私はなぜソビエト時代の音楽が好きかというと、スターリン体制に当時の作曲家がどう向き合ったか、ということに興味があるからです。

スターリン体制は、カルト教団に似ている点があると、私は思います。

スターリン時代、有名人がスターリンに粛清されると、その有名人はどうなるか?国民の会話から、一瞬にしてその有名人の名が消える。なぜか?それを口にしただけで、その人間も同時に粛清される可能性が高いからです。

しかし、それとよく似たような世界が、現代の日本にも存在する、私が一番印象を受けるのはカルト教団です。その教団の権力者の近くにいた人物がちょっと権力者に異を唱えたために教団から追放された、すると、その教団の人間におこる事、それは、今まで神の化身のように敬っていたその人物の会話を消すこと、それだけです。あるいは、「彼は神に逆らったため、神様からふるい落とされた」と180度その評価を変えることです。

スターリンは当時のソビエト国民にとって神様だったのですから、粛清された人物は神様から振るい落とされた、その点は本当に似ていると思う。

それと、敵を作ることで人々の警戒心を煽る、これも非常に似ています。

カルト教団は、上層部で分裂があったり、追放者が出ると、それを人並み以上に悪しざまに罵ることがあります。それが信者の警戒心を煽り、自分たちの周囲にも悪魔がいる、そう思わせることで緊張感を高める、教団の運営には非常に都合のいい手法です。これと同様の事がスターリン時代にもあったとしか思えません。

私がfacebookに参加してから初めてアップした映画「アレクサンドル・ネフスキー」(エイゼンシュタイン監督、プロコフィエフ音楽)をみるとそれが如実に表れています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%86%E3%82%A4%E3%83%B3

この映画は単にドイツと戦うだけでなく、ロシア国内の商人の中にドイツと結託した裏切り者がいる!

この「裏切り者」を映画に登場させること!これが社会主義映画で権力者に気にいられるには、非常に大事なことだったのです。この商人たちは最後にアレクサンドル・ネフスキーによって粛清される。これはスターリンの粛清を正当化しているわけです。

映画アレクサンドル・ネフスキーがあまり成功しなかったのは、ひとえに、上映後ほどなくして1939年に独ソ不可侵条約が結ばれたからなのです。味方になったドイツを罵る事はよくない、このことがこの映画の評価を一変させてしまったのです。このように一々上層部の機嫌を伺わねばならないが、それに対してぼやいただけでも破滅につながる、それがスターリン体制だったのです。