永楽帝~大明天下の輝き~ #44 親征の決意 あらすじ

 

 

 

朱棣しゅてい瞻基せんきの説を、道理にかなっていると誉めつつ、戦では失敗しないことが最も重要なのだと教えた。

漠北ばくほく出征は情勢上必至だった。

 

都から北京にいる朱棣しゅていのところに”東宮とかん王府に異常なし”との知らせが届いた。

 

丘福きゅうふくは、韃靼タタールの尚書を生け捕りにした。

尚書は、本雅矢里ベンヤシリ阿魯台アルクタイが2千の兵と逃走したことや、彼らの居場所を供述した。

好機と考えた丘福きゅうふくは奇襲を仕掛けたが、これは罠であり大敗した。

 

丘福きゅうふくは爵位をはく奪され一家で海南かいなんに流された。

 

阿魯台アルクタイ本雅矢里ベンヤシリ大汗ダハンにし正当性を主張し、明に勝ち声望を得た。

座視すれば阿魯台アルクタイが草原統一を成し遂げるかもしれない。

朱棣しゅていは親征を決意した。

 

朱棣しゅていは12歳になった瞻基せんきに北京を任せ、夏原吉かげんきつを補佐役に任じた。

 

朱棣しゅていは12万の軍勢を率い、10日ごとに拠点を築きながら進軍した。

 

本雅矢里ベンヤシリ瓦剌オイラトに逃げた。

朱棣しゅてい本雅矢里ベンヤシリを追撃させた。

瓦剌オイラトに到着した時、本雅矢里ベンヤシリには7名の騎兵しか残っていなかった。

 

続いて明軍は阿魯台アルクタイを攻めた。

阿魯台アルクタイは明に服従した。

 

朱棣しゅていは勝利し凱旋した。

 

江南こうなんから北京までの水路を貫通させるため、3年間は治水に財源を充てたい。

その間は漠北ばくほく出征を控えて欲しいと夏原吉かげんきつ朱棣しゅていに頼んだ。

 

朱棣しゅてい妙雲みょううんの霊廟で、瞻基せんきを皇太孫にしたこと、馬哈木マフムードが不敵な態度を見せていることから再び漠北ばくほくに出兵する必要があることなどを報告した。

 

朱棣しゅていは北伐に瞻基せんきを同行させ、戦を見せた。

開戦後4時間が経過し、馬哈木マフムードには兵が残っていなかった。

ここで騎兵を突撃させれば、敵陣は敗れる。

しかし瞻基せんきには、明軍にも突撃できる騎兵は残っていないように思えた。

すると朱棣しゅていは自ら兵を率い突撃した。

 

忽蘭忽失温ウラーン・ホシューンの戦いにおいて明軍は遊牧民族が最も得意とする騎兵戦を繰り広げ、瓦剌オイラトの騎兵を撃破した。

馬哈木マフムードは部族と共に敗走した。

 

病の床で死期を悟った姚広孝ようこうこうは、見舞いに来た朱棣しゅていに、即位後16年間の朱棣しゅていの功績を語った。

内閣の創設、運河の浚渫、二度の漠北ばくほく親征、5度の西洋下り、3千人の文士を集めた「永楽大典」の編纂、80万の大軍を安南あんなんに差し向けたこと。

そして、誰もなしえなかった偉業を達成したのだから、そろそろ休むようにと話した。

 

1420年(永楽18年)11月、朱棣しゅていは北京に遷都した。

観兵式の日、韃靼タタールが辺境に侵入した。

顔を潰された朱棣しゅていは、来春の北伐を決意した。

 

兵馬の蓄えは近年の戦で9割がた失われた上、災害続きで国庫は底をつき、民は疲弊している。

夏原吉かげんきつは、親征の延期を奏上した。

 

朱棣しゅていは怒り、夏原吉かげんきつを捕らえると屋敷を錦衣衛きんいえいに捜索させた。

 

夏家の屋敷に余分な家財はなく、没収品は銀換算で100両たらずだった。

報告を受けた朱棣しゅていは、夏原吉かげんきつを広い牢に移し、待遇を改善させた。

 

