「天罰」発言は、僕がブログ更新再開後に起きたものですけど、記事にもしませんでした。
というのも、僕自身が、同じ主旨の「【大地震】民主党政権への八百万の神々の怒り 」というタイトルの記事を、その前日に書いているからです(笑)。
ただ、昨日の記事にも記したように、この発言を大メディア様が「問題」発言にしたことによって、本気で問題発言だと思っている人が多いようなので、改めて書き記したいと思います。
そもそも、その前に大メディア様が判定する「問題発言」と呼ばれるものに、一般の人たちがどの程度、呼応するかというかということです。
大雑把に言いますけど、何となくの印象では、
4割:利己的個人主義のため興味なし。
3割:「メディアが「問題発言」って言っているから問題発言なんだろ。けしからん!」(たまに新聞を読んだりニュースを見たりするだけでインテリ気分な人が多い。見出しだけで判断。真意を理解せず、いや、する気もない。今回の件で言えば「天罰」の2文字だけしか読み取らない)
2割:根っからの左翼思想を持つため、本気で「けしからん!」と怒る。
1割:発言の真意を汲み取ろうとし、その上で、問題発言なのかどうか判断(もっと比率は少ないかも)。
こんなところでしょうか。
あくまでも、レベルの低い(?)僕の近辺での印象です。
そして、これまでにも散々記してきましたが、昔ほどではないにせよ、
「左翼に言論の自由はあるが、保守派は言葉狩りに遭う」
ということです。
左翼の発言が問題視されると(正真正銘の問題発言であっても)、「日本は危ない。言論の自由が脅かされつつある」と声高な主張が押し通り、保守の発言が問題視されると(正論であっても)、徹底的に弾圧されるという現象です。
それこそ、一昔前なら、あのアメリカによって日本解体のために押し付けられた「日本国憲法」と呼ばれるものを、左翼が「絶対に守るべき『ヘイワ』憲法」という声は当然、問題視されず、逆に保守派が「あの憲法によって、日本はズタズタに破壊される。憲法改正せねば」と言うと、「軍国主義者だ!また戦争を始める気だ!」と袋叩きに遭いました。
ただ、最近は少しずつ健全な日本人の言論の自由は保障されるようになっていて、特に出版界では完全に保障され、新聞メディアでは辛うじて産経新聞が孤軍奮闘していましたが、TVメディアは今だに全滅状態です。
産経新聞系列のフジテレビくらいしっかりしてもらいたいのですが、何に怯えているのかわかりませんが駄目ですねぇ。
そのため、日本を健全化しようとする政治家(保守派)が、それに必要な主張をすると、日本解体を目論む左翼から袋叩きに遭い、無知な大衆が同調してしまいます。
もちろん、そんな言論空間ですから、発言には気をつけなくてはなりませんが、残念でならないのが、一旦、「問題」発言にされてしまうと、本心では同調しつつも援護せずに背を向けてしまう保守派が多いことです。
例えば、2008年の中山成彬国交相(当時)の「日教組は日本の癌」という発言。
正論中の正論で、当ブログが最も訴えたいことであるにも関わらず、「問題」発言にされ失脚させられました。
そして、同じ2008年の田母神俊雄航空幕僚長(当時)の「日本は侵略国家であったのか」という、いわゆる「田母神論文」の歴史観も問題視され、首を切られました。
両氏は、「日本の教育と歴史観を左翼から取り戻そう!」としたのです。
そう、教育と歴史観を取り戻すことが日本再生にとって最も肝要なことなのです。
にも関わらず、「保守派」から人気の高い麻生太郎首相(当時)に見捨てられてしまったのです。
もちろん、両氏は「俺が先陣を切る!」という意図はなく、突発的に左翼に問題視されたのですが、そこには保守派に人気の高かった麻生太郎首相をバッシングする左翼の思惑がありました。
ならば、麻生太郎は受けて立つことが求められていたはずなのに、そこから逃げてしまったのは残念でなりませんでした。
(ネットで絶大な人気を誇る麻生太郎を批判的に書くと、バッシングに遭うのですが:苦笑)
さて、前置き(?)が長くなってしまいましたが、今回の石原都知事の「問題」発言について記しましょう。
そこでネットで「石原都知事 天罰 全文」を検索してみたのですが、全文は見つけられなかったので、それを記した記事から抜粋します。
