《階段の途中》 マジすか小説&AKB小説 -2ページ目

《階段の途中》 マジすか小説&AKB小説

マジすか学園の小説です。
稚拙な文章ですが読んでくれたら嬉しいです。
コメント、読者募集してます。


突然現れた二人の女に、小柄な男は舌打ちをした。
「くそっ、次から次へと邪魔しやがって。何なんだよてめぇら」
低く威圧的な声。成り行きを見守っていた悦子達は息を飲み、病室に張り詰めた空気が流れた。
しかしそれは、大堀の口から零れた酷く場違いな笑い声によって呆気なく破られた。
「うふふ」
「なに笑ってんだよ」
「別に」
貴方達があまりにも雑魚キャラっぽくて――大堀はそんな言葉を口に出さずに飲み込むと、意識を失って床に倒れたままの板野を指差した。
「私達はこの子の先輩よ」
男達が怪訝そうに眉根を寄せる。
「あァ?先輩だ?」
大堀の後ろでは浦野が板野の傍に屈み、ため息を吐いていた。
「また負けてる・・・」
大堀が後ろを振り向く。
「うふふ、もしかしてシブちゃんって凄く弱いのかしら?」
「かもしれない。まぁ、そこは駒谷の指導でなんとかなるでしょ。それに・・・」
「それに?」
「私は嫌いじゃないし。こういう奴」
浦野の言葉に大堀はクスリと微笑んだ。
「そうね。私もよ」
板野を壁際に座らせ、浦野が立ち上がる。大堀の横に並び、男達と対峙した。
「さて、とりあえずこっちを片付けますか」
無表情な浦野と、微笑む大堀。
そんな対照的な二人に、しかし一つだけ共通しているものがあった。
それは余裕。
二人の表情には微塵の焦りも、僅かな緊張も窺えない。
それが余計に男達を苛立たせる。
「クソガキが・・・」
長身の男が唸るように言葉を吐き捨て、その横で小柄な男が一歩前に出た。
「俺達はさっさと金を取り返して帰りてぇんだよ。怪我したくなきゃ余計な真似すんじゃねぇ」
「あら、怪我は嫌ね」
笑みを崩さぬまま大堀が肩を竦める。浦野は退屈そうに髪の毛をいじっていた。
堪えきれずに長身の男が怒鳴る。
「舐めてんじゃねぇぞッ!俺達が誰かわかってんのかッ!」
「いいえ、知らないわ」
「このガキッ」
長身の男は大堀に飛び掛かろうとしたが、それを小柄な男が止めた。
「まぁ落ち着けよ。知らねぇってんなら教えてやろうぜ」
そう言って小柄な男は唇の端を吊り上げた。浦野はその笑みに酷い不快感を感じたが表情には出さなかった。
その横で、大堀はじっと男を見詰めていた。
まるで、その黒い眼で何かを見抜くように。
「俺達はなぁ、天馬会って組の幹部やってんだよ」
大堀から笑みが消え、初めて浦野の表情が動いた。男の名乗った名を反芻する。
「天馬会、ですか・・・」
「どうやら知ってるみてぇだなァ」
“天馬会”。
それは“裏の世界”を統べる組織の名。
男達には確信があった。この名を名乗れば誰もが怯えると。
例え、それが嘘だとしても。
それほどまでに天馬会の存在は強大だった。
大堀と浦野が顔を見合わせる。それを見て小柄な男はニヤリと笑い、悦子達に歩み寄った。
「さて、馬鹿なガキ共は放っといて、さっさと金を渡してもらいましょうか」
悦子が震える手で久美と理久を抱き寄せる。
「早く金渡せよ。無理ならガキ共はどうなっても――」
「うふふ」
笑い声。長身の男の言葉が不自然に途切れる。
男が振り向いた先には、その黒い眼でじっと自分達を見詰める大堀がいた。
薄く弧を描いていた大堀の唇が、ゆっくりと一つの言葉を紡ぐ。
「――ダウト」
男達の表情が凍り付いた。
「ダメよ、嘘なんてついちゃ。私には全部わかるんだから」
君はペガサスじゃないわ――そう言って大堀は愉快そうに笑う。漆黒のスカジャンが笑い声に合わせて嘲けるように揺れていた。
全てを見抜く、大堀の黒い眼。
相手の些細な動作からそこに潜む意識を読み取る眼。
ばくばくと跳ねる心臓を押さえ付け、小柄な男は叫ぶ。
「嘘だと?ふざけたことぬかしてんじゃねぇ!」
「無駄ですよ。この人に嘘は通じません」
「嘘じゃねぇって言ってんだろッ!」
浦野は呆れてため息を吐いた。そんな浦野に大堀が声を掛ける。
「浦野、悪いけど確認してくれないかしら?」
