永楽帝~大明天下の輝き~ #45(最終話) 後世への願い あらすじ

 

 

 

朱棣しゅていは牢にいる夏原吉かげんきつに、これまで通り公務を行わせた。

 

3年後、朱棣しゅてい夏原吉かげんきつの牢を訪ねた。

 

「永楽大典」の編纂、北征による砂漠の制覇、西洋下り、奴児干ヌルガン烏斯蔵うしぞうの統御、運河の整備、北京への遷都。

1つでも名君と言われる偉業を朱棣しゅていはこれだけ成し遂げた。

しかし他にもやりようはあったのではないか、と夏原吉かげんきつ朱棣しゅていに問いかけた。

西洋下りや北征の間隔をもっと開ければ、朝廷の蓄えが底をつくこともなかった。

 

朱棣しゅてい夏原吉かげんきつを牢から出すつもりだったが、そうすることなく立ち去った。

 

朱棣しゅてい高熾こうしに、3年前夏原吉かげんきつを投獄した理由を話した。

夏原吉かげんきつの考え方自体を咎めるつもりはない、しかし戸部こぶ尚書の夏原吉かげんきつが兵部 工部 礼部れいぶの尚書を唆し同時に奏状を上げたことが許せなかったのだ。

 

ここ数年、自分が急ぎすぎていることを朱棣しゅていは自覚していた。

しかし気を緩めると”お前は明をなんて姿にしてくれた”という洪武こうぶ帝の声が聞こえる気がして気を緩められないのだった。

将来の難題を自分が一生をかけて先に解決し、子孫たちが立派な名君になれるようにしたいのだと、朱棣しゅてい高熾こうしに語った。

 

朱棣しゅていは5回目の北征を開始した。

すでに朱棣しゅていの体は弱っていた。

 

朱棣しゅてい阿魯台アルクタイを捜し行軍したが、行方はつかめなかった。

阿魯台アルクタイの行方を捜しに行った張輔ちょうほは、阿魯台アルクタイの軍から はぐれた子供を見つけた。

子供は都指揮使としきし満都まんとの家で保護されることになった。

 

捕らえた北元ほくげん人から阿魯台アルクタイ答蘭納木児ネメルゲン河まで撤退したという情報を得た。

朱棣しゅていは1万の精鋭兵を率い答蘭納木児ネメルゲン河を急襲した。

しかし阿魯台アルクタイはすでに逃げていた。

 

張輔ちょうほは軽装兵による奇襲をしたいと志願したが、張玉ちょうぎょくに加え張輔ちょうほまで犠牲にできないと言って朱棣しゅていは許さなかった。

 

朱棣しゅていは兵たちと火を囲み、50年前の初陣の話をした。

”2人の首を斬って小旗しょうきに昇進した。”などだ。

 

出征して3か月、朱棣しゅてい阿魯台アルクタイを見つけられないまま撤兵を決意した。

 

永楽20年の北征では明軍は阿魯台アルクタイが見つからなかったものの、兀良哈ウリャンハイ族を滅ぼした。

4回目の北征でも明軍は阿魯台アルクタイを見つけられなかったが、也先土干エセントガンを投降させた。

今回、戦果を得ず撤退したという話を聞いた伯雅倫海別パヤルンハイベは、面子を保ってられないほど体調が悪いのだろうと話した。

 

伯雅倫海別パヤルンハイベは喜ぶ阿魯台アルクタイを遠ざけ1人になると、懐かしそうにナイフを眺めた。

 

朱棣しゅていは馬に乗れず寝込んでいた。

楊栄ようえい瞻基せんきに迎えに来てもらおうと張輔ちょうほを使者に送った。

 

朱棣しゅてい楊栄ようえい張輔ちょうほを呼び寄せると、太子に皇位を継がせること、葬儀や服喪は太祖の定めに従うことを命じた。

沐敬もくけいに馬を連れてこさせると、朱棣しゅていは馬に乗り駆けていった。

 

1424年(永楽22年)7月18日、朱棣しゅていは5回目の北征の帰路で崩御した。

65歳だった。

この時代は”永楽の盛世”と呼ばれている。

 

 

 

感想

 

ついに最終回!

45話、完走お疲れ様でした!

