※自分なりの覚書記事です。リアルが大変な方からすると小さなことなので、ご興味ある方のみどうぞ。

自他ともにだが、ブログを開くと、文章に写真が添えられている、もしくは写真に文章が添えられている記事を多く目にする。

写真命であれば、写真だけの記事があってよい。文章命であれば、文章だけの記事があってよい。では、「写真と文章をセットで載せる理由は?」と問いかけてみたい。

 

Aさん:「写真も文章もみんなに見てもらいたいんや!」

Bさん:「文章で伝えきれないところを写真で補足してるんだよ。写真で伝えきれないところを文章で補足しているんだよ」

Cさん:「え?何も考えてないよ。いつも通り軽いつぶやきを楽しんでるだけじゃん」

 

AさんもBさんもCさんも、だいじょうぶ、今まで通りに楽しんでください。

 

でも「何だかなあ?」と思ったことがある方もいるかもしれない。写真の専門家は少ないと思うので、多くは写真についての疑問だろう。

 

Dさん:「写真を載せるの手間だなあ」

Eさん:「この写真をはたして載せる必要があるのだろうか?」

Fさん:「惰性感がそろそろ出てきたなあ」

 

Dさん、Eさん、Fさんは、一度、文章のみ、もしくは写真のみの記事にトライしてみてはどうだろうか、と思うのだ。

文章のみの記事にトライすることで、ファッション上手になれたり、表現力を磨けるのではないか?

また、写真だけの記事と決めてしまえば、撮った写真は、気合一閃のシャッター押しで、素晴らしい写真が出来上がってきそうだ。

 

写真を撮るのも考えてみたら、何かをしてる手をわざわざ止めて、写真を撮っている訳で、例えば「そんなに料理の写真を山のように撮って、食べることを楽しめている?」と、疑問に思うことしばしば(自他ともに)。「ながら作業」はやめて、実生活とブログを切り分けないと、どっちにもよろしくないのではないか。

 

楽しさだけで書き続けることは難しい。初めは新鮮だったものに飽きがくるのは当然だろう。男女や友達その他の関係にも似ているが、ブログに年齢があるとしたら、年齢なりに「ありかた」を変えていかないとマンネリで退屈になってしまうだろう。

 

∞さん「そうなったら、やめればいい」

 

それもありだろう。仕事のように「本案件は終わったので解散」であれば清々しいものだ。でも確たるやめる理由がない場合、折角命を吹き込んだものに対して、自然消滅的な終了は悲しい。ブログも老いに抗って、渋茶色のブログを目指していけばよいのではないか。

私なんて写真どころか音楽や動画まで。無理にはしないが、少しずつでもトライしていきたいと思っている。

 

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