永楽帝~大明天下の輝き~ #23 賞罰の均衡 あらすじ

 

 

 

慰労の物資を渡すと、朱棣しゅてい藍玉らんぎょくの砦を後にした。

 

藍玉らんぎょくは自分には功績があるからと、本来朝廷が処分を下すまで罪人として扱わねばならない女子おなごを側に置いた。

また、朱棣しゅていの態度が気に入らないと怒りを露わにし飲み潰れた。

北元ほくげんの人や器物を私物化する藍玉らんぎょくの態度を、耿炳文こうへいぶんは皇帝への奏状に記した。

 

藍玉らんぎょくは都に戻った。

太子は、朱棣しゅていに面目を潰されたと訴えた藍玉らんぎょくに、分を弁えるよう話した。

 

藍玉らんぎょくは皇帝に泣きついた。

皇帝は、藍玉らんぎょくは腹の中まで見えて扱いやすいし、天子の一族と老将とが不仲でも太子にとって悪い話ではないと言って太子を諭した。

そして太子が盛庸せいようを登用し朱棣しゅていと言い争いになった時の話を持ち出し、短所ではなく長所を見て人を使うよう言った。

 

藍玉らんぎょくのことを深く追求しないとしても戒めは必要である。

皇帝は、りょう国公の爵位ではなく涼国公の爵位を与えることにした。

りょう国は国の中心部にある肥沃な土地。涼国は国の辺境にあるやせた土地)

 

涼国公の爵位を賜った藍玉らんぎょくは、耿炳文こうへいぶんの仕業であると言って悔しさをにじませた。

 

皇帝は朱棣しゅていを都に呼び、貢馬から20頭を下賜した。

李善長りぜんちょう耿炳文こうへいぶんに、皇帝は権力を侵されぬ為”均衡”を重視するのだと話した。

藍玉らんぎょくに不満でも爵位を与え、まだ藍玉らんぎょくを始末する気はないので朱棣しゅていに馬を贈りなだめたのは均衡のためだ。

 

朝廷の制度では、親王の長子は10歳で世子せいしに立てられる。

いつも高煦こうくに負けている 体の弱い高熾こうしに えん王が務まるか 朱棣しゅてい妙雲みょううんに相談した。北平ほくへいを任されるえん王は、有事には兵を率い戦に出なければならない。

 

妙雲みょううんは、武術が重要だというなら、もしも朱棣しゅていの方が太子より武術に優れていれば太子は朱棣しゅていに位を譲らなければならないのか尋ね、この世には考えることすら許されないことがあるのだと話した。

 

皇帝はしん王妃を捕らえるため錦衣衛きんいえいを送った。

しかししん王は強硬な姿勢で王妃を守った。

 

しん王妃は詔獄しょうごくへ入れられ、しん王は大宗正院たいそうせいいんで拘禁された。

 

妙雲みょううんは太子に頼まれしん王妃に会いに行った。

しん王妃は妙雲みょううんに離縁状を託すと、嫁いで17年のうち詔獄しょうごくへ来るまでの道のりが一番楽しい日々だったと語った。

 

太子と朱棣しゅていは離縁状をしん王に届けた。

秦王は、自分に立派な親王になる能力はないが、王妃を守ることだけはやり遂げると言って離縁状を破いた。

 

臣下からは、秦王を弾劾する奏状が次々届いていた。

 

太子妃のじょう氏は難産の末お腹の子と共に亡くなった。

りょ氏は男子を産んだ。

 

りょ氏は訪ねてきた藍玉らんぎょくに、じょう氏の叔父は自分の叔父と同じだと伝えた。

 

朱棣しゅてい北平ほくへいに向け旅立った。

 

 

 

 

感想

 

前回の終わり、朱棣しゅてい藍玉らんぎょくの砦を訪ねましたが、歓迎されていないムードがプンプン漂っていました。

その理由は、どうやら2人が不仲だから。

 

ここまでドラマを見てくると、朱棣しゅてい藍玉らんぎょくを嫌う理由は分かる気がします。珠雲其木格チュウンチムゲを辱めたことを暴露したことといい、盛庸せいようを登用した太子に意見したことといい、朱棣しゅていは真っ直ぐな性格。

なので藍玉らんぎょくのように功績さえあれば何をやって良いという態度は許せないし理解できないのだと思います。

 

では藍玉らんぎょくはなぜ朱棣しゅていが嫌いなのか。

もしかして珠雲其木格チュウンチムゲのことを暴露したのは朱棣しゅていだと知っているのでしょうか?

