「GHQ焚書図書開封(西尾幹二著)」を読んで ~前編~ | My Aim Is True

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先日、購入した「GHQ焚書図書開封」「GHQ焚書図書開封2」(2008 西尾幹二著)をまとめて読んでみました。


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半年ほど前に1冊目が出版されていたことは知ってましたが、以前、同じような主旨の「抹殺された大東亜戦争(2005 勝岡寛次著)」を読んでいたため、“今すぐ読む必要はないな”と思って、購入してませんでした。

読んでみると、良かったですねぇ。元々、著者は3冊目を出版するかどうかわからないけど、1&2冊目は当初から出版予定であったためか、両方読まないと、その意図は伝わらないのかもしれません。紛らわしいので、上・下巻とすべきだったかもしれませんが、3冊目が著されるかもしれないので、こうしたのでしょう。


アメリカは大戦中、圧倒的な軍事力で、明治維新以来、築き上げてきた近代日本を徹底的に破壊し、「日本軍の完全な武装解除」など物資面においての破壊は成功しましたが、戦闘期間の2倍以上の歳月を要した占領期間中、次は「日本人の精神」の破壊を徹底しました。戦争は終戦後も続いていたのです。そして、真の敗戦は、戦後の思想戦の敗戦だったのかもしれません。日本人はニホン人へと変貌した。


ある戦後神話によれば、戦前・戦時下の日本には言論の自由がなく、アメリカが自由と民主主義をもたらしたことになっています。

実際はどうでしょうか?

戦時中、日本国内では、ある程度の言論統制が行われました。もちろん、戦時下において言論統制は必要なことです。どこどこに奇襲をするため準備をしているだとか、どこどこの戦闘は敵国有利だから負けそうだとか報道するわけにはいきません。また、不適切な表現や思想が記された書籍や新聞は、その箇所が「黒く塗り」つぶされました。つまり、日本国民は「黒塗り」された書籍や新聞を見て、何か規制を受けたんだな、と知ることが出来ました。

日本軍の形勢の情報を握っていたのは、「大本営」でしたが、威勢の良いことばかり言っているにも関わらず、戦局が悪化しているのを肌で感じていた日本国民は「大本営」発表を信じなくなっていました。

そして、敗戦です。

日本国民は「『大本営』はあんなこと言ってたけど、実際はどうなっていたんだ?」と思ったことでしょう。

そして、それに付け込んだのが、占領軍(GHQ)でした。

各メディアを支配下に置いたGHQは、実際はこうなっていたんだよ、とばかりに嘘つき報道を垂れ流しました。戦前・戦時中は、報道規制にあったことは「黒塗り」にされていたため、「黒塗り」のない占領下の報道を「真実」と受け取ってしまったのです。

「有色人種は白人によって苦しめられて植民地化した。それらを白人の手から解放する!勇敢に戦う日本軍は日本国民の誇り!」から、「日本はアジアに侵略してアジア諸国民に残虐なことをした!日本軍は日本国民の恥!」へと次第に洗脳されていき、GHQ作成の「太平洋戦争史」という本が、「これが、この戦争の『正しい』歴史だったのか!」と大ベストセラーになって、現在でもこの史観が歴史教科書に反映されています。


武力を使わずに民族を抹殺するには、その民族の歴史を消滅させることだ、と言った人がいましたが、まさにそれを実践していったのです。その史観に反する書物が「焚書」されましたが、それは実に巧妙なやり方でした。各家庭に押し入って、「それは焚書指定図書だ!没収する!」なんてことはせずに、一般の日本国民には極秘で、出版社&流通網などに立ち入って没収し焚書していったのです。

そうした悪行によって、奪われた日本人の歴史の空白を取り戻そうというのが本書の主旨であり、戦前・戦中の日本人はどのように考え、どのような国際感覚や歴史観を持っていたのか知る上で大変参考になります


