永楽帝~大明天下の輝き~ #19 兄弟の情 あらすじ

 

 

 

朱棣しゅてい姚広孝ようこうこうに、国は度を越して緊張しており緩める方法が分からないと相談した。

姚広孝ようこうこう朱棣しゅていの成長を喜び、問題に気付いているなら あと少しで進歩すると話した。

そして皇帝がどんな人物か忘れないよう念を押した。

 

洪武こうぶ15年12月。82歳で新しく戸部こぶ尚書となった徐輝じょきは税の免除を皇帝に求めた。

胡惟庸こいようらは民から余分に搾取し着服していたので朝廷の収入に損失はないが、民は酷く苦しんでいる。

皇帝は承認した。

 

皇帝は呂本りょほんに、若い戸部こぶ尚書を選べなかったのか尋ねた。

前任の徐鐸じょたくは処刑されている。

戸部こぶは多忙を極めるため経験者を登用しなければ混乱すると考えたが、ほとんどの官吏は徐鐸じょたくと関係しており無関係なのは徐輝じょきだけだったと呂本りょほんは説明した。

経験豊富な徐輝じょきならば戸部こぶを仕切り直せると考えてのことだ、と。

 

方考孺ほうこうじゅは棺が欲しいがお金が足りず、店主に跪いて頼んでいた。通りかかった妙雲みょううんは棺のお金を払うと名乗らず去った。

 

太子は朱棣しゅていを呼び出し、空印くういん事案の処罰が厳しいと思ったか問うた。朱棣しゅていは分からないと答えた。

 

何よりも優先されるべきは法であり、法を優先しなければ悪習が増長すると考え自分が決めたことだと太子は話し、怒りや誹謗は自分が受け止め朱棣しゅていを決して非難させないと語った。

 

かつて太子は錦衣衛きんいえいとして確たる証拠もなく官吏を捕縛した朱棣しゅていに 法の重要さを解き、朱棣しゅていは民が苦しんでいるのだから「是正を徹底し臨機応変に対応すべき」と語った。(15話)

太子は自分が間違っていたと朱棣しゅていに詫びた。

 

皇帝の所に李善長りぜんちょうを推挙する奏状が届いた。李善長りぜんちょう淮西わいせい派だが、推挙する者達は淮西わいせい派ではない。李善長りぜんちょうには何か考えがあるのだろうと皇帝は考えた。

 

李善長りぜんちょうに対応するため、皇帝は洪武こうぶ17年に科挙を再開することを決定した。

 

皇帝は鉄鉉てつげんを呼び出し、恩があるのに朱棣しゅていを糾弾した件を問うた。鉄鉉てつげんは糾弾したかったのは朱棣しゅていではなく朝廷の制度である錦衣衛きんいえいだと言って皇帝に諫言を行った。

 

皇帝は鉄鉉てつげんを新設する六科給事中りくかきゅうじちゅう六部りくぶの官吏の過ちを諫め補完し監察する役目)の礼科れいかに入れること決めた。

官位は現在の従五品から従七品に降格すると説明を受けたが、鉄鉉てつげんは喜んで引き受けた。

皇帝はあざなを持たない鉄鉉てつげん鼎石ていせきというあざなを授けた。

 

翌日、皇帝は丞相を廃止し、後代に置いても設置を禁じる詔を出した。

 

李景隆りけいりゅうは、左軍都督府の都督僉事せんじ(正二品)となった。出世である。しかし大都督府の長を父・李文忠りぶんちゅうに任せると言いながら相談もなく大都督府を廃止され不満だった。

 

李文忠りぶんちゅうは、廃止を相談されても拒否できない上同意すれば噂は世に出てそう国公や傅友徳ふゆうとく耿炳文こうへいぶんらに知られることになると話すと、李家を守るために相談しなかったのだと話した。

 

新体制では大都督府が5つに分割されるため、皇帝が親戚と認める李景隆りけいりゅう允恭いんきょうなどに任せることができる。

李文忠りぶんちゅうは、たとえ皇帝が親戚として接しても臣下として接するよう話し、臣下は異国と和親を結ぶべきではないと言って伯雅倫海別パヤルンハイベとの結婚を諦めさせた。

 

君臣関係と親子関係を切り替える難しさを朱棣しゅてい妙雲みょううんに相談した。

妙雲みょううんの提案で朱棣しゅてい姚広孝ようこうこうを招き教えを乞うことにした。

 

皇帝は権力を細分化し1人の人物に権力が集まる機会を奪った。

なぜ今実行したのか。

それは現在人々が不安に包まれているから。

朱棣しゅてい錦衣衛きんいえいに任じ都に留めているのもそのためだ。

皇帝も緊張を緩める方法を捜しているのだと姚広孝ようこうこうは語った。

 

