永楽帝~大明天下の輝き~ #36 火中の栗 あらすじ
允炆は戦況を変えるため、慎重に兵を動かすよう耿炳文に詔を出した。
朱棣は1日で雄県を落とした。
敵軍に潜入していた張輔(張玉の息子)が敵兵に薬を盛り内から雄県を開いたのだ。
耿炳文は1日で莫州と雄県を失った。
3万の兵と雄県の兵9千を失った。
耿炳文は真定まで退却し顧成と合流することにした。
譚淵から耿炳文と顧成が合流するという情報を手に入れた朱棣は、介入せず2人を合流させることにした。
片方を攻めたところを脇からもう片方に不意打ちを食らうより、合流させた方がいいという判断である。
朱棣は劣勢を感じ退却したと見せかけ、油断した耿炳文が兵を城外に待機させたところを一気に攻めようと考えた。
敵は寄せ集めの兵で統制がうまく取れていない。
合流し混乱しているところを叩く作戦だ。
朱棣は偶然捕らえた顧成を北平に送り妙雲に丁重にもてなさせた。
顧成を奪われた耿炳文は鉄壁の守りを固めた。
かつて徐達は、守りにかけては誰も耿炳文に勝てぬと言っていた。
朱棣は真定城を諦め撤退した。
朱棣は雄県攻めの功績を認め張輔を護衛千戸に昇進させた。
張玉を散歩に連れ出し、朱棣は現状の憂いを話した。
朱棣は4千の兵を失い精鋭は4万余り。
捕虜の内2万は帰順を望んでいるが、彼らは精鋭兵とは言えない。
そして燕軍は城攻めが得意ではなく籠城されたらお手上げで、朝廷に慎重になられたら勝ち目はない。
こちらは1戦たりとも負けられないのに対し、朝廷はいくらでも兵を補充できる。
張玉は、敗北続きの朝廷は必ず戦いを選ぶだろうし、我が軍は朱棣のためなら死を恐れない死士揃いだと励ました。
允炆は敗戦続きの耿炳文を都に戻し調査するため、新たな主将を送ることにした。
朱棣は陳亨のところに譚淵を送った。
すると陳亨は体調がすぐれないと言って鄭亨を朱棣のところに使者として送った。
顧成の4人の子が斬首にされたと聞いた朱棣は、陳亨の家族が全員南にいることを思い出し、陳亨のことを諦めようとした。
しかし鄭亨は朱棣を呼び止め、陳亨は全将兵と共に朱棣に命を捧げると話し、近いうちに30万の兵が朱棣を攻める予定であること、寧王の心は朝廷に向いているため警戒すべきこと、などを伝えた。
鄭亨は、大寧にいるかつての朱棣の部下たちに自分が連絡を取るので、朝廷が出兵したら大寧に兵を差し向けてほしいと頼んだ。
耿炳文に代わる将軍を誰にするか。
朝廷では徐輝祖を推す者、李景隆を推す者で半々に分かれた。
妙雲は増寿からの報告書を朱棣に渡した。
朱棣は報告書を持って姚広孝に会いに行った。
朱棣は、軍務を熟知し朱棣麾下の将軍たちとも昵懇の徐輝祖が真定戦の前に送り込まれていたら、自分は今頃南京にいただろうと話した。
姚広孝は妙雲から徐輝祖に文を届けてもらってはどうかと提案した。
妙雲は、文を届けても封を切らないだろう徐輝祖の性格を読んで、増寿と妙錦への手紙も一緒に届けさせることにした。
朱棣が妙雲の内助の功に感謝すると、妙雲は将来必ず徐輝祖の命を助けてほしいと頼んだ。
妙雲が朱棣勝利を確信しているのに気付き、朱棣は理由を尋ねた。
すると妙雲は、かつて洪武帝が陳友諒に応天を攻められた時、劉基以外全員に反対されても戦い大勝したエピソードを話した。
人々は洪武帝の剛毅で非凡な性格を褒め称えた。
しかし、かつて徐達は妙雲に、あの時 洪武帝が戦を主張したのは他に道がなかったからだと語った。
この話は朱棣も洪武帝から聞いたことがあった。
李善長たちは負けても別の主に仕えることができたが、自分に残されたのは死だけだったと洪武帝は語っていた。
朱棣に勝てるのは亡き太子朱標と洪武帝だけなのだから、2人亡き今朱棣に勝てる者は誰もいないと言って、妙雲は夫を励ました。
徐輝祖は妙雲からの文を封を切らず允炆に届けることにした。
妙錦は皇宮で文を運ぶ王太監を待ち伏せし文の封を切った。
朱棣につく気が全くないなら封を切らなかったはずだと考えた允炆は、李景隆を耿炳文に代わる大将軍に任じた。
着任した李景隆が河間に兵を進め駐屯し50万の兵がそろうのを待って北平に進軍するつもりだと聞いた徐輝祖は、すぐに参内した。
耿炳文が敗れたのは慎重すぎる用兵にあるのだから、今こそ迅速に20万の軍で北平を攻め、燕軍へ駆け付ける援軍を各個撃破すべきと徐輝祖は主張した。
斉泰も徐輝祖に賛成したため、允炆は詔を書き李景隆に届けさせた。
感想
朱棣は1日で雄県と莫州を手に入れました。
