【あらすじ】
病に伏す牛若丸の気高い姿をみこんで、与一の女房は娘の婿にと言いよるが、相手にせぬ牛若丸に腹を立て、夫与一の留守に、男を雇って病の牛若丸を海に捨てさせる。男たちは牛若丸の気品に打たれて、浜の六本松に捨てたまま帰る。蒲原の宿「きくや」の倉に残した源氏の家宝が、童子や大蛇、白鳩、鳥に変化して、六本松に伏す牛若丸を看守る。これを恐れて宿場の人々は近づかない。源氏の氏神は客僧の姿となって牛若丸に近づき、浄瑠璃への文を預かる。
【驚きと感動】
与一の女房が牛若丸に言いよる場面。右側では、年寄りたちが碁を打っている。この年寄りたちは、宿客なのか?与一の家族なのか?そばには子どもが脚を抱えて座っている。
これを映画としてみよう。与一の女房が牛若丸にそのままストレートに「うちの娘をあなたの嫁に・・・」という映画と、その前に碁を打つ場面がある映画とどちらが面白いか?言うまでもなく、後者だろう。黒澤明の映画などでは、このような前座の場面を、この上なく凝って表現する。
女房を怒らせた牛若丸は、六本松に捨てられてしまう。左側に海を照らす夕陽がこの上なく美しい。
そのあと、与一の女房が男たちを労う場面。物語からすればそんなに重要でなさそうなものだが、こういったところを敢えて描写するところがすごい。地べたでいろんな人たちがくつろいでいる。この人達は誰なんだろう?詞書が読めればわかるのだろうか?
打って変わって六本松の場面。
源氏の家宝が六本松に伏す牛若丸を守る。大蛇などの姿に驚く、宿場の人々は、裸の赤ちゃんを抱き抱えながら逃げる。
前の義次の家来の旅の場面と同様動的であるが、宿場の人たちは身分が違う。この身分の違いを又兵衛は実に見事に描写している。
病に伏す牛若丸の気高い姿をみこんで、与一の女房は娘の婿にと言いよるが、相手にせぬ牛若丸に腹を立て、夫与一の留守に、男を雇って病の牛若丸を海に捨てさせる。男たちは牛若丸の気品に打たれて、浜の六本松に捨てたまま帰る。蒲原の宿「きくや」の倉に残した源氏の家宝が、童子や大蛇、白鳩、鳥に変化して、六本松に伏す牛若丸を看守る。これを恐れて宿場の人々は近づかない。源氏の氏神は客僧の姿となって牛若丸に近づき、浄瑠璃への文を預かる。
【驚きと感動】
与一の女房が牛若丸に言いよる場面。右側では、年寄りたちが碁を打っている。この年寄りたちは、宿客なのか?与一の家族なのか?そばには子どもが脚を抱えて座っている。
これを映画としてみよう。与一の女房が牛若丸にそのままストレートに「うちの娘をあなたの嫁に・・・」という映画と、その前に碁を打つ場面がある映画とどちらが面白いか?言うまでもなく、後者だろう。黒澤明の映画などでは、このような前座の場面を、この上なく凝って表現する。
女房を怒らせた牛若丸は、六本松に捨てられてしまう。左側に海を照らす夕陽がこの上なく美しい。
そのあと、与一の女房が男たちを労う場面。物語からすればそんなに重要でなさそうなものだが、こういったところを敢えて描写するところがすごい。地べたでいろんな人たちがくつろいでいる。この人達は誰なんだろう?詞書が読めればわかるのだろうか?
打って変わって六本松の場面。
源氏の家宝が六本松に伏す牛若丸を守る。大蛇などの姿に驚く、宿場の人々は、裸の赤ちゃんを抱き抱えながら逃げる。
前の義次の家来の旅の場面と同様動的であるが、宿場の人たちは身分が違う。この身分の違いを又兵衛は実に見事に描写している。