 

 

 

感想

 

朱棣しゅていは親征し韃靼タタールに勝利しました。

阿魯台アルクタイは帰順し、和寧わねい王として明の冊封を受けました。

 

韃靼タタールが力を失うと、順寧じゅんねい王として先に冊封を受けていた馬哈木マフムードが挙兵しました。

馬哈木マフムードとの戦いに、朱棣しゅてい瞻基せんきを連れて行き、本物の戦いを見せました。

最後、勝利を勝ち取るために朱棣しゅてい自ら出撃したのには、驚きました。

さすが、戦に出たくて家出した男です。

 

馬哈木マフムードに勝つと、今度はまた阿魯台アルクタイが。

きりがないですね。

朱棣しゅていは親征したいけれど、兵馬も国庫も蓄えのない官吏は反対。

夏原吉かげんきつは諫言を行い、捕らえられてしまいました。

 

夏原吉かげんきつの屋敷には、大した家財もなく、つつましい暮らしをしていることがご近所でも噂になっていました。

 

開中法かいちゅうほうの悪用や空印くういん事案などで、汚職官吏が金銀財宝をため込んでいるのを見てきた(15話など)ので、夏原吉かげんきつの清廉さがよく分かり、そんな清廉な夏原吉かげんきつを捕らえた朱棣しゅていが暗君に見えてしまいました。

楊栄ようえいによれば、朱棣しゅていは誰の忠言も聞かなくなっています。

そのため楊栄ようえいは、忠言に行こうとする夏原吉かげんきつを必死に止めていました。

 

姚広孝ようこうこうが「休むように」と言ったのは、こうなることを見越してのことかもしれない、と思いました。

今のまま皇帝業を高熾こうしに譲れば、朱棣しゅていは偉大な皇帝として名を残せる、でもこのまま突き進めば分からない、ということを姚広孝ようこうこうは感じていたのかもしれません。

 

それにしても、夏原吉かげんきつほどの功臣が、あれほど慎ましい生活をしていた、というのは美談のように見えて、美談でないような気もしました。

夏原吉かげんきつが十分すぎる褒章をもらっていたけれど、それを全部慈善のために使っていた、というのなら美談だと思うのですが、多分そうではないですよね?

 

42話で朱棣しゅてい夏原吉かげんきつに、国の体面を保つ財源を確保するため、公侯への俸禄を米と宝鈔ほうしょうで行っていると言っていました。

物価の高騰で額面1貫の宝鈔ほうしょうは12文にしかならない状況らしく、この話を聞いた夏原吉かげんきつは驚いていました。

 

44話の時点でも災害や親征で国庫はカツカツ状態らしいので、同じような状況が続いているのではないでしょうか。

そのせいで、夏原吉かげんきつが慎ましい生活をしているのではないかと、勝手に想像し、能力に見合ったお給料出してあげて―滝汗と思ってしまいました。

実際の所は分からないので、あくまで想像ですが。

 

それに文官は戦をするなというけれど、戦をしなければ国が乗っ取られる、という状況で国を守るためにはお金がなくても戦わなければならないのかもしれないですしね。

本当に正しいのは朱棣なのかもしれません。

 

誰が正しいのかは、最終回を見た後に、永楽帝に関する文献を読んで考えてみたいと思いました。

もしかしたら正しい、正しくないを考えること自体おかしいのかもしれません。

 

朱棣しゅてい高熾こうし高煦こうくを見張らせているらしく、北京にまで報告が来ていたのが一瞬の描写でしたが印象に残りました。

このドラマでは詳しく描かれていませんが、もうすでに動きは起きているのかもしれませんね。

 

姚広孝ようこうこうさんはご自分で死期を悟っている様子。

「やはり心残りがあります」と言っていました。

それは何なのでしょう?

朱棣しゅていの世を見届けられないこと?紫禁城の造営?それともずっと昔から温めていたこと?気になります。

 

ついに次回は最終回、一体どんな最終回になるのか。

想像もできません。