「仕方ない・・・」
不承不承に頷いた浦野が携帯を取り出す。ストラップも何もない地味な携帯だった。浦野は気乗りしない様子で携帯を操作し、やがて耳にあてる。
男達は動揺から立ち直れないまま黙って浦野を見ていた。
「もしもし。私」
「お、おい、どこに掛けてんだよ」
長身の男が不安気な声を上げる。大堀は自分の唇に人差し指をあててそれを遮った。浦野は通話を続ける。
「訊きたいことがあるんだけど、私が最後に集会に行ってから新しく幹部になった人っている?」
男達が息を飲んだ。大堀はただ愉快そうに笑っていた。
「・・・うん。そう、わかった。ありがと」
パタン、と携帯を閉じる音がやけに大きく病室に響いく。携帯をポケットに落とし、浦野は男達に向き直った。
「えっと、私のお父さんって天馬会の一番偉い人なんですよ。だから嫌でも覚えちゃうんですよね、幹部の方々の顔」
男達は手のひらに気味の悪い感覚がじんわりと広がるのを感じた。
「でも、私が記憶してる幹部の方達の中にあなた達はいません。もしかしたら新しく入った方かもしれないと思い、お父さんに確認しましたが、どうやら違うみたいですね。というか、普通わかりますよね。組長の娘の顔くらい」
小柄な男が低く呻く。その目は何かに救いを求めるようにキョロキョロと辺りを彷徨っていた。
その横にいた長身の男はごくりと唾を飲み、震える唇で抵抗を試みた。
「そんなのてめぇが嘘ついてるだけじゃねぇのかよ!」
「なんなら」
浦野の声が男の言葉を掻き消す。
それはゾッとするほど機械的で平坦な声だった。
「誰か一人、呼びましょうか?」
長身の男が固まる。助けを乞うように後ろの小柄な男を見た。その視線を受けた小柄な男は、強く唇を噛み締めた。
「・・・帰るぞ」
苦虫を噛み潰したような顔で言葉を絞り出す。
そして、大堀と浦野の横を通って病室の扉に向かった。
「ねぇ」
すれ違い様、大堀が男達に声を掛ける。男達の足が止まった。
「最後に質問。あの人達の借金は本当なの?」
その問いに、悦子の肩が微かに揺れた。
数秒の沈黙の後、小柄な男が口を開く。
「・・・本当だ」
嘘だった。
大堀の黒い眼を使うまでもない、誰が聞いても明らかな嘘。
男達にも隠す気は無かったのだろう。
男達はそれきり何も言わずに病室を出ていった。
「シブヤお姉ちゃん!」
理久が板野に駆け寄る。
久美は戸惑いを隠せない様子で、男達が出ていった扉と自分の母を交互に見ていた。
そして、悦子はぼんやりと天井を見上げた。その瞳から一筋の涙が落ちる。だがそれは、決して喜びの涙ではない。
そのことがわかっていたからこそ、大堀と浦野はただ黙って病室を出た。
病院の通路を二人は並んで歩き出す。
すれ違ったナースに声を掛け、悦子の病室で板野が気を失っていることを告げた。ナースは驚いた顔をしていたが、二人はそれ以上何も説明しなかった。
二人はしばらく無言で歩いていたが、やがて浦野がため息を吐いた。
「あら、そんなにお父さんと電話するのが嫌だったの?」
「まぁね。でも今回の目的はことを穏便に済ませることだったし、口で解決できたからよかったよ」
「裏の世界の浦野。うふふ」
「だじゃれ?」
笑い会う二人。
二人は悦子達の事には触れなかった。軽々しく何かを言える立場ではないことを、なにより自分達が痛感していたから。
自分達はあくまでも助っ人なのだ、と。
「にしても、中西が入院してたなんて・・・驚いたわ。まぁ、部長と野呂は知ってたんでしょうけどね」
「そうね。でも、本当に大堀も知らなかったの?その眼があるのに」
「喧嘩以外じゃ仲間に使わないって決めてるのよ」
浦野は隣を歩く大堀を見る。いつもと変わらない表情だった。
「・・・中西は、何で入院してるんだろ」
「さぁ、私にはわからないわ」
「ていうか、中西は今どこにいるの?今回のことは中西に頼まれたんでしょ?」
大堀は黙った。何かに気付いた浦野の表情が曇る。
「まさか・・・」
「わからないわ。でも、最悪のケースだけは防がなきゃいけない。私達だけで彼女を止められる保証は無いけどね・・・」



