永楽帝~大明天下の輝き~ #30 燕王の敗北 あらすじ

 

 

 

夏原吉かげんきつは、諸王から・・・・賢者を選び早急に東宮を決めるよう皇帝に奏上した。

 

長子承継派は、朱棣しゅていが野心を露わにし支持者を集め始めたことを警戒した。

鉄鉉てつげんをはじめとする長子承継派は承天門しょうてんもんの前でひと月 跪いた。

 

姚広孝ようこうこうは、朱棣しゅていに足りないのは執政経験だと話した。

太子は25年太子の座にいた。

文武官の心を掴んでおり、彼らが允炆いんぶんを支持している。

 

皇帝は鉄鉉てつげんを太子の眠る東陵とうりょうに呼び出し、話を聞いた。

 

鉄鉉てつげんは皇長孫を世継ぎにするよう求めた。

太子は洪武こうぶ10年に軍事や政務の代理を命じられてから、朝政の半分を担っており、科挙で登用されのは太子が抜擢した者達だ。

朱棣しゅていが世継ぎとなれば君臣が疑い合う状況になると鉄鉉てつげんは主張した。

 

さらに鉄鉉てつげんは、宋太宗そうたいそう燕懿えんい王の故事を持ち出した。

宋の太祖が崩御すると皇弟の宋太宗そうたいそうが即位した。

宋太宗そうたいそうは、いずれ帝位を太祖の嫡子である燕懿えんい王に譲ると百官の前で約束したが、3年後燕懿えんい王を自害させた。

皇長孫に帝位を譲れば、諸王は命を保てるが、諸王に帝位を譲れば亡き太子の子たちが滅ぼされてしまうと鉄鉉てつげんは話した。

 

皇帝は允炆いんぶんを皇太孫にした。

 

朱棣しゅてい北平ほくへいに帰りながら、自分が危地に立たされたと実感した。

 

朱棣しゅていは親衛隊を率い国境に侵入してきた騎兵を追い出すと、深追いせず撤退した。

偵察に来た伯顔帖木児パヤンテムルは、朱棣しゅていは狙わず漁夫の利を狙うのだと配下に話した。

 

先陣を切る朱棣しゅてい妙雲みょううんは案じたが、姚広孝ようこうこうは鬱憤を外で晴らすしかないのだろうと言い、今はただ皇帝が最も気にかけているのが誰なのか朱棣しゅていが気付くまで待つしかないと話した。

 

朱棣しゅていが先陣を切って出撃し、馬を射殺されて落馬したり、大きな傷を負ったという報告を受けた皇帝は、朱棣しゅていの身を案じた。

そばにいた湯和とうわは、戦で怒りを発散させているのなら皇帝を恨んではいないはずなので疑わないよう助言した。

 

湯和とうわは一時的に預かっていた兵権を返上し、鳳陽ほうようへ帰りたいと皇帝に願い出た。

皇帝は寂しそうに落胆した様子を見せながらも、湯和とうわの願いを受け入れた。

 

「允」という皇太孫と同じ字を名に持っていたことで、徐允恭じょいんきょう徐輝祖じょきそという名を皇帝から賜った。

 

皇帝は、太子太師にそう国公 馮勝ふうしょうえい国公 傅友徳ふゆうとくを、太子太傅たいふ藍玉らんぎょく李景隆りけいりゅうを任じた。全員武将である。

 

李景隆りけいりゅうは、朱棣しゅていをはじめとする諸王を皇帝が警戒しているのだろうと話した。それを聞いた徐輝祖じょきそは、朱棣しゅてい允炆いんぶん、両方にいい顔をしないようにという皇帝からの警告だろうと話した。

 

徐輝祖じょきそは、允炆いんぶんの国境視察に随行するよう命じられた。

允炆いんぶんは、東宮の師4名は決まってしまったが 肩書がなくとも徐輝祖じょきそは明の肱股ここうの臣であると伝えた。

 

増寿ぞうじゅは、妙雲への報告を書く妙錦みょうきんに、今後はより慎重にするよう言った。

徐輝祖じょきそ朱棣しゅていは不仲で、徐輝祖じょきそは人倫の道を大切にしている。

北平ほくへいの武将の大半は徐達じょたつのもと部下であり徐輝祖じょきそ朱棣しゅてい配下の将軍たちとも親しい。

允炆いんぶんの行動は熟慮の末のものだと思われた。

 

 

 

感想

 