 

ドラマの中では、直接的に描かれていないと思いますが、知っていてもおかしくない。

3話で朱棣しゅてい朱四朗しゅしろう)が珠雲其木格チュウンチムゲのことを暴露した場には耿炳文こうへいぶん傅友徳ふゆうとくなどがいました。

そもそもあの時、耿炳文こうへいぶん藍玉らんぎょくを撃った伯雅倫海別パヤルンハイベに恨みを晴らしたいと徐達じょたつに頼みました。

それを止めたのが朱棣しゅていでした。

伯雅倫海別パヤルンハイベ耿炳文こうへいぶんがその場にいたことを暴露し、耿炳文こうへいぶんは徐達に別室に連れて行かれました。

そんなわけなので、耿炳文こうへいぶんにとっても朱棣しゅていは面白くない相手のはず。

後になって朱棣しゅていの顔を知り、”あの時の!”となってもおかしくありません。

 

それとも単に性格が正反対すぎて嫌っているのか。

とりあえず、私も藍玉らんぎょくがあまり好きではありません。

藍玉らんぎょく推しの方、申し訳ありません。

 

藍玉らんぎょくの所業を皇帝は寛大に許しつつ、爵位として与える土地をやせた土地にしました。

これが皇帝のバランス感覚というものだそうです。

 

朱棣しゅていは、自分の世子せいし高煦こうくの方が向いているのでは?と妙雲に相談し、それは考えることさえ許されないことだと叱られました。

 

朱棣しゅていは皇帝に密奏を送りました。

太子から妙雲みょううんしん王妃に会いに行かせるよう頼まれた朱棣しゅていは、知らないふりをするのが後ろめかったと言っていました。

なので恐らく密奏の内容はしん王妃に関することだったのだと思います。

 

…が、しかし、秦王のセリフ(「陛下は小人にだまされておる。藍玉が言うことなど信じないと伝えよ」)を聞くと、秦王妃についての疑惑を奏上したのは藍玉なのかもしれません。

 

しん王妃は捕らえられることになったのですが、秦王は「王妃を捕らえるなら私が先に死ぬ」と言って錦衣衛に強硬な姿勢で対峙しました。

 

しん王妃はそんな秦王を止めに行きました。

すると秦王は腹が減ったから15年ぶりにしん王妃の故郷の羊肉料理が食べたいと言いました。

しん王妃は泣いていましたし、私も泣いていました。

 

牢に入れられたしん王妃に会いに行った妙雲。しん王妃は、この18年のうち、捕らえられることになり秦王と西安から金陵きんりょうに向かうことになった20日間の道のりが一番楽しかったと言いました。

 

7話で、しん王妃は「最初は朱樉しゅそう(秦王)に嫁ぎたくなかった」と言っていました。

間抜けで武術も学問も駄目だと。

けれど伯也台パヤタイ一族の女としてこの宿命から逃れられないのだと伯雅倫海別パヤルンハイベに語りました。

 

18年ほど前、拡廓帖木児ココテムル徐達じょたつに負けた時 敏敏帖木児ミンミンテムルしん王妃)は徐達に捕らえられ明にやってきて、17年前秦王と結婚しました。

しん王妃は金陵きんりょう探馬軍司たんばぐんしを指揮し、情報を拡廓帖木児ココテムルに流していましたし、明の情勢にも非常によく通じていました。

 

4話で皇帝が丞相を選ぶことになった際も、しん王妃は劉基りゅうき胡惟庸こいようのどちらかだとすぐに検討をつけ2人の屋敷を見張らせました。

胡惟庸こいようですら自分が選ばれると想像していなかったのに、です。

それほど情勢を分かっていた。

 

そして明を危機的状況に陥れるため色々工作もしていました(10話より)。

離れていても北元ほくげんのために働いていたしん王妃。

いよいよ自分が捕らえられるとなった時、夫の対応を見て秦王に惚れたのではないか、と妄想がはかどりました。

 

ずっと秦王の片思いだったけど、最後の最後で両思いになった。

だから金陵きんりょうまでの旅路がしん王妃にとって一番楽しい日々となった。

拡廓帖木児ココテムルの妹として、伯也台パヤタイの女として使命に縛られ生きてきた女性が、やっと普通の女性のように愛し愛される喜びをしったのかな、と妄想しまくりました。

 

朱棣しゅていは28歳となり、高熾こうしは10歳。

高熾こうしが生まれたのは14話でしたから、14話から10年が経過しました。

太子妃の常氏が亡くなるなど悲しいこともありつつ、時間はどんどん進んでいきます。

 

しん王妃が捕らえられたことで、私は伯雅倫海別パヤルンハイベの身を案じています。

 

12話でしん王妃は伯雅倫海別パヤルンハイベ鳳陽ほうようでの演武を見に行くよう頼みました。

伯雅倫海別パヤルンハイベ雄英ゆうえいたちをけしかけ、鳳陽ほうように行きたいと我が儘を言わせました。

自分が保護者としてついていくためです。

 

その後の皇帝と皇后の会話を見るに、2人とも雄英ゆうえいたちが行きたいと騒ぎ出したのは伯雅倫海別パヤルンハイベが けしかけたからだと気付いていました。

 

皇帝はしん王妃のやっていることも伯雅倫海別パヤルンハイベのやっていることも知っている。

だけど、このタイミングでしん王妃を捕らえた。

伯雅倫海別パヤルンハイベは大丈夫でしょうか?

すごく心配です。