第1巻の序盤の70ページほどで、焚書の経緯や実態を記してますが、そこを退屈だと思った人は飛ばして読んでみても良いかもしれない。それ以降は、焚書にあった書籍をテーマごとに取り上げて、その記述を引用し、解説しているので、歴史本を読む感覚で読めます。


第1巻には、日中戦争序盤の一人の日本兵の従軍日記が紹介されていて、そこでの中国兵捕虜との親交が面白いですね。以前、読んだ本でも、一緒に行軍することになった中国兵捕虜に“重いから”と銃などの兵器を持たせていて、「銃を持たせて大丈夫か?」と周囲に不安がられた兵士もいました。そして、本書でも、上官が「こいつ(中国兵捕虜)は俺を将校だと知っているみたいだな。今晩、俺を殺すかもしれんな。試してみるか」とわざと銃や軍刀を目に付くところにおいて一晩過ごすんですけど、この日本兵はさすがに不安で寝付けなかったそうですが、すっかりこの中国兵捕虜は日本兵に懐いていたので、何も起こらなかったそうです。

戦後、まるで日本軍は中国大陸で悪いことばかりしていたかのように、喧伝されていますが、以前、読んだ本でも、敗戦後、日本軍が帰国することになったことを聞いた中国の住民が、「帰らないでくれ。日本軍がいなくなったら、中国軍が戻ってきて、治安が悪くなる」と泣きつかれたりもする地域もあったようです。


第1巻で一番、興味深かったのは、オーストラリアに関する箇所ですね。僕を含め、今の日本人は、日本の近代史にオーストラリアという存在はあまり出てこない印象がありますが、戦前の日本にとってオーストラリアは実に厄介な存在だったんですね。

そもそも、オーストラリアはイギリスの囚人の流刑地であり、入植してきた人は、先住民「狩り」を遊び感覚で行い、大虐殺してました(そんな国の人が、今、「日本人は鯨を捕獲する残虐な奴ら!」なんて言ってるんだから呆れてしまいます)。

それに、つい最近になるまで自他共に認める「白豪主義」の完全な人種差別国家だったのです。

そんな国ですから、100年前の人種差別は強烈であり、非白人のくせに世界の大国となった日本なんて憎くて仕方なかったのでしょう。英米を巻き込んで、日本に対し過剰な圧力を加え続けてたんですね。こうしたオーストラリア観は、最近の日本人の歴史観から消えてしまっています(これぞ、焚書による歴史の喪失でしょうか)。


さて、国際社会の舞台で、人類史上初めて、「人種差別反対!」を唱えたのは、どこの国か知っていますか?

“人種差別反対なんて当たり前のことじゃないか”と思うかもしれませんが、当たり前になったのは、ここ20年くらいのことです。

その先鞭をつけたのが、我が日本です。

第1次世界大戦後のパリ講和会議(1919年)において、国際連盟が創設されることになりましたが、その国連草案に日本が「人種差別撤廃」案を主張しました。

白人にとっては厄介ですが、ほとんどの有色人種は欧米の植民地となって人種差別を受けていましたから、日本は全ての有色人種の希望の星だったのです。


「近代中国の建国の父」とされる孫文(孫中山)も、こう言っていました。

「講和会議で日本は五大国の一員として席に着いた。日本はアジア問題の代弁者だった。他のアジア諸国は、日本をアジアの先頭馬として認め、その提案に耳を傾けた。白人にできることは日本人にもできる。人間は肌の色で異なるが知能に違いはない。アジアには強い日本があるから、白人はアジアのいかなる人種も見下すことはできない。日本の台頭は大和民族に権威をもたらしただけではなく、アジア全民族の地位を高めた」


軍事力が強いことが、国家&民族の地位を決める帝国主義の時代で、日本は懸命な努力で躍進しました。戦後は経済力の強さが、国家&民族の地位を決める「経済戦争」の時代となりました。