允炆いんぶんが皇太孫になりました。

長子承継派は1か月跪いたそう。

別のドラマでは、1日跪いただけで膝が血だらけになっていたので、1か月ってよっぽどですよね。

鉄鉉てつげんの膝が心配です。

 

宋太宗そうたいそう燕懿えんい王の故事は、鉄鉉てつげんに教えてもらうまで当然知らなかったのですが、この故事が決定打になったような気がしました。

 

朱棣しゅていを世継ぎにしたら太子の子供たちは皆殺しにされちゃいますショボーン

なんて言われたら、「それはダメ!」と思っちゃいますよ。

そして官吏が持っている太子に対する圧倒的な信頼を允炆いんぶんが承継していたという事情もあるみたいで、結局允炆いんぶんに。

 

けれどこの後の歴史を見るに、この時点では前例がなかっただけで、こういう状況になったら叔父が継ごうが甥が継ごうが平和的な皇位継承というのは難しいということなんだろうと思います。 

 

子供の頃は仲の良かった兄弟姉妹が、親の死後 遺産相続で揉めて一切連絡を取り合わなくなる、という状況をよく見かけます。

現代の一般家庭でもそうなんですから、この世の富と権力をすべて手に入れられる皇位となったら猶更でしょう。

とりあえず、遺言を書いてもらえば一般家庭における遺産相続での紛争はかなりの部分防げるので、是非遺言を。

そして、何で死んじゃったんだ!太子!

 

朱棣しゅていは戦で怒りを発散しています。

何も言わずとも、皇帝も湯和とうわ姚広孝ようこうこう朱棣しゅていの気持ちを理解してくれました。

 

姚広孝ようこうこうは”皇帝が最も気にかけているのが誰なのか朱棣しゅていが気付くまで待つしかない”と言っていました。

え?誰?

皇帝が最も気にかけているのは朱棣しゅていなんでしょうか?

 

允炆いんぶんが国境視察に行くという話を、「そうなんだニコニコ」と平和的に聞いていたのですが、最後の増寿ぞうじゅの解説を聞いて かなりきな臭くなってきたということが分かりました。

 

徐輝祖じょきそ允恭いんきょう)と朱棣しゅていが不仲で、允炆いんぶん徐輝祖じょきそを自分の陣営に引き入れた。

徐輝祖じょきそ徐達じょたつの配下だった北平ほくへいの武将にも朱棣しゅていの配下の武将にも顔が効く。

都から兵を連れて行かなくとも、徐輝祖じょきそはいざとなったら北平ほくへいで武将を調達して朱棣しゅていと戦うことができる状態。

そんなことにならないことを祈るばかりです。

 

徐輝祖じょきそ朱棣しゅていが不仲ということを今回初めて聞いて、”あれ?子供の頃一緒に遊んでなかったっけ?”と疑問に思いました。

 

そうしたら、一緒に遊んでたのは増寿ぞうじゅでした(1話)。

 

徐家の4人姉弟は、妙雲みょううん徐輝祖じょきそ増寿ぞうじゅ妙錦みょうきんという長幼順となっております。

朱棣しゅてい増寿ぞうじゅと仲良しだったということは、きっと2人が同い年くらいだろうから妙雲みょううんはかなりの姉さん女房?

…と思って調べてきたら、朱棣しゅていの方が妙雲より2歳年上でした。

朱棣しゅていは、かなり年下の子と遊んでたみたいです。

 

皇帝は允炆いんぶんの師に馮勝ふうしょう傅友徳ふゆうとく藍玉らんぎょく李景隆りけいりゅうを付けました。

そして允炆いんぶん徐輝祖じょきそを取り込んだ。

鉄鉉てつげん黄湜こうしょく斎泰せいたい練子寧れんしねいは長子承継派だから允炆いんぶん派。

夏原吉かげんきつ朱棣しゅてい派。

 

藍玉らんぎょくはいいとして、李景隆りけいりゅう鉄鉉てつげん徐輝祖じょきそたちが朱棣しゅていと別陣営になってしまったのが不安でしょうがありません。

彼らには愛着を持っているんです。

怖いことにならないで欲しい。

 

そろそろ満を持して馮勝ふうしょうさんが名前だけじゃなく登場してくれるでしょうか。

淮西わいせい派の親玉。

今の所、椅子にどっかり座って長毛猫を抱っこし撫でながら、不手際を働いた部下を冷酷に殺すイメージを持っています。

どんな人なのか、すごく楽しみです。