「スーパーに雪崩れ込んで強奪するとか、そういうバカな現象は日本人に限って怒らない」「去年1番ショックだったのは、お祖父さんが30年前に死んだのを隠して年金搾取する、こんな国民は世界中に日本人しかいない」「アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等。日本はそんなものはない。我欲だよ。物欲。金銭欲。我欲に縛られて政治もポピュリズムでやっている。津波を上手く利用して、我欲を1回洗い落とす必要がある、積年溜まった日本人の心の垢を。被災した方には非常に耳障りな言葉に聞こえるかもしれませんが、これはやっぱり天罰だと思う」「被災者の方々は可哀想ですよ」
その後、「問題」発言を指摘されて、
「日本に対する天罰ですよ。これをどう受け止めるかという受け止め方の問題なんですよ。大きな反省の一つのよすがになるんじゃないですか。それをしなかったら犠牲者達は浮かばれないと思いますよ」
以上、大体、こんなところのようです。
もう一つ、朝日新聞の記事の文面を借りれば、
「石原知事は最近、日本人の『我欲』が横行しているとの批判を繰り返している」(≒ボケてしまったのか同じ「批判を繰り返している」)
というものもある。
そもそも、上述したように、大衆の8割が「天罰」の2文字しか知らない。
それを曲解して、まるで石原都知事が「東北地方の連中はアホばかりだから、天罰が下った」と言ったかと思い込んでいるのです。
あるいは、「日本に対する天罰だ」というニュアンスを感じ取っていたとしても、何にせよ、「日本を批判するなんて、けしからん!」という「お馬鹿なしょなりずむ」を爆発させているニホン人どもである。
ちなみに前回の記事で記した、「(石原都知事は)中国人みたいなことを言いやがった」という発言をしたのは、当ブログでお馴染みの朝鮮系ニホン人です。
それこそ、「大きな反省の一つのよすがになるんじゃないですか。それをしなかったら犠牲者達は浮かばれないと思いますよ」。
石原都知事の発言の趣旨は、当ブログの主張と全く同じである。
戦後、一貫して日本を破壊してきたニホン人に対する批判である。
利己的個人主義者と化したニホン人に対する批判である。
人類史上に誇れる、歴史と伝統を持つ美しい国、日本を破壊してきたニホン人に対して、天罰が下ったと言っているのです。
その犠牲者となってしまった「被災者の方々は可哀想」だと言っているのです。
僕のブログの記事タイトルの「民主党政権への八百万の神々の怒り」ですが、かねてから、「民主党政権誕生は戦後ニホンの成れの果て」と言ってきましたように、言い換えれば、「戦後ニホンへの八百万の神々の怒り」であり、まさしく「天罰だ」ということです。
そして、その犠牲者となってしまった「被災者の方々は可哀想」なのです。
「津波を上手く利用して、我欲を1回洗い落とす必要がある」「大きな反省の一つのよすがになるんじゃないですか。それをしなかったら犠牲者達は浮かばれないと思いますよ」との石原都知事の発言のように、今回の大震災によって、改めて、日本人の規律正しさ、協調心が呼び覚まされました。
公共心の大切さを。
我欲のままに贅沢三昧を謳歌してきた「エコノミック・アニマル」に対して、節電を強要せざるえない状況を生み出しました。
「水ってこんなに大切なものなのか」
「電力に頼りきっていた人間だが、元来、それに頼っては生きてはいけなかったんだ」
「皆が協調し合わなければ、この狭い日本列島では生きてはいけないんだ」
これに目覚めた人も多いのではないかと思います。
俺は関係ない?
「それをしなかったら犠牲者達は浮かばれないと思いますよ」
不幸中の幸いで、「津波震災」によって、多くのニホン人が目覚めるきっかけになってくれたのではないかと思います。
犠牲になってくれたことによって、日本再生のきっかけになったかもしれないのです。
無論、目覚めない人も多くいるのでしょうが、そんな輩をいちいち相手にしている暇はないですね。
日本から出て行け!!
そもそも、おそらく日本の歴史はそうしたことの繰り返しだったのかもしれません。
半島や大陸から多くの渡来人(帰化人)が日本精神に陶酔し、日本人になっていく一方、それ以前から日本に住んでいた日本人が我欲に溺れて、白い目で見られて淘汰されていったように思います。