病院の表玄関の反対側に位置する、周囲を木々に囲まれた空間。
逃げるように病院を後にした男達は、人目につかないその場所で立ち止まった。
「くそっ、どういうことだよ!」
小柄な男が拳を壁に叩きつけた。
長身の男が苛立たし気に呟く。
「なんで天馬会の娘が・・・」
「とにかくアイツに報告だ」
頷いた長身の男が携帯を取り出す。
小柄な男はその横で煙草を取り出した。口に咥え、火を点ける。
「俺だ。いったいどういうことだよ!天馬会の娘が関わってるなんて聞いてねぇぞ!」
携帯に向かって怒声を上げる長身の男。
小柄な男は忌々し気に顔を歪め、濁った煙を吐き出した。
その時、風が吹いた。
紫煙が風に呑まれて一瞬で消える。
「おい、矢神!聞いてんのか!俺達はお前の指示に従ったんだぞ!」
長身の男は怒鳴り続け、小柄な男は風を鬱陶しそうに顔をしかめた。
ざわり、と木々が揺れる。

「それ、どういうこと・・・」

何かを――何もかも圧し殺した声。
男達は振り向く。
そこには、一人の女が立っていた。
風に吹かれた長い髪が無造作に舞う。女は顔に掛かった髪を払おうともせず、乱れた髪の隙間から男達を鋭い目で睨んでいた。
そして目を惹くのは、その身に纏った璧緑のスカジャン。
風が吹き、スカジャンが舞う。
木々はただ揺れていた――震えていた。
「ねぇ、どういうこと?今、矢神って言ったよね」
中西里菜は、男達を睨み付けたまま静かに繰り返した。
「なんだよテメ――」
長身の男の言葉が途切れる。
殺気。
威嚇でも、警告でもない。
正真正銘の殺気だった。
「ねぇ、矢神ってどういうこと?それは、あの子達の名字だよね?」
中西が一歩男達に近付く。殺気が男達を喰らう。長身の男は小さく悲鳴を上げ、まだ通話中の携帯を地面に落とした。中西がそれを拾い上げる。
「矢神、久志・・・」
表示された名前を見た瞬間、中西の心を激情が駆け巡った。
怒り、呆れ、そして悲しみ。
「どういうこと?」
握り締めた携帯にピシリと亀裂が入る。
「ねぇ、どういうこと?」
「あ゛ぁぁア゛ア゛」
中西の放つ殺気に耐え切れなくなった長身の男が、壊れたような歪な叫び声と共に駆け出した。握り締めた拳を中西に放つ。
バキッ――と何かが砕ける音がした。鮮血。それなりの重量を持つ物体が地面に落ちる音。
地面に崩れ落ちたのは長身の男だった。長身の男が放った拳より先に、中西の拳が長身の男を砕いていた。
中西は拳を握り締めたまま、情けなく震えている小柄な男に近付いていく。
「お願いだから教えて。どうしてあの子達の父親と連絡してたの?」
皮一枚切り裂いた鋭いナイフが頸動脈に押し当てられているような、そんな恐怖が男を包み込む。
小柄な男はガタガタと噛み合わない口を必死に動かした。
「あ、アイツが俺達に提案して来たんだ。一緒に金儲けしないかって」
「――ッ!」
中西の目が見開かれた。その口は痙攣したように不気味に動き、呼吸は不規則に吸っては吐いてを繰り返す。
やがて、笑い声が漏れた。
「は、はは・・・。ふざけないでよ。じゃあ、借金は嘘なの?ねぇ・・・じゃあ全部無駄だったってこと?久美ちゃんがやりたいことを我慢して働いてたのは、理久君が毎日友達と遊ばないで病院の手伝いをしてたのは、二人のお母さんがぼろぼろになるまで働いてたのは、全部、何の為だったの?」
「俺達の、薄汚ない欲の為だ」
中西から表情が消えた。
その時、男は覚悟した。
自分は死ぬんだ――と。
中西が拳を振り上げる。次の瞬間、視界が大きく揺れた。痛みを感じる間も無く、男の視界は黒く染まった。


病院裏に絶え間なく鈍い音が響く。
中西は拳を振るい続けていた。
誰も守れない――奪うことしか出来ない拳を、中西は振るい続けていた。
大切な理久達の幸せを奪った男達から、それ相応のモノを奪う為に。
拳が返り血に染まる。構わない。とにかく殴らなければ。壊さなければ。奪わなければ。
中西は涙を流しながら真っ赤な拳を振るい続けた。

「理久君、かな?」
中西の病室に向かっていた理久は、男の低い声に名前を呼ばれて足を止めた。振り返り、自分を呼んだ人物を確認する。
小太りで小柄な男と、ひょろりとした長身の男だった。
見知らぬ男逹に、理久は訝しげに眉根を寄せる。
「おじさん逹・・・誰?」
「僕達は君のお母さんのお友達だよ」
そう言って、小柄な男は笑みを浮かべた。理久の警戒心が和らぐ。
「お友達?そうなんだ」
「だから、僕達を君のお母さんの病室に案内してくれるかな?」
「うん。いいよ」
長身の男の申し出を快く受け入れ、理久は歩き出した。
――お友達が来たら喜ぶかな?
母が喜ぶ様子を想像した理久がクスッと笑う後ろで、二人の男は薄っぺらな笑みを顔に貼り付け、口角を吊り上げた。



