します」と
手紙を書きました。
連絡も取らない。
一生会わない覚悟で、
スマホも捨てました。
家出の日の朝、
母の一言が今でも残っていて、
泣きそうになります。
「オムライス帰ってきたら食べてね」
でした。
それから今まで
家族とは会えませんでした。
拒否反応が出てパニックに
なってしまうからです。
でも今回の大病で、
家族ともう一度
向き合わざるを得ませんでした。
副腎摘出後で瀕死状態だったのもあり、
助けられた部分もありました。
今回の病気について、
母と父はこういう見解です。
「家出をしたツケが回ってきた。
この病気が最後の警告だ。
実家に戻らないともっと大変なことになる。
次に失うのは家族だ」
と。
もしかしたらそうなのかもしれない。
実家に帰ろう。家族を失いたくない。
でもやっぱり拒否反応が出て
帰れませんでした。
彼と同棲している
家に戻ってきてしまう。
こんなに大病をして、
ホルモンが足りなくて
瀕死になっているのに。
家出を後悔することができないんです。
彼と一緒に住んでいるこの家に
帰りたいと思ってしまう。
彼とは同棲して6年になります。
私の家族全員が、
彼に対してや
彼との同棲に否定的でした。
依存にしか過ぎない。
実家に返さなかった
彼には責任がある、と。
大病前まで
彼との同棲は良くないこと。
彼とはいるべきではない。
罪悪感を持って生活していました。
でも、そうじゃないかもしれない。
今回、整理できたのは
母の意思=自分の意思に
なっているかもしれないことです。
母は私を愛してくれています。
痛いほどわかります。
母と私は境界線が低い関係に
なってしまっているんだと思いました。
でも愛されているからといって、
自分は傷付いていないわけではない。
自分は傷付いていた。
そう思ってもいい。
彼といるこの場所が
居場所になってもいい。
母と自分は一緒じゃない。
母と自分の声を分ける
練習をしています。
長くなりましたが、まとめると
今回の大病を通して、
母の声が世界ではなかった
ということに気づきました。
そして、自分は傷付いていた
ことを認めることができました。
拒否反応が起きない距離で、
傷を癒しながら家族と向き合いたいと
思えるようになりました。
そして、見えていなかった彼について
知ることになります。
彼については、また次の記事で!!