永楽帝~大明天下の輝き~ #32 名将の末路 あらすじ

 

 

 

今後はりょ氏に命じられたことであっても動く前に自分に伝えるよう允炆いんぶん黄湜こうしょくらに命じた。

 

允炆いんぶん藍玉らんぎょくを救うため、あえて他人を巻き込み事を大きくすることにした、と牢にいる藍玉らんぎょくに伝えさせた。

事が大きくなれば、皇帝が軽率に行動できない。

頃合いを見て允炆いんぶんが皇帝に許しを請う作戦だ。

 

吏部尚書の詹徽せんきと兵部侍郎じろう斎泰せいたい藍玉らんぎょくの取り調べを行った日、藍玉らんぎょくは取り調べ官である詹徽せんきが自分の一派だと白状した。

自分と共に謀反を企んだとして、多くの者の名を藍玉らんぎょくは自供した。

 

皇帝は名のあがった全官吏を捕らえさせた。

公爵1人に侯爵13人、伯爵2人をはじめ大勢の者が捕らえられた。

 

皇帝はこの機に乗じ若い允炆いんぶんに御せない古参の功臣を戒めようと考えたのではないか と姚広孝ようこうこうは考察した。

藍玉らんぎょくに入れ知恵した者は最初から藍玉らんぎょくの命を奪うつもりだったのだろうと、姚広孝ようこうこうは考えを明かした。

 

允炆いんぶん藍玉らんぎょくの助命を嘆願した。

允炆いんぶんが去った後、皇帝は荊を持ってこさせ、允炆いんぶんは亡き太子のように荊を握れるだろうかと考えた。

そして自分がこの件の決着をつけようと決意した。

 

允炆いんぶんが額を打ち付けてまで藍玉らんぎょくの助命嘆願をしたという話を聞いた妙雲は、允炆いんぶんはよほど藍玉らんぎょくを始末したいのだろうと考えた。

 

藍玉らんぎょくも13侯2伯も全員処刑された。(藍玉らんぎょくの獄)

 

皇帝は錦衣衛きんいえい親軍指揮使司を廃止し、錦衣衛きんいえいの千戸以上の兵をしん王の兵に組み込んだ。

 

皇帝は在京の親王や世子せいしたちに允炆いんぶんより先に奏状に目を通させていた。

しかし高熾こうしは奏状の誤字を正さなかった。

 

允炆いんぶんに誤字だらけの奏状を読ませるのか、と皇帝は高熾こうしを呼び出した。

高熾こうしは奏状を記した文官が かつて戦場で身を立てた学のない武官だったことを挙げ、武人に進士のような完璧な文を求める必要はなく、内容が分かればいいのだと話した。

 

話を聞いた皇帝は高熾こうしを散歩に連れ出した。

高熾こうしが2年近く会っていない父に会いたいと言うと、皇帝は近いうちに北平ほくへいに戻すと約束した。

 

明に帰順したとう州のきょう族が北元ほくげんと通じ反乱を起こした。

皇帝はしん王を主将、平羌へいきょう将軍寧正ねいせいを副将に任じとう州の反乱平定を命じた。

 

高熾こうしはもうすぐ北平ほくへいに帰れることを喜び、妙雲みょううんに報告した。

妙雲みょううんは本当に好事かと高熾こうしに問いかけた。

 

しん王は自分が功を建て凱旋できたら敏敏帖木児ミンミンテムルの禁を解いて欲しいと皇帝に奏状を送った。

 

しん王は反乱を平定したが瘴疫しょうえきにかかり亡くなった。

葬儀の日、敏敏帖木児ミンミンテムルは自分の胸に刃を刺ししん王の後を追った。

 

皇帝はしん王に愍烈びんれつという諡号を贈り敏敏帖木児ミンミンテムルと合葬させた。

 

皇帝は北平ほくへいに帰る妙雲みょううんたちに侍医を2名同行させた。

太りすぎの高熾こうしと傷の絶えない朱棣しゅていの面倒を見させるためだ。

 

1396年3月、皇帝は朱棣しゅていに北辺への進軍を命じた。

8度目にして最後の大規模な攻撃だった。

 

皇帝の所に勝利の報せが届き、高熾こうしに子供が生まれた。

 

 

 

 

感想

 

允炆いんぶんが" 藍玉らんぎょくを助けるためにあえて事を大きくするからね"と牢にいる藍玉らんぎょくに伝え、藍玉らんぎょくは信じて謀反の共犯者を自供しました。

允炆いんぶんの言うとおりにしました。

けれど允炆いんぶん藍玉らんぎょくをどうしても殺したかったのだと知って、私は愕然としましたゲッソリ

 