手が震える。その震えがカップの中の液体に伝わり、琥珀色の水面を小刻みに揺らした。水面に写った自分の顔がバラバラになる。
板野はゆらゆらと湯気が上がるココアに慎重に唇をつけた。
「熱ッ!」
慌ててカップから口を離す。ココアに触れた上唇がひりひりとした。
「くそ、何で熱いの買っちまったんだ・・・」
飲むことを諦め、板野は座っているソファーの端にカップを置いた。ため息を吐きながら、正面の通路に目をやる。
この通路を通らなければ久美逹の母親がいる病室には辿り着けない。つまり、この通路を見張っていれば異変が起きてもすぐに気付ける。
そう――守れる。
「守れる、か・・・。中西先輩はどうして・・・」
守れない――そう言った中西の真意が、板野は未だに理解出来ないでいた。
四天王の一角を担う以上、中西先輩も相当に強いはずだ。少なくとも自分よりは。
だがそれでも、中西先輩は守れないと言う。それはいったいどういう意味なのか。
板野はまだ湯気の立つココアを一口啜った。


「シブヤお姉ちゃん!」
「あ?中西先輩のとこ行ったんじゃねぇのか?」
ココアを飲み終えた板野のもとに、理久が小走りにやってきた。
「うん。でも途中でお母さんの友達に会って――」
立ち止まった理久が後ろを振り返る。
「ほら、あの人達」
理久が指差す先には、こちらに歩いてくる二人の男がいた。
「こんにちは」
小柄な男が額の汗をハンカチで拭いながら気さくな笑顔で頭を下げる。
「ども・・・」
――このタイミングでの来客。どう考えてもおかしい。
会釈を返しながら、板野は探るような目で二人を見た。
「何か付いてますか?」
長身の男が自分の頬を撫でて首を捻る。
「いや、何でもないっす・・・」
「じゃあね、シブヤお姉ちゃん。早くお母さんのところに連れてってあげなきゃ」
理久が歩き出すと、それに続いて二人も足を動かした。
遠くなる三人の背中が久美逹の母親の病室に消えたところで板野も歩きだした。
――本当に友達なら良し。もし違うなら・・・
異変があればすぐに向かえるようにと、板野は病室の近くの壁に耳を澄ませて寄り掛かった。



トントンと扉をノックする音がして、矢神悦子は笑みを零した。ベッドの上にゆっくりと半身を起こす。
「理久ったら、母親の病室くらいノックしなくていいのに」
「お母さんの言うことをちゃんと守ってる証拠だよ」
母――悦子のベッドの横で、久美が笑顔を返した。
「久美、なんか急に変わったわね」
「え?どこが?」
笑顔が明るくなったわ、と悦子が答えたのと同時に、扉の向こうの理久が声を上げた。
「まだ入っちゃダメー?」
「あ、忘れてた。いいわよ、入りなさい」
横滑りの扉が開く。中に入ってきた理久が悦子のもとに駆け寄った。
「お母さん!お母さんのお友達、連れてきたよ!」
「え?友達?」
心当たりが無い悦子は表情を曇らせる。
その時、理久が開けっ放しにしていた扉が閉まる音がした。
扉に目を向けた悦子の目に二人の男が映り込む。

「探しましたよ。悦子さん」

にたぁと小柄な男が笑った。悦子の表情が一瞬にして恐怖に染まる。
「どうして・・・」
金を返せと追い掛けられた恐怖が甦る。硬直した体をなんとか動かし、ナースコールに手を伸ばす。
だが、その手は長身の男が放った蹴りによって弾かれた。
「――ッ」
「余計なことすんじゃねぇよ」
「お母さん!理久ッ、なんでこんな人逹つれてきたの!」
悦子を庇うように二人の前に立った久美が、理久を怒鳴り付けた。
「大声出すなよ。誰か来たらヤバいだ――」
ろッ――小柄な男が久美を殴る。耳に残る、鈍い音。久美が小さく悲鳴を上げて床に倒れた。
「久美!」
「お姉ちゃん!」
ベッドから身を乗り出して悦子が叫ぶ。理久は二人の男に向かって駆け出した。
「理久!ダメ!」
理久は悦子の制止にも止まらず、小さな拳を振り上げる。
「お姉ちゃんを――いじめるなッ!」
「うるせぇなぁ。何度も言わせんなよ・・・」
小柄な男が理久に手を伸ばした。首を掴む。
「う・・・」
首を掴まれた理久は、握り締めた拳をだらりと下ろした。
「理久ッ!」
「悦子さんよぉ、俺達は言ったよな?今度逃げたらガキ共はどうなっても知らねぇって」
そう言って、小柄な男は理久を掴む手に一段と力を込めた。
久美は未だ起き上がらず、理久は苦し気に呻いている。目の前で暴力を振るわれる我が子の姿に、悦子は悲鳴を上げた。
誰でもいい。誰でもいいから――
「助けてっ!」

