20代半ば初発のとき
病院勤めをしていた関係で
勤めている病院で検査を進めていた
でもそこでははっきり「がん」の診断がつかず
(細胞診、うまく取れてなかったのよね不安)
3ヶ月開けて再診
と言われた

またグレー判定は懲り懲りなので
がん専門病院に行くことにした

そこで残念ながら
がん宣告

そこからこの病院でお世話になることになり
仕事も休職して治療開始
N先生は口数少なくて
どっしり(体格も含めて笑)構えてて
頼れる先生
って感じ

ステージ2aの告知後
「あなたまだ生きられますよ!」

治療開始前に遠方に住む友人に会いに行った話をしたとき
「今生の別れじゃないんだから」

抗がん剤治療の説明を聞いてワタシが
治療後に妊娠はできますか?
と質問したら
「100%生理は戻ってきます
治療後に出産した方もいます」
(えー先生、100%って言っちゃって大丈夫??)

脱毛の説明に肩を落としていたら
「髪はまた生えますからね」

術前抗がん剤後
しこりサイズがあまり小さくなってなくて
またまた肩を落としていたら
「大きさは変わってなくても
中で(がん細胞が)クタクタになってるかも
しれないですよ」

退院後の初診察で
「おめでとうございます
(手術で取ったものから)
がん細胞は見つかりませんでしたよ」

7月告知
術前抗がん剤(パクリタキセル)
10月手術
術後抗がん剤(EC)
放射線50グレイ
ホルモン治療
リュープリン3年
ノルバデックス5年

ホルモン治療を始めた翌年3月頃
某医大の教授就任のためご栄転

20代半ば
がん患者としては若すぎる年齢
主治医の前で涙を流すことはなかったけど
心の痛みは理解してくれていたんだろうな
温かい声で端的に
いつも励ましてくれたように思う

大好きな先生だったから
こんな早いお別れは悲しすぎたけど
追いかけるわけにはいかない遠い場所
(実はこのN先生
色んな病院を経て
いまは我が家から電車一本で行ける病院で
お勤め、なのは再発後に知った)

後任の先生にバトンタッチ
となったのでした

勤めていた病院にも
もちろん乳がんの報告はしたわけで
その時診てくれてた女医さんが

「うちで見つけてあげたかったな」

と言ってたよ
と同僚から聞いた

先生のいろんな言葉が
20年たった今でも
いくつも残ってる

先生の言葉って
刺さるよねー