 

 

 

感想

 

17話で、全て胡惟庸こいようのせいだと言って命乞いしていた涂節とせつが処刑されていたことが明らかになりました。

てっきりずる賢く生き延びたと思っていましたが、思い返してみれば前回、李善長りぜんちょうに泣きついたメンツの中に涂節とせつはいませんでした。

 

皇帝から空印くういん事案の処罰について意見を求められた時、朱棣しゅていは法律通りに全員処刑にせず、着服額に応じて判断すればよいと話しました。そうしなければ数万人が死ぬことになるからと。(18話)

 

しかし朱棣しゅていの意見通りにはならず、法律通り2000人近くが処刑され国境での兵役を義務付けられた生存する3代以内の遺族はどんどん死んでいるようです。

 

この決断を下したのは太子でした。

しかし怨嗟の対象となったのは錦衣衛きんいえい朱棣しゅていで、太子はそのことを大きく後悔しているようです。

 

現代的な視点で見れば、太子の言っている”法律を厳守する”という態度が正しいと思ってしまいます。

朱棣しゅていの言うとおりにすれば、法律には死罪と書いてあるのに、ほとんどの人は死罪にならず、法の形骸化、国家の軽視・不信につながります。

 

ただ、こう考える前提として、処罰の根拠となる法律が人々のコンセンサスを得ているものなのか、ということが問題になります。

 

現代であれば法律は国民の代表者が国会で定めますし、憲法がありますから、法律が憲法に反していれば違憲審査を通して法律を是正することもできます。

 

この時代、法律は皇帝が詔という形で出しますし、ドラマを見ている感じその法律はかなり刑罰が厳しそうです。そして錦衣衛きんいえいが手続無視で捜査を行います。

罪と罰が釣り合っていないし、錦衣衛の存在自体あり得ない と現代的な視点では感じてしまいます。

 

まだ現代のような憲法はない時代。

人権思想が最も早く歴史上登場したのは1215年イギリスのマグナ・カルタと言われています。

明は1368年~ということなので、まだ人権思想のようなものは無いのかなと思っていました。

 

けれど、このドラマを見ているとそんなことは全くなくて、人々の心の中には”それぞれの人の憲法”があるんだな、と感じます。

 

今回太子が話題にしていた場面(15話)では、朱棣しゅていは”百官が泣いても民を泣かせてはならぬ”という古人の言葉を引用していました。

朱棣しゅていは民を第一に考え行動しているようです。

 

朱棣しゅていが大切にしているのは”民の人権”のようなものなのかな、と感じています。

官吏が民を苦しめる長い長い歴史があるので、官吏の人権みたいなものは軽く考えている感じがしました。

 

それに対して、太子は適正手続きを大切に思っているように感じます。

15話の場面でも法の手続きを経ず証拠もなく官吏を捕縛する朱棣しゅていを叱っていました。

 

人権も適正手続きも両方大切。

けれど空印事案の事件処理では、処罰の根拠となる法律が苛烈すぎたために適正手続きに則っての処罰が酷い結果を生み出してしまったのだと思います。

 

法律を戒められる憲法の重要さを感じました。

 

こういう歴史を経て、今があるんですね。

このドラマには本当に圧倒されてしまいます。すごすぎる。

 

李善長りぜんちょうが動き出し、皇帝はこれまでにない策を、と 科挙の再開を決定しました。

前回、李善長りぜんちょう徐輝じょき(82歳)が戸部こぶ尚書になったと聞き、皇帝が困っているなら「その原因を取って差し上げねば」と言っていました。

 

なので人員不足で困っている朝廷に自分が戻れば少しは役に立つと思って推挙させた(?)のかなと思ったのですが、皇帝の様子を見るに、李善長りぜんちょうの行動はそういう平和的なものではなさそうです。

また一波乱あるのでしょうか?

 

皇帝は権力を細分化し、1人の人物に権力が集中するのを防ぐよう体制を作り替えました。

丞相を廃すするだけでなく設置を上奏するのも禁止するという徹底っぷりです。

 

これにより、皇帝が本当に信頼している家の者に責任ある役職を任せることができるようになりました。

李景隆りけいりゅう允恭いんきょうも都督僉事せんじを任されました。もっとも、允恭いんきょうは役を重く感じ北平ほくへいに行きたいと思っているようです。

 

李文忠りぶんちゅうの具合が悪そうで心配しています。

あくまで臣下の態度を貫く李文忠りぶんちゅう伯雅倫海別パヤルンハイベとの結婚を認めませんでした。

個人的にはちょっと残念。

 

度を越した緊張する世情をどう緩和させていくのか、見守りたい、と思うのですが、次回のタイトルが「悲運の連鎖」とかなり不穏なのが気になります。