「その手を離せ」

扉の方から発せられた威圧的な声。その場にいた誰もが一瞬、動きを止めた。
床に伏せている久美が声のした方に顔を向ける。
瞬間――鳥肌が立った。全身を畏怖の念が駆け巡る。
「シブヤ、さん?」
久美の問いには何の反応も見せず、板野友美は殺気にも似た激情を瞳に湛え、小柄な男を睨み付けていた。
「その手を離せ」
「おや、さっきのお嬢さんじゃないですか」
長身の男が恭しく頭を下げる。
「これは少し戯れているだけでして・・・」
「もう一度だけ言う。その手を離せ」
板野は長身の男には一瞥もくれず、小柄な男に向かって言った。
その目は、理久を掴む小柄な男だけを見ている。
「チッ、下手に出れば・・・おい」
小柄な男が長身の男に目で合図を送った。長身の男が頷き、板野の頭部を狙って蹴りを放つ。
板野はそれを屈んで躱し、一足で小柄な男との距離を詰めた。拳が霞む。
「シッ―――」
板野の拳が小柄な男の肘を撃ち抜く。男は咄嗟に理久を離した。咳き込む理久を悦子が抱き寄せる。
「おー痛い痛い。いきなり酷いなぁ」
肘を擦りながら小柄な男がニタニタと笑う。同時に背後で長身の男が構える気配を感じた。
板野は前後を同時に警戒しつつ、床に伏せている久美に声を掛ける。
「久美、大丈夫か?」
「はい。ちょっとくらくらしますけど大丈夫です」
「そっか。じゃあ、礼治にこのこと知らせてこい」
「わ、わかりました!」
返事をした久美が立ち上がり、扉に向かって走った。しかしそれを長身の男が遮る。
「行かせるわけねぇだろ」
「チッ・・・久美、もういい。母さんと理久のそばにいろ」
「でも、シブヤさんはどうするんですか?」
「早くしろ!バラバラだと守りにくい!」
板野の怒声に、久美は慌てて移動した。それを確認した板野は、久美逹三人を背に二人の男と対峙する。
「なぁ、お嬢さん、何か勘違いしてないか?俺達はあくまでも、貸した金を返してもらいに来ただけだぜ?」
小柄な男が嗤う。板野は吐き捨てるように言葉を返した。
「は?金を返してもらうだけでガキを殴る必要があんのか?」
「仕事だよ」
「くそが・・・」
強く拳を握る。手のひらに鋭い痛みが走った。見ると、長いネイルが手のひらに喰い込んでいる。
薄い桃色のそれを一枚剥がす。
「てめぇらはマジでぶっ飛ばす・・・」
「お嬢さん、一つ忠告しておこう。俺達は“裏の世界の人間”だ。敵に回す覚悟は出来てんのか?」
「知るか。目の前の敵が誰だとか、そんなもん関係無ぇんだよ」
一枚、また一枚とネイルを剥がし、落としていく。
全てのネイルを剥がし終え、板野は強く拳を握った。
「私の後ろに守りたい奴がいる。だから――守るッ」
踏み込む。床に散らばったネイルがバリバリと悲鳴を上げて砕けた。
握った拳を小柄な男の顔面に叩き込む。よろめいたところに追撃を加えようと足を動かす。瞬間、耳元で鳴る風切り音。左側から迫る黒い塊。反射的に左腕で防ぐ。それが長身の男の蹴りだと気付いた時、左腕を重い衝撃が襲った。ミシリと骨が軋む。
「いい反応だ」
殴られた頬を擦りながら、小柄な男が笑った。先程のダメージは無いようだ。
「チッ、効いて無ぇってか・・・」
「女子高生のパンチなんか痛かねぇよ、お嬢さん」
小柄な男の左足が揺れる。咄嗟に後ろに下がって躱そうとしたが、そこには久美逹がいた。
「――くっ」
一瞬の迷い。板野の脇腹を男の左足が貫く。
重い――板野の脳裏に篠田の蹴りが甦る。
「うっ・・・」
がくりと膝が折れ、床に手を付く。男の革靴が視界に入った。どっちの男だろうか。疑問に思うも、顔を上げられない。
男と女の差。体格の差。力の差。大人と子供の差。人数の差。経験の差。
たった一度の蹴りで、板野は埋められない差を悟った。
その上、場所も悪い。互いに回避が出来ないこの狭い空間は圧倒的に自分が不利だ。
私の軽い拳は男逹にダメージを与えられない。しかし逆に、男逹の重い拳は一つ一つが確実に私を弱らせる。
――勝てない。
浮かんできた弱気な考えを振り払うように、板野は勢いよく立ち上がった。
「アアァッ!」
勢いのまま、目の前の小柄な男に肩から突っ込む。男は呻き声を上げて尻餅ついた。
追撃はしない。すぐに長身の男を視界に捉える。雄叫びを上げながら拳を放つ。一発、二発。力の限り打ち付けるも、男の表情は変わらない。
「ガキがいくら殴っても意味無ぇよ」
男の足が動く。来る――そうわかっていても動けなかった。先程のダメージが思ったより効いてたらしい。
長身の男の蹴りが脇腹を抉る。重い。内臓が悲鳴を上げる。口から無理矢理酸素が吐き出される。
それを取り戻すかのように息を吸いながら拳を握り、放つ。長身の男の頬に当たった。しかし手応えは無い。
すぐに逆の手を握り締めたが、腹部に男の蹴りが迫っていた。
衝撃。一瞬遅れて訪れる鈍い痛み。
「ぐ・・・」
なんとかそれを耐えた板野に二発目が迫る。激痛が走り、蹴られるがまま受け身もとれずに壁に衝突した。
何とか倒れないように踏みとどまるが限界は近い。
「シブヤさんッ」
「シブヤお姉ちゃん!」
久美と理久の声が、嫌に遠い気がする。
――また守れないのか。
視界が揺れる。後ろを振り向くと、久美が、理久が、そして二人の母親が、自分を見ていた。
「は・・・」
――なんで私はこんなことしてんだ?関係無いじゃん。
二人の母親なんて初対面だし、二人とだって別に・・・。
笑えた。他人の為に体を張って、殴られて――そんな自分が、笑えた。
――やめようかな。
だが、そんな思いとは反対に、目は男逹を捉える。手は強く拳を作る。足は男逹に向かう。
一歩、男逹に向かって踏み込む。激痛に顔をしかめた。間違いなく今までで一番痛い。
自分の呼吸がうるさい。鼓動がうるさい。
そこら中が熱くて痛い。
もう一歩、男逹に近付く。
たった数歩しかない距離が酷く遠く感じる。
男逹の呆れたような顔が見えた。
三歩目。踏み込むと同時に拳を振り上げる。
それを見て小柄な男が、はぁ、とため息を落として手を動かした。
あれ?速いな――そんなこと思った次の瞬間、腹部に男の拳がめり込んでいた。
「うっ・・・」
あぁ、私が遅いのか。床に倒れ込みながら、一人で納得する。
――負けた。また負けた。
頬に床の冷たさが伝わる。
音がしない。視界が歪む。
全てがぼやけて見える。
そんな不鮮明な視界の中で、ぼんやりと黒と赤の二色を見た気がした。