 

1月4日から6月7日まで、約5か月間。

永楽帝の人生を楽しく学ばさせていただきました。

 

1話は朱棣しゅてい15歳くらいのところからスタートし、43歳で即位しました(41話)。

即位して亡くなるまでの22年間は41話~45話までで駆け足で語られました。

その分、即位するまでのことは じっくりと見させていただきました。

即位後のことは文献とかいっぱいありそうですから、色々調べてみたいです。

 

前回牢に入れられた夏原吉かげんきつは、出られそうなタイミングだったのに、今回も諫言をしてチャンスがパーになりました。

けれどこんなところも夏原吉かげんきつの凄い所だと思いました。

自分のことよりも国のこと、という考え方、決して真似できないからこそ痺れてしまいます。

 

朱棣しゅてい高熾こうしに語った、子孫を名君にするため自分が全ての難題を先回りして解決したいという言葉、『なるほどなー』と思いながら聞いていました。

 

永楽帝の死後、高熾こうしが即位し洪熙こうき帝となるも、高熾こうしはすぐに亡くなってしまい瞻基せんき宣徳せんとく帝)が即位します。

瞻基せんきはこのドラマでも英名な皇太孫として描かれていましたし、宣徳せんとく帝の世は高く評価されているそうです。

 

「永楽帝~大明天下の輝き~」と並行して「大明皇妃」というドラマを見ていました。

「大明皇妃」を見た感じ、瞻基せんきの治世が安定していたのは、永楽帝の遺産によるところが大きかったように感じました。

永楽帝の遺した優秀な人材等を瞻基せんきが上手く活用して安定した治世を作っていたように見えました。

 

なのであの時、朱棣しゅていのおかげで子孫は名君になれるよ、と声をかけてあげたい気持ちでいっぱいになりました。

 

朱棣しゅていは5回目の北征に向かいましたが、すでに体は限界。

国庫も限界で補給物資も届きません。

そんなこんなで3か月後に撤退を決意し、帰路で亡くなってしまいました。

 

回想シーンを除けば、1話にも45話にも登場していたのは朱棣しゅてい伯雅倫海別パヤルンハイベ伯顔帖木児パヤンテムル阿魯台アルクタイ)の3人でした。

 

徐達じょたつ拡廓帖木児ココテムルは敵でありライバルであり、離れていてもお互い理解しあっていました。

阿魯台アルクタイ伯雅倫海別パヤルンハイベ、2人合わせて拡廓帖木児ココテムルのような役割なのかなぁと想像しました。

伯雅倫海別パヤルンハイベは離れていても朱棣の理解者で、阿魯台アルクタイは一番の敵でありライバル。

 

伯雅倫海別パヤルンハイベが眺めていたナイフは、1話で出てきた珠雲其木格チュウンチムゲの遺品です。

5話で朱棣しゅてい伯雅倫海別パヤルンハイベに渡しました。

お礼に伯雅倫海別パヤルンハイベは銃を贈りました(6話)。

うわー懐かしい。

 

最後、朱棣しゅていの体は乗馬できないほどになっていました。

けれど、張輔ちょうほ楊栄ようえいに自分の死後のことを託すと、馬に乗り駆けて行きました。

 

あれを見て、朱棣しゅていの体は朽ちてしまったけれど、彼の志は千里にあって駆けて行くよ、ということなのかなぁと思いました。

(「老驥櫪に伏すとも志千里に在り」by曹操)

悲しいけれど綺麗な終わり方でした。

 

 

このドラマ、すごく面白かったので高希希(ガオ・シーシー)監督について調べてみました。

そうしたら、『三国志 Three Kingdoms』の監督でした。

 

『三国志 Three Kingdoms』実は見たことがありました。

数年前、アマゾンプライムで見放題になっており、その時見たのです。

とっても面白かったです。

 

三国志はゲームから入ったので、最初は”キャラの顔がゲームと違う!(当たり前)”とちょっぴり残念に思いながら見ていたのですが、ドラマが面白すぎて そんなことはどうでもよくなり 夢中で見たのを覚えています。

 

残念ながら今はアマプラでも他の配信サイトでも全く見られなくなってしまっており、DVDも公式的なところから発売されておらずオススメしにくい状況なのですが、きっとそのうちまた配信されると思うので、配信が開始されたら、是非見てください。

面白いです。

 

 

このドラマを見る前までは、中国「明」の時代と言われても、

”あ~、ね、知ってる知ってる。あれでしょ?日明貿易のあれでしょ?知ってる。”

くらいしか言えなかったのが、「永楽帝」を見終えた今では、皇帝の名前や時代の流れはもちろん、武将や文官の方たちの名前も頭に入り、推しまでできました。

 

( ゚д゚)ポカーン状態で見ていることも多かったですし、調べなければ分からないことも多かったですが、おかげで中国の歴史に関する知識が増え、ドラマを通じて少しだけ成長できたのを感じ嬉しかったです。

このドラマを見ていなかったら、絶対読まなかっただろう本も読みました(笑)。

中国4000年の歴史のうち、50年くらいに関してはちょっとだけ話せるようになった気がします。

 

ドラマを見ただけでは まだまだ知識も浅いですが、この時代に興味を持ったので、これから本を読むときなどにも この時代について書かれた本を選びがちになると思います。

少しずつ、中国の歴史の中で知っている時代を増やしていけたらいいなぁと思いました。

 

WOWOWオンデマンドの方では、まだ配信終了日の告知がされていないので、しばらくの間みられるようです!