永楽帝~大明天下の輝き~ #38 死戦への覚悟 あらすじ
鉄鉉が軍糧を運んで朝廷軍に合流した。
李景隆は鉄鉉に不安な胸の内を話した。
長年戦っていない南の兵に対し、燕軍は百戦錬磨の猛者ばかり。
すぐに北平に出撃しろとの詔を退けたのは、燕軍に勝つには3倍の兵力が必要だと考えたからだった。
今や燕軍は15万を超えた。
対して朝廷軍で使える兵は30万に満たない。
本当ならば撤兵したい。
けれど撤兵に手間取れば餌食にされるし、撤兵して自分が罷免されても新たな大将軍が任命されて戦は続く。
決戦の日は近いだろうと李景隆は話した。
白河が凍り、河を渡って朝廷軍が攻めてきた。
燕軍は駆けつけた朶顔三衛の騎兵と共に戦った。
朝廷軍の死者は3千。6千は燕軍の捕虜となった。
燕軍の死者は400余り。
傷兵は1千超。内重傷者400。
燕軍の勝ち戦だったが、李景隆は初めて軍を指揮したとは思えない善戦をしたため朱棣らの表情は暗かった。
朱棣は張玉に、朝廷軍を南に返し、その道中を精鋭で攻めるという作戦を提案した。
今決戦をすれば朝廷軍は必死に抵抗し、勝っても燕軍には大勢の死傷者が出ることを懸念してのことだ。
しかし張玉は、今正面対決をして敵を討たなければならないのだと説得した。
今朝廷軍を帰せば、戦を経験した兵士は人を殺すことに慣れ勇猛な兵となる上、今ほど燕軍を恐れなくなる。
張玉の言葉を受け、朱棣は翌早朝に出撃を命じた。
タイミングよく、高煦も戦える者達を引き連れ陣営に加わった。
高煦は北平城の籠城戦について朱棣に話すと、「私はよい兄を持ちました」と言った。
高煦が去った後、朱棣は「私にもよい兄がいた」と呟いた。
張玉は死傷者数を報告した。
戦死者1800余り。
朶顔三衛も700余りが死亡。
負傷者は万を超える。
重傷兵の中には寒さで夜を越せない者も多数出るはずだ。
朱棣が陣営を見回っていると、馬和が策を進言した。
馬和は、今日の戦を見ていて、朝廷軍は戦況が変わっても命令があるまで反応しなかったことに気づいた。
李景隆の下には有能な将がいない。極寒の今夜なら敵の警戒は緩むはず。そこを奇襲すれば…。
馬和の案を聞き、朱棣はすぐに実行に移した。
朝廷軍は鄭村壩で大敗し十数万の兵と物資全てを失った。
李景隆は徳州に退いた。
今年の科挙では、北平以外で郷試が終了していた。
允炆は斉泰らの提案を受け、北平の郷試を真定で行うことを決めた。
朱棣は郷試を受けるため北平から出て行く読書人たちを快く送り出した。
郷試を発表したことで、朝廷軍が負けたことも燕軍の勝利も民の心から打ち消されてしまったと姚広孝は話し、斉泰の手腕を評価した。
斉泰、黄湜、方考孺の3人は、生かすつもりがないと朱棣は話した。
科挙の合格者が発表された。
楊子栄は第2甲2位で合格した。
楊子栄は師である夏原吉を訪ね、李景隆が退いた白溝河でも敗れ済南に退いたと話した。
燕王派と目されている夏原吉は、この話を知らなかった。
朝廷では、斉泰が白溝河における損失を報告していた。
5名の将官と千戸以上の武官100名が死亡し、死傷した兵は10万近く。
物資はすべて失われ歩兵と騎兵合わせて9万余りが燕軍に投降した。
斉泰は燕軍が南下してくるのではないかと懸念を話した。
軍は全て李景隆が動員したので真定から済南まで戦える軍はいない。
徐輝祖は、必ず燕軍が済南に南下するはずだと話した。
允炆は、李景隆に済南城の死守を命じた。
しかし李景隆に気力は残っておらず、燕軍が迫ると朝廷軍を残し逃走してしまった。
盛庸は、朝廷軍の軍紀を正すために粛清を行い燕軍を迎えた。
済南城の守将が鉄鉉だと聞いた朱棣は、張輔を使者に送り…?
感想
大寧から援軍を呼んだ来た燕軍は、白河が凍ると朝廷軍と戦いになりました。
燕軍勝利に終わったものの、李景隆は善戦し、喜んでばかりはいられない状況でした。
李景隆の戦法は、騎兵が歩兵を見捨てるというもので、見捨てられた歩兵は必死で戦いました。
この戦法に張輔が引いていると、朱棣は「将たる者、情に流されるな。戦場では生き残らなければ是非も論じられぬ」と声をかけました。
張輔には”情に流されるな”と言いつつ、朱棣も死傷者を出したくなくて朝廷軍との真っ向勝負を避ける作戦を張玉に話しました。
張玉から、ここで叩かなければ相手が成長してしまうと言われ真っ向勝負を決意した朱棣。
次の戦いは鄭村壩の戦い。
馬和の献策を採用し奇襲に成功した燕軍!