「酷いですね、これは」
「うふふ、よく頑張ったじゃない」

聞き覚えのある二つの声だけが、音として理解できた。
「大丈夫よ。後は任せて」
鼓膜を揺らす妖艶な声。
板野はそこで意識を失った。


病室でいつものように理久と鶴を折っていた中西が不意に窓の外に目を向けた。
歩道を歩く見知らぬ女性。車。屋根。出番を待つ白い救急車。四角く切り取られた日常。
「――ッ!」
街の景色を眺めていた中西の目が一点で止まる。
「来た・・・」
病院の正面玄関に停まった黒塗りのベンツ。そこから降りてきた二人組の男がじっと病院を見据えていた。
――間違いない、コイツらが・・・
「どうしたの?」
理久に服を引っ張られて振り向くと、不安そうに揺れる幼い瞳と目が合った。
「ん?どした?」
「里菜お姉ちゃん、怖い顔してる・・・」
「ごめんね、何でもないよ。・・・ちょっと用事が出来たから、少し待っててね」
「うん」
頷いた理久の頭を撫でてベッドから立ち上がる。
病室を出る際、もう一度窓の外を見ると黒塗りのベンツと一緒に男達の姿も消えていた。
――様子見だったのか。
ひとまず安堵しながら後ろ手に病室の扉を閉める。
「駒谷のお父さんに知らせた方がいい、よね?」
頼れる人に頼る――それが私に出来る全て。
私じゃ守れないけど、私だって守りたい。
あの子達の為に出来ることなら私は――
中西は礼治がいるはずの院長室に向かう途中、院内に設置されている公衆電話に立ち寄った。院内での携帯による通話は基本的に禁止されている為、外と連絡を取るには公衆電話しかない。
十円玉を入れ、電話帳に登録してある連絡先を見ながらボタンを押す。
『もしもし?』
カチャリと十円玉が落ちた。
「私」
『あら、その声は中西ね。珍しいじゃない、貴女が電話してくるなんて』
うふふ――妖艶な笑い声が中西の鼓膜を撫でる。
いつもの自分なら、あはは、そうだね、なんて言って笑っていたかもしれない。
でも――今は笑えなかった。
いくらか声を落とた中西が言う。
「ちょっと頼みがあるの・・・」



