昔バックパッカーで旅していた時のメモがふと見つかった。
今私がやっていることに繋がっているなぁとしみじみしたので、書き残しておきます。
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ネパールでの話し。
日本の代官山でカレー屋さんを営むネパール人の知り合いがいる。
彼の家は高級住宅地の中でも目立つ豪邸。
彼のお兄さんは、ロシアに不動産を持ち、弟は香港に住む起業家。
いわゆるネパールの数%しかいない富裕層である。
家には常に、12歳の少年と14歳の少女の2人の掃除係がいた。
彼の13歳と14歳のふたりの子どもは良い教育を受け、英語ペラペラ。
掃除係のふたりだけがずっと無口だった。
ふたりは朝4:30に誰よりも早く起きて、4階建ての広い部屋を隅から隅まで掃除してる。
ごはんはみんなが食べ終わって最後に、テーブルには座らず台所の地べたで食べる。
掃除係ふたりは学校に行っていないらしい。
特に女の子は結婚するから勉強する必要なんてない、とネパールの大人達は言ってた。
生まれ育った環境の違う同い年の子どもたちが、違う立場で同じ家の中にいる。
生まれた場所で、未来の選択肢の数は決まっているかのように思えた。
お金持ちの家に生まれれば、たくさんの可能性の中に生きられるけど、
掃除係の女の子たちは外の世界を知らないままのように思えた。
何もかも知ることが善じゃない。選択肢が多いことが良いわけじゃない。
「日本では結婚しないで、仕事を楽しむ人もいるよ」
「学校に行ったら、自分でお店開いたり、他の国へ行ったりできるかもよ」
ただ、自分の人生を自分で決断していけるということも伝えてみたかった。
可能性は自分で広げられるということを知ってほしかった。
私は今、ミャンマーで、そういう誰かの可能性を広げることができないかと、もがいてるわけです。