調べてみたら雄県も莫州もすごく北平に近くてびっくりしました。
耿炳文はかなり迫ってたんですね。
朱棣は見事に今回も勝って耿炳文を真定まで退却させました。
朱棣はあえて耿炳文を顧成と合流させ叩く作戦を計画しましたが、顧成を捕らえられたことで耿炳文は当初の想定と異なり守りを固めてしまいました。
朱棣はあっさりと真定城を諦めました。
少し前に孫子の兵法の本(※1)を読みましたので、そこで学んだことを書いておきます。
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孫子は戦わずに勝つこと、戦うことになったら早く切り上げること(拙速)をモットーとしてたそうです。
なぜなら戦には戦費がかかり長期戦になれば国は疲弊し士気も衰えるから。
(日露戦争では1日当たり1人の兵士につき現在の貨幣価値に換算して5万2000円の費用がかかったと言われているそうです。※2)
そんな孫子の考え方では、
軍事力を発動せず謀略段階で決着をつけるのが最良の策。
その次は外交交渉。
それでもだめなら野戦。
最悪は城攻めで、城攻めのためには敵の10倍の兵力が必要。
いざ開戦となったら自軍の戦力を温存したまま奇策によって実質的な勝利をえよ。
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城攻めというのがそもそも最悪の戦のようです。
そして城攻めをするには敵の10倍の兵力が必要ということなので、朱棣があっさり引き下がったのは素晴らしい決断なんだろうなぁと、本と照らし合わせて思いました。
耿炳文に代わる大将軍を派遣することになりました。
李景隆か徐輝祖か。
こんなのどっちもダメです。
ダメ―やめて―と叫びながら見ていました。
徐輝祖だったら家族で敵味方に分かれることになっちゃうし、何より敵として手ごわそうだから嫌。
李景隆だったら仲良し同士が敵味方に分かれてしまうから嫌、という感じです。
結局李景隆になってしまいNOOOOOOOOOOO!と頬を押さえました。
李景隆との印象深いエピソードといえば、5話の初登場シーン!
あのシーン好きです。
朱四朗として出陣していた朱棣が北元で出会った場面です。
李景隆は朱棣に気づき二度見します。
朱棣は「九江」と呼びかけ、李景隆は「燕…」と言ってしまいそうになるんですよね。
朱棣は慌てて臣下の挨拶を大声でして李景隆の声をかき消します。
中国語が分からない私には燕が「ィエーン」と聞こえました。
この時の李景隆の嬉しそうな顔を見て、“あぁ、この2人は仲良しなんだな”って一瞬で理解しました。
あの2人が敵対してしまうなんて。
やめたげてよー!!
今回も妙雲が輝いていました。
洪武帝と亡き太子以外に朱棣に勝てる人はいないってセリフが、すごく良かったです!
あんなこと言われたら、妙雲に惚れ直しちゃいます!
さらに徐輝祖の行動を読んで妙錦に指示を出していたのも素晴らしかった。
そのせいで徐輝祖は大将軍になれなかった。
徐輝祖を允炆が信じ切れないのも徐輝祖が朱棣の義弟だから。
朱棣は徐輝祖が最初から来ていたらとっくに自分は捕まってただろうと言っていました。
妙雲と結婚していない世界線だったら朱棣はとっくに捕まってしまっていたんでしょうね。
朱棣にとって妙雲と結婚できたことが本当に幸福だったんだなぁとかみしめました。
33話で朱棣本人も「妙雲を娶れたのは実に幸運だった」と言っていましたが、本当にその通りですよ!
李景隆は河間で50万の兵を集めてから北平に進軍しようと考えています。
耿炳文はちょっと李景隆の話を聞いただけで頭を横に振っていましたし、徐輝祖もすぐに北平に進軍すべきと奏上してましたので、どうやら李景隆の作戦はダメっぽいです。
允炆は李景隆に詔を書いたので、次回、李景隆が北平に進軍し戦いが始まるのでしょうか!?
李景隆にも生きて欲しいですし、朱棣の配下の人達も生きて欲しいです。
あっ!そういえば、今回、朱棣が張玉に●亡フラグっぽいこと言ってませんでした!?
「世美を信じている。だからこそ決して死なせはせぬぞ」っていうセリフがフラグに聞こえて仕方なかったのですが!?
違いますよね!?
決して死なせないってセリフ、信じてますからね。
ホント、みんな生きて!!
※1 「孫子」(著)孫子(訳)町田三郎
※2 湯浅邦弘「軍国日本と『孫子』」138,139頁[2015]