「はぁ・・・はぁ」
乱れた呼吸。熱を帯びていく体。脈打つ心臓が独創的なリズムを刻んでいく――この瞬間が好き。
病院の中庭で躍りながら、久美はそんなことを思った。
いつから踊っていたかはわからない。いつの間にか踊っていて、いつも踊っていた。
一番古い記憶は、テレビに出てたアイドルの真似をして踊る自分。
母はホコリが立つと言って口を尖らせ、理久は私を真似して踊っていた。
そして――
上手いなぁ、将来の楽しみは踊ってる久美をテレビで見ることにしよう。そう言って声を上げて笑っていた父。
それは温かな記憶。確かに存在した幸せな時間。
でも、記憶が甦ると同時に恐怖も感じる。
私の手足が舞うことを止めた時、この大切な記憶が消えてしまうんじゃないか――そんな恐怖が久美を苛む。
「・・・ぐすっ」
目の奥がじんと熱くなり、頬を冷たい滴が伝った。
「おいおい、泣きながら踊るなよ。まぁ、表現の一つとしての涙なら大したもんだけどな」
からかうような声に久美が振り向く。後ろのベンチに板野が座っていた。
目が合い、板野が軽く手を上げる。
「よっ」
「シブヤさん・・・」
「暇か?ちょっと話そうぜ」
そう言ってベンチの右端に寄る板野。ぽっかりと空いた左側の空間に、久美は遠慮がちに腰を下ろした。
久美がちらりと横を見る。
眠い、と呟いた板野が欠伸を噛み殺していた。
久美は何も言えず、板野は何も言わない。
もう一度、久美が隣を見る。
長いまつ毛に囲まれた、茶色掛かった瞳と目が合った。
「ん?」
「や、いや、すいません」
久美が慌てて頭を下げると、板野はククッと笑った。
「なんで謝んだよ」
「それは・・・」
「まぁ、いいや。それより――」
板野の声に含まれていたものが変わった。それに気づいた久美が顔を上げて板野を見る。
「お前、学校行かないでバイトしてるだろ」
「それは・・・」
予想はしていたが、何も答えられなかった。否定も肯定も出来ずに俯く久美。
その沈黙を肯定と受け取り、板野はため息を吐いた。
「学校くらいちゃんと行けよ。お前の母さんだって、このこと知ったら――」
悲しむぞ。そんなありきたりな言葉しか浮かばず、板野は口を閉ざす。
「でも、礼治さんにはお金、払わなきゃ・・・」
「あのなぁ」
がしがしと乱暴に頭を掻き、板野は強く久美の背中を叩いた。
「ガキが変な遠慮すんな。金なら大きくなってから返せばいい。今は黙って甘えてろ」
「けど・・・お金は」
「お前ら姉弟が金の貸し借りに敏感になるのはわかるけどよ、礼治は“アイツら”とは違うだろ。そんなこともわかんねぇのか?」
その問いに、久美は首を横に振る。
わかってる。礼治さんは、あの人達とは違う。
そんなことは――わかってる。
けど、それでもダメなんだ。
だって、私達は他人だから。
どうしようもなく、他人だから。
「でも、私達は他人です」
他人――。
そう繰り返して、久美は寂しげに微笑んだ。
人生の苦難を体験し、現実に折り合いをつけ、諦めることを学んだ者が浮かべる――あの笑みで。