朝廷軍は十数万の兵と物資全てを失いました。
白溝河の戦いにも大勝利した燕軍。
朝廷軍は10万の死傷者を出し、歩兵と騎兵合わせて9万が燕軍に投降しました。
済南まで退いた朝廷軍。
允炆からは済南を死守せよという命を受けました。
けれど李景隆はまさかの逃走をしてしまいました!
日本では逃走した武将は有名になりがちだと思われます。
平維盛とか、徳川慶喜とか。
もしかして李景隆さんも中国では有名な方でしょうか?
気になります。
個人的には、逃げても、好きです。だから生きてくれ!
以前読んだ兵法の本(※)に、「勝利を見抜く方法」というのが載っていましたので、それに当てはめてこれまでの戦いを見てみたいと思いました。
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①戦うべき時と戦ってはいけない時を弁える。
②大軍と小勢それぞれの用兵を弁える。
③上下の人々の心がぴったり合ってれば勝つ。
④よく準備をした上で油断した敵に当たれば勝つ。
⑤将軍が有能で君主も干渉しなければ勝つ。
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①戦うべき時と戦ってはいけない時を弁える。
これは、朝廷軍の兵が弱いことから50万の兵をそろえてから出陣した李景隆の判断や、北平城に籠城せず大寧軍を迎えに行った朱棣の判断、極寒の夜に奇襲に成功したことなどが当てはまるでしょうか?
②大軍と小勢それぞれの用兵を弁える。
李景隆は将軍としてなかなかやる男だったみたいですが、彼の下に十分な数の良い将軍がいなかったために、大軍の用兵は◎でも小勢の用兵が×でした。
戦いを見ていてそれに気づいた馬和。
予定外のことが起こると指示されるまで何もできなくなる相手の弱点に気づき、奇襲に成功しました。
③上下の人々の心がぴったり合ってれば勝つ。
燕軍はまさに、上下の人々の心がぴったり合っているように思えます。
それに対して朝廷軍は、そもそも李景隆さんも鉄鉉に「撤退したい」と言っていたくらいですし、ぴったり合っていると言えないと思われます。
④よく準備をした上で油断した敵に当たれば勝つ。
これは燕軍に当てはまるでしょうか?
耿炳文や李景隆が油断していたとは思いませんが、もしも自分が末端の1歩兵だったらと考えた場合、味方の方が圧倒的に数が多いのだから油断するのではないかなぁと思ってしまいました。これは一度も戦ったことの無い視聴者の勝手な意見ですから当てになりませんが、とにもかくにも油断大敵ってことですね。
⑤将軍が有能で君主も干渉しなければ勝つ。
最初李景隆が着任した時、ぶっちゃけてしまうと、私は李景隆は無能っぽいのではないかなぁと思っていました(笑)
けれど案外やる方でした。
その点、朝廷の方たちがちょっと…。と思わざるを得ませんでした。
最初の、すぐに進軍すべしという詔。
あれについては、李景隆も合理性を感じつつ、味方の兵の状況を見て3倍の兵がいなければ燕軍に勝てないと判断したことだったので悪いとは思いません。
けれど、朱棣が大寧に行ったと気付いた李景隆が、大寧の兵権を徐輝祖に与えて欲しいと朝廷に訴えた時、あれを却下したのが…。( ,,`・ω・´)ンンン?となりました。
理由が「北平は陥落寸前だから事柄を複雑にすべきでない」というもので、徐輝祖に兵権を与えたら朱棣と合流しちゃいました!とうい事態を警戒してのこととはいえ、前線にいる人が頼んでいるのに、情勢をろくに知らない文官が何言ってるんですか?ですよ!
そんなこんなで、「勝利を見抜く方法」に当てはめてみても、燕軍が勝つ要素をそろえているのに対し朝廷軍は負ける要素をそろえている感じがしました。
それから、同じ本によれば、”智将は敵の食料を奪うべし”とあり、敵の1を奪って食べれば、味方の20人分に相当する利益があるそうです。
燕軍は朝廷軍から物資や軍勢をどんどん調達していて、そんなところも◎ですね。
允炆の、「朕は北征をしているのか。叔父に食糧や兵、軍功を送っているのか」というセリフ、可哀そうだと思いつつ笑ってしまいました。
本当に燕軍を潤すために軍隊を派遣しているとしか思えない流れになってしまっていて…。
次回は済南城の攻城戦?守将が鉄鉉だと知った朱棣は使者を送りました。平和的に通行できる感じになるのでしょうか?鉄鉉がどう出るのか。
次回が楽しみなような、怖いような。
できるだけ生きる方向で、よろしくお願いいたします。
※ 「孫子」(著)孫子(訳)町田三郎