いずれも日本は有色人種の先鞭を付けたのです。

「有色人種の作った製品なんて、安かろう悪かろうだろ?」なんていう国際社会(白人社会)に日本製品の優秀性を認めさせました。


面白いのは、パリ講和会議の時、全米黒人新聞協会も、こんなコメントを出していることです。

「我々黒人は、講和会議の席上で、人種問題について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである。全米1200万人の黒人が息を呑んで、会議の成り行きを見守っている」


最近の若い人はよくわからないかもしれませんが、ほんの20~30年前までは、アメリカにおいて黒人は、建前としてですら、差別されるのが当たり前だったのです。

信じられないかもしれませんが、日本が真珠湾攻撃して日米戦争が起きると、アメリカの黒人は、日本と一緒に白人と戦うべきか、やはりアメリカ国民として日本と戦うべきか激しい葛藤に悩んだ人も多いのです。


それで、日本が主張した「人種差別撤廃」案ですが、英米豪の強い反対に遭って、実現されませんでした。この辺は多くの歴史本に記されることですが、この件でオーストラリア(豪)がいかに主導的な役割を果たしたか、当時の日本人は知っていたんですね。


さて、最後に、第1巻に記された興味深かった箇所をもう一つ挙げましょう。

それは、マレー半島を南進し、イギリスのアジア植民地政策の拠点だったシンガポールを攻略した兵士の従軍日記の箇所です(ちなみに本書を読むと、「焚書」図書を通じて、オーストラリアやマレーシアやインドなどが、どのように白人に蹂躙されていったのかを学ぶこともできますよ)。

真の歴史認識を喪失されてしまったニホン人は知らないかもしれませんが、1941年12月8日に始まる「大東亜戦争※」というアジア植民地解放戦争はアジア諸国で熱狂的に受け入れられたのです。


マレーシアのガザリー・シャフェ元外相は、「日本の政治家がどうして謝罪ばかりするのか? 日本がどんな悪いことをしたというのか? 大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった、。僅か3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとても適わないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやって来たと思っていた」と言ってました。


それを証明するかのように、本書で紹介される「焚書」図書のある兵士の従軍日記の記述に、「私たちにはいつも味方があった。それは住民である。(略)住民たちが我先にと集まって手伝ってくれた。彼らは一様に『早くシンガポールを落としてくれ』と言う」がありますね。


マレーシアの上院議員だったラジャー・ダト・ノンチック氏の回想をまとめた書「日本人よ、ありがとう」にも、日本軍がマレー半島に上陸したことをラジオ報道で聞いたノンチック少年が、

「一瞬、身の毛がよだつような興奮と緊張で立ちすくんでいたが、急いで父の部屋へと飛んでいった。『とうとう日本軍が来たね』 少年は喜びと興奮を隠しきれず、父に囁いた。そうしている間にも、胸がジーンとしてきて、体の震えが伝わってくる」

と、開戦時の心境が記される。

ちなみにマレー半島に日本軍が上陸した12月8日は、その地域で、「日本軍上陸を祝う日」だそうだ。それがマレーシア独立に繋がる第1歩となったからです。


さて、最後にタイのククリット・プラモード元首相の言葉を記しましょう。

「日本のおかげでアジアの諸国は全て独立した。

日本という『アジアの母』は、難産して母体を傷つけてしまったが、産まれた子供はすくすくと育っている。

今日、東南アジア諸国民が欧米と対等に話ができるのは、一体誰のおかげか?

それは、身を殺して仁をなした日本という『母』があったためである。

12月8日は、我々に重大な思想を示してくれた『アジアの母』が一身に背負って重大決心をした日である。

8月15日は、我々の大切な『母』が病に伏した日である。

我々は決して、この二つの日を忘れてはならない」


今日は帰宅が遅くなったので、この辺で。

続きは次回。


※印:「アジアを白人支配から解放する」という理念を持った「大東亜戦争」という呼称は、GHQ占領下の日本人洗脳工作によって、禁止語とされ、「侵略戦争」という「太平洋戦争」という呼称が強要された。また、「大東亜戦争」は当時の公式的には、1937年から始まるシナ事変(日中戦争)も含まれるとしている。