団地の中には色々な人達がいた。

ある部屋でピアノを教えている人がいて母につれていかれたことがある。

その部屋(約6畳うちの居間にあたる所)にはグランドピアノが置いてあり、

その大きさとそのピアノから発する音の圧力に驚いた覚えがある。

母は音楽に興味が出ればと思っていたようだが、私には感性が足りなかったのか、

その後音楽に目覚める事は無かった。


又ある部屋にはおばあさんが一人で住んでいた。

そのおばあさんは、一人でいるのと子供好きなこともあり、遊んでいると

よく子供達をかまっていました。

しかし私はそのしわしわの顔や手がなんとなく怖がっていた。

今となっては結構可愛そうなことも言っていたかもしれない。


同じ年の子は、男の子1人・女の子1人がいていつも三人で遊んでいた。

秘密基地は色々な所に三ヶ所ほどあり、メインの秘密基地はちゃんと屋根もあり

こっそりとお菓子やおもちゃを溜め込んでいた。

ある雨の日にあまりの雨の強さに基地から出られなくなり、

暗くなっても3人で基地にいたら団地の人達に大捜索された事があった。

その後秘密基地は取り壊され私達の基地ライフは終わった。







私の住んでいる地域は雪など降らない地域だったが、父が寒い地方の出身だったため

2歳の頃からおんぶされてスキー場に行っていた。

幼稚園の頃にはスキー(ちゃんとビンディングがついた物)を買ってもらった。

しかしみんなと同じ様に滑れなくて泣きながら父親に板を投げたのをよく覚えている。


ところで当時の父親は年間でも休みが十数日だったのによく車で4~5時間もかかるスキー場に

行っていたものだと本当に感心する。今俺が逆の立場だったら同じことができるだろうか・・・

この幼稚園でのもう一つのもう一つの思い出は

給食がまずかったことだ。

それまで好き嫌い無く何でも食べていたらしいがこの給食のせいで

急に嫌いな物ができてしまった。

特に嫌いになったのがトマトだ。

給食でトマトはカットされて1/4が出ていたが、そのドロドロした種や青臭いのがすごい嫌いだった。

しかも給食を残さず食べなければならなかったのでこっそり給食袋に入れて持って帰ってきていた。