後からよくよく考えると、助けるためにあえて事を大きくするって訳が分からない。

だからちゃんと分かる人には罠だと分かるんでしょうが、私には分からなかった。

 

妙雲みょううんには全部分かっていたみたいで、驚きました。

 

允炆いんぶんが額を打ち付けて皇帝に助命嘆願していたと聞いた妙雲みょううんが、「皇太孫殿下はよほど藍玉らんぎょくを始末したいのね」というのですが、このセリフを言う前に少し笑うんです。

この笑いが悪い笑いすぎてカッコよかったです!

キャー妙雲みょううん様素敵―!となりました!!

 

允炆いんぶんが額を叩きつけてまで藍玉らんぎょくの助命嘆願をしたのは、ピュアっぽく見せれば皇帝が允炆いんぶん藍玉らんぎょくは御せないと考えて処刑してくれる、と読んでのこと!?

 

目をウルウルさせて助命嘆願しながらも、心の中では「早く藍玉らんぎょく●してくれねーかな」と思っていたらしい允炆いんぶん

まだ20歳になっていないのに、この狸おやじ具合。

宮中で育つと こうなるんですか!?

人間不信になりそうです凝視

 

(追記)

ここに允炆いんぶんが20歳になっていないのに~ と書いているのですが、それはwikipediaさんで允炆いんぶんの生年月日を調べて、この時点でまだ20歳になっていなかったので書きました。

けれどブログを書いて少し経ち、高熾こうしが18歳なのに かなり前に生まれた允炆いんぶんが20になっていないのがおかしいことに気づき混乱しました。

 

そして調べたところによりますと、

允炆いんぶんの生まれた年は1377年

高熾こうしが生まれた年は1378年

となっていました。

2人は年が1歳しか違わなかった!

 

どうやらドラマでは皆さんの生まれた年を改変してあるみたいです。

このドラマの中では、すでに允炆いんぶんは20代後半くらいの設定かもしれません。

 

 

とにもかくにも、

允炆いんぶん妙雲みょううんも皇帝も視聴者も藍玉らんぎょくを排除したいと考えていたみたいで、全会一致で藍玉らんぎょくは排除された、ということですね。

もっと早くても良かったんじゃない?とちょっとだけ思ってしまいました。

 

皇帝が荊を用意させ太子と允炆いんぶんを比較した場面。

26話の太子の名場面を皇帝は思い出してました。

 

允炆いんぶんに功臣を御することは無理だと考えて功臣らの処刑を決行した皇帝。

あえてピュアっぽく見せて皇帝に処刑を断行させたのだとしたら、允炆いんぶんは自分の若さをも武器にして皇帝を操ったってこと!?

皇帝は全部わかっていて期待通り行動してあげたようにも見えました。

 

出てくる人がみんな頭良すぎて、お腹の中が真っ黒すぎて、よく分かりません!

 

北平ほくへいに帰れることになった妙雲みょううんたちですが、妙雲によれば、これは必ずしも良い事ではない。

前回姚広孝ようこうこうが言っていたように、妙雲たちを都に住まわせたのが朱棣しゅてい允炆いんぶん両方を守るためだとしたら、今回帰すのはもう2人を守る必要がなくなったため?

 

功臣の処刑を断行し、允炆いんぶんの周囲を信頼できる者達で固めて地位を安泰にした。

皇太孫としての地位を固めた允炆いんぶん朱棣しゅていの競争相手ではなくなり、守る必要がなくなったから朱棣しゅていの家族を帰したんでしょうか?

んー分からない。

 

とう州の乱の制圧に行き、病になってしまったしん王。

制圧に行った理由は敏敏帖木児ミンミンテムルの禁を解いて欲しいからというもので、最期も敏敏帖木児ミンミンテムルのことを想って亡くなりました。

乙女心を持つ視聴者には刺さりまくりのエピソードで、見ていて泣きました。

 

敏敏帖木児ミンミンテムルが後追いをしたことは予想していませんでしたが、北元ほくげんのためでなく自分の意思で彼女が決めたことなのだと思うと、尊く感じました。

お墓の中でしか2人一緒になれなかったのは辛いです。

2人には、生きているうちから幸せでいてほしかったです。

 

いつの間にか結婚していた朱高熾しゅこうしさん。

お子さんも生まれました。

おめでとうございます!

 

このドラマでは女子が生まれないので、きっとあの子は男の子ですね!?