永楽帝~大明天下の輝き~ #35 決断の時 あらすじ
鉄鉉は夏原吉に、山東行きを希望したのは北平から南下の際必ず通る道だからだと話した。
そして朱棣はこのまま死を待つような性格ではないことに言及した。
夏原吉は、朝廷は近々莫大な軍資を集め配当するので鉄鉉の出る幕はないと言った。
允炆が朱棣の息子たちに北平へ帰る許可を出した矢先、高煦が逃げた。
高熾と高燧は2人で北平に戻った。
洪武帝との約束通り、允炆は伯雅倫海別と侍女の烏蘭図雅を北元に帰した。
允炆は姿が見えなくなるまで2人を見送った。
耿瓛(耿炳文の3男。長兄は允炆の姉と婚姻)は3万の兵と山海関へ、徐海は2万の兵と臨清へ、宋忠は3万の兵と開平へ、永清左衛が彰徳へ、永清右衛が徳州へ移動した。
9万の兵(移動中の兵も合わせれば13万)に北平は挟み撃ちされる状態となった。
対して朱棣が指揮できるのは燕山三衛1万6千の兵のみ。
そこに燕山三衛の兵は開平へ行き宋忠の指示を受けろと朝廷から命が下った。
朱棣は陳亨と会う手はずを整えるよう命を出した。
帰って来た高煦は、自分だけが父の助けになれるから帰ったのだと妙雲に言い訳したが、妙雲は高煦を打ち据えた。
そこに高熾と高燧が帰り、伯雅倫海別が訪ねてきたとの報告が入った。
伯雅倫海別は洪武帝から託された言葉(?)を朱棣に伝えた。
朱棣は北平を戦場にしないと伯雅倫海別に話した。
燕山三衛は宋忠の指揮下に入り、朱棣の兵は800名の親兵のみとなった。
允炆は朱棣と姚広孝を捕らえるよう張昺と謝貴に命を出した。
都では、“燕を遂うな 遂うと燕は高く飛ぶ 高く飛んで都に上る”という歌が流行っていた。
燕王府は張昺と謝貴率いる軍勢に囲まれた。
朱棣は張昺と謝貴を中に招き入れ自分に従うよう説得した。
2人は拒絶し、斬られた。
燕王府を囲んでいた徐祥の軍勢は朱棣に帰順した。
1399年7月、朱棣は800名の親兵と北平で挙兵した。
北平の朝廷軍は朱棣に従い靖難の変が勃発した。
朱棣らの兵は8000。
それに対して宋忠の兵は3万。
宋忠軍が燕軍と1月戦っている間に朝廷の大軍を集めれば一気に燕軍を討伐できる、朝廷はそう考えていた。
宋忠の配下3万の内半分は燕山衛の所属だった。
しかし誰も朱棣に帰順しない。
その理由は、宋忠がデマを流していたからだと譚淵が突き止めてきた。
宋忠は朱棣が元燕山衛の家族を殺したという噂を流していた。
朱棣は元燕山衛の家族たちを連れ開平へ行った。
デマを流した宋忠は配下に殺され、開平は朱棣にその門を開いた。
朱棣は帰順する者は北平に連れて帰り、帰順せぬ者は故郷に帰した。
斉泰らは、軍務に通じた者の話を聞くべきと気づいた。
允炆は李景隆を呼び出し話を聞いた。
李景隆は、北の軍事に精通している徐輝祖を推薦した。
徐輝祖は、北平に近い大寧には、燕軍に劣らぬ6千の兵車、朶顔三衛の騎兵を含む8万の兵がおり、彼らを使うべきと主張した。
允炆が、寧王も藩王であることに難色を示すと、徐輝祖は主将を派遣し寧軍兵を接収すればいいと解決策を提示し自分が主将として出陣するこを願い出た。
しかし允炆に徐輝祖を主将とする考えはなかった。
允炆は朱棣の爵位を剥奪し朱棣討伐を耿炳文に命じた。
耿炳文は13万の兵と真定に。
燕軍は7万弱。
大寧軍8万が耿炳文に合流すればひとたまりもない。
朱棣は寧王に文を書いた。
朝廷は寧王に寧軍を北平に向かわせるよう命を出した。
しかし寧王は自ら出陣せず陳亨に歩兵の半分のみを与え出陣させた。
北元軍が辺境に出没しているというのが理由である。
朱棣が挙兵して1月。
朝廷は数万の兵と3つの府を失った。
朝廷は真定と松亭関には併せて20万の大軍を配備しているが前に進めずにいた。
感想
ついに始まりました!
靖難の変。
最初は800の親兵だけが味方だったということにまず驚きました。
800vs数十万の戦いでも倒せないとは!!
燕軍が強すぎるのか朝廷がへっぽこすぎるのか、どっちなんでしょうか。
どっちもでしょうか。
一瞬で決着がつきそうなのにすでに1か月が経過し、800だった燕軍は7万弱に膨れ上がりました。
朝廷は3つの府と数万の兵を失いました。
でもまだ20万の兵がいます。
800しか兵がいないのに挙兵した朱棣もすごいですし、800しか味方がいない軍勢についた徐祥将軍もすごい。
かつて朱棣がちゃんといい上司として振る舞って信頼を勝ち取っていたんでしょうね。
そして着実に勝っていく朱棣は本当にすごい。
数だけ見たら玉砕してすぐ終了になりそうなのに、どんどん味方を増やして勝っていく。
今までの経験や人脈がばっちり役立っているみたいで気持ちいいでしょうね。
允炆は一番北平の軍事に詳しい徐輝祖を使えないのが痛いです。
朱棣は徐輝祖の義兄ですから、寧軍を徐輝祖に接収させ出陣させたら、そのまま朱棣の軍勢に加わっちゃいましたっ!という事態を恐れており、その危惧はもっともだと思います。
徐輝祖にその気持ちはなく允炆に忠誠を誓っているように視聴者目線だと見えますが、実際はどうなんでしょう。
いつかドラマの中で描かれるでしょうか。
今回は、朱棣が挟み撃ちにされたとか、○○が△△にいるとかいう地図上の情報がたくさん出てきましたが、日本の地図ですら頭に入っていない私には、チンプンカンプンでしたので地図を作りました。
まず、これが中国の地図で、ドラマの中で問題になっているのは丸で囲んだ辺りのようです。
丸の部分を拡大すると、下図のようになります。
(大寧の位置が間違ってたので修正しました)
今回伯雅倫海別の話に出てきた大都は北京の前身だそうで、朱棣のいる北平は現在の北京!そんなことも知らずにドラマ見てました
地図をみて、鉄鉉の話の意味も分かりました。
鉄鉉が山東に配属願を出したのは、山東ならば朱棣が南京を目指すとき必ず通るから。
確かに北平から南京を目指すなら、必ず山東省通りますね!
きっと鉄鉉は朱棣を止めようとしてるんでしょうね。
囲まれていた朱棣でしたが、宋忠のいる開平をあっという間に攻略しました。
けれど耿炳文率いる20万の軍勢が真定と松亭関にいる。
真定は北平の南、松亭関は北平の東です。
結局挟み撃ちされている格好になってしまっています。
白熱して参りました!
一体どうなるんでしょうか!
次回を見てきます!