「他人だなんて酷いですねぇ。それなりに長い時間を一緒に過ごしてきたのに」

聞き慣れた、優しい声。
久美が顔を上げると、白衣を着た礼治が柔らかく微笑んでいた。
「甘えなさい、頼りなさい。遠慮なんかいりません」
「礼治さん・・・」
「私は君達の味方です。他人ではありませんよ」
礼治は白衣から茶色い封筒を取り出した。それを久美の手に握らせる。
「これは久美さんに返します」
「これって・・・」
「あなたが今まで食費として私に払っていたお金です。自分の為に使いなさい。そうですねぇ、音楽プレイヤーを買うなんてどうですか?そうすれば、もっと上手に踊れますよ」
礼治の言葉が、これまでに聴いてきたどの曲の歌詞よりも深く、温かく久美の胸に染みる。
ごめんなさい。ありがとうございます。
久美は二つの言葉を嗚咽混じりに何度も繰り返した。
伝えきれない感謝の気持ちが涙となって溢れ、しわが出来る程に握り締められた封筒に点々と染みを作る。
その涙は、温かかった。
「おい、クソ院長」
「板野さん、あなたは空気を読むということを学ぶべきですね・・・」
板野に呼ばれ、礼治は苦笑しながら応えた。
「なんですか?」
「どうしてお前がここにいるんだよ。てか、いつからいた」
「あなた達が話しているのを偶然見掛けたので。何か問題でも?」
「別に」
私がいいこと言ってたのに全部持ってきやがって――心の中で毒づいた板野は、拗ねてそっぽを向いた。礼治が肩を竦める。
「・・・ぐすっ」
俯いて肩を震わせていた久美が、洟を鳴らして顔を上げた。服の袖で目元を拭う。
「今日はこの後どうするんですか?」
礼治が尋ねると、久美はエヘッと、どこか恥ずかしそうに笑った。
「暇に、なっちゃいました」
――もう、働く必要は無いから。
「そうですか、それは良かったですね。もしよければ、理久君と鶴を折ってあげてください。彼も喜びますよ」
久美は笑顔で――明るく元気な女の子が浮かべる笑顔で、頷いた。
「はい。そうします」

「理久君なら私の病室にいるよ」

その声に振り向くと、唇の片端を悪戯っぽく吊り上げた中西が薄い桃色の患者服に手を入れながら歩いてきた。
「おや、普段は病室に籠りっきりのあなたが外に出てくるなんて」
「うん。ちょっと礼治さんに話があってね」
そう答えた中西の表情に、切迫した何かを礼治は感じ取った。
中西はすぐに礼治から視線を久美に移す。
「私の病室は626号室だよ」
「い、いつも弟がお、お世話に――」
「あ~いいよいいよ。早く行ってあげな」
「は、はい」
駆け出した久美を見送り、板野もベンチを立った。
「じゃあ、私もそろそろ・・・」
「君はそこにいて」
歩き出そうとした板野を中西が制す。
「君も聞くべきだ」
中西の顔が先程までの飄々としたものではなかった。
その表情で、板野は改めて理解する。
この人もまた、四天王の一人なのだと。
「私にも関係あるってことは・・・“アイツら”ですか?」
板野の問いに小さく頷き、中西はゆっくりと告げた。
「来たよ。バレた」
「そうですか・・・」
礼治は眼鏡を押し上げ、深いため息を落とした。その横で板野は拳を握る。
「・・・どうすんすか?」
「言ったでしょ?私はあの子達を守れない。だから礼治さんに話したんだよ。礼治さん、なんとか出来ますか?」
礼治は首を横に振る。
「それらしい人を院内に入れないように注意するくらいしか・・・。それ以上はいくら院長といえど厳しいですね。――あ、すいません」
礼治の携帯が鳴った。携帯を取り出した礼治は一言二言言葉を交わして通話を切る。
「すいません。呼ばれてしまいました」
「は?ちょっと待てよ!そんなの後で――」
「すいません」
引き止めようとした板野の言葉に耳も貸さず、礼治は駆けて行ってしまった。
「なんだよ、こんな時に・・・」
「しょうがないよ、彼はこの病院の院長なんだもん。たくさんの人の命を背負ってるんだよ」
憤然とした様子の板野を中西が宥める。
「まぁ、そうっすけど・・・」
「それにしても困ったねぇ。礼治さんの力は借りられそうにないから、病院で保護してもらうのは無理だね」
一つ手は打ってあるけど――中西は腰に手を当てて呟いた。
「どうしよっか」
「じゃあ、私がついてますよ。私が久美と理久、それと二人の母親を守ります」
「それは危ないよ。相手は男だよ?もしかしたら凶器とか・・・」
心配する中西に対して、板野はあっけらかんと笑ってみせた。
「大丈夫っすよ。ここ病院だから怪我してもすぐに治療できますし」
「ふざけないで。これは高校生同士の喧嘩じゃないんだよ?」
中西が真っ直ぐに板野を見る。
止めなければ――そう思っての行為だった。だが、それ以上に真っ直ぐに、強く、板野は中西を見詰めていた。
「こんなこと恥ずかしいから言いたくないんすけど」
「・・・うん」
「今日、やっと久美の笑った顔が見れたんです。媚びた顔じゃなくて、諦めたような顔じゃなくて、笑ったんすよ」
私はそれを守りたい――そう言った板野の言葉には、強い意志が宿っていた。
止めても無駄だろう。そう悟った中西はいつも理久にするように、板野の頭にぽんっと手を乗せた。
「無茶しないでね、とは言わない。どうせ無茶するだろうし」
「すんません・・・」
「だから――頑張れ」
「はい」
板野は、力強く頷いた。