永楽帝~大明天下の輝き~ #20 悲運の連鎖 あらすじ
六科に六部を監察させ、都察院に百官を監察させる。
六科と都察院は牽制し合い、皇帝は文武百官の異変をすぐさま掌握できるようになっている。
六科の給事中も都察院の御史も七品で、以前ならば七品から宰相等に昇進するには途方もない時を要した。
しかし新制度では皇帝の勅命ですぐに要職に就くのことも可能だ。
この制度により、皇帝は天下の英雄を集めようとしているのだと姚広孝は話した。
さらに法が整備されれば、明を害することは誰にも二度とできなくなる。
しかし、それで明は安泰だろうかと姚広孝は朱棣に問いかけた。
雄英は痘瘡になり、皇后の看病もむなしく亡くなった。
皇后も痘瘡になった。
うつるからと、皇后は侍医すら部屋に入れず、皇帝も近寄らせなかった。
痘瘡になったことのある伯雅倫海別は世話係を名乗り出、受け入れられた。
太子は倒れた。
皇帝は、いつも太子が担っている 奏状をチェックする役目を朱棣にやらせた。
皇后は明の安定と人々の安寧を祈ると亡くなった。
朱棣の不手際により雄英が亡くなり皇后も死去したとして、皇帝は錦衣衛の職を解き、北平に就藩するよう命じた。
朱棣は皇后の納棺を終えてすぐ出立することになった。
病床の太子は朱棣を見送りに出た。
洪武18年になり、3月には科挙の合格者が都で会試を受けることになっている。
晋王、周王(5弟)、蜀王(11弟)は応試者に路銀の支援していたが、朱棣はしなかった。
親王は地方の政務に関与してはならぬというのが皇帝の命だからだ。
皇帝は晋王らの行いを知ると、怒った。
路銀は朝廷から支給されるし、親王と交流がある者を採ったとあれば応試者も朝廷も疑いをもたれるからだ。
だからといって採用しなけらば応試者の努力を無駄にすることになる。
今回は太子が諫め穏便に済ませることになった。
太子も妃の常氏も雄英を失った悲しみの中にいた。
感想
皇帝は丞相を廃止し官吏の権力を細分化させただけではなく、互いに監視させ合い情報を皇帝が掌握できるようにしました。
皇帝の勅命で官吏を飛び級昇進させることもできるようになっており、全体的に皇帝の権力強化が図られているようです。
明に盤石な基盤を築くための方策で、さらに法の整備が進めば、大臣も官吏も後宮の者達も「明を害することは二度とできなくなる」、しかしこれで安泰か?と姚広孝は朱棣に問いかけました。
皇帝の権力強化は、皇帝が民を想う賢帝である限り上手く行きます。
問題はそうではない人が皇帝になってしまった時なのかな、と思いました。
前回洪武15年という年号が出てきて、今回科挙が終わり洪武18年になったので、1話からどれくらい時が流れているんだろうと気になりました。
雄英と允炆を見た感じ、2話で初登場の時は5,6歳くらいに見えました。
それに対して今回亡くなった雄英は小学校高学年くらいなのかな、という印象でしたので洪武15年時点で経過したのは1話から5,6年でしょうか?
朱棣が生まれたのは1360年だそうなので、洪武15年(1382年)は22歳、洪武18年(1385年)は25歳です。
…思っていたよりも、めちゃくちゃ若かった!
18話から朱棣は北平に行きたいと考えており、前回太子は朱棣を北平に行かせると約束しましたが、皇帝がうんと言いませんでした。
2000名を処刑し、官吏が集まらなくなったため深く思慮せねばならず朱棣の処遇を決めかねているのだと皇帝は言っていました。
皇帝は朱棣を北平に行かせるタイミングを見ていたのかな、と思いました。
空印事案で民の批判を受けてすぐに朱棣を解任したのでは、皇帝が自分の非を認めたような形になってしまう。
だからといって解任せずにいれば国の緊張は緩和されない。
雄英と皇后がなくなったタイミングで、その責任が朱棣にあるとして錦衣衛の弾劾の権を停止し就藩させることで、国の緊張を緩和させたのかな、と思いました。
雄英と皇后が亡くなったことで皇帝も民の同情を得ていたでしょうし、2人の死の責任を取らせるという形ならば空印事件での非を皇帝が認めたことにもならない。
一番いいタイミングだったのかなと。
皇后が亡くなり、皇帝や徐達の髪に白いものが混じり時の経過が表現されました。
皇后は自分の死期を悟ると、自分が死んだとき侍医が叱られないよう薬を断ち、誰も近づけませんでした。
なくなる時も明と民のことを思って亡くなるという、伝説の英雄のような亡くなり方。
本当にすごい。
妙雲の活躍、期待しています!