こんにちは。

いつも訪問、ありがとうございますニコニコ

 

 

 

 

わたしがこのブログでよく言っている、

「感じること」とは。

 

 

今日は、ピアノを演奏することを例にして、

お話してみたいと思います。

 

 

楽器の演奏をしたことのある人ならわかるかもしれませんが、

楽器は「頭」で弾くのではない、

というのを体感したことありますでしょうか??

 

 

感覚で・・・という表現もありますし、

身体で覚える、という表現もあります。

 

 

頭では理論として、ピアノを演奏する際に

身体のどの部分を使って弾くか、

どの部分に意識する、そしてここは脱力するなど、

頭で理解することをレッスンなどで基礎として学びます。

 

 

でも、実際に弾ける弾けないに関わってくる大切なことは、

「技術の習得」であって、

これは楽器の演奏に関しては、

「頭」ですることではありません。

 

 

この、「習得」というのが、

「身体で体得する」という意味となり、

まさに、「身体で覚える」ことに他ならないのです。

 

 

「身体で覚える」と言葉では簡単ですが、

そこには、五感で感じられるありとあらゆることを

身体に染み込ませる作業になります。

 

 

鍵盤を打鍵した時の指の力(強さ、弱さの感覚)、

音が出た時の音色の聴こえ方(柔らかい音、硬い音)

打鍵の仕方によって変わる音の響き、

鍵盤をタッチする指の触感、

次の音を打鍵する際の運指の方法などなど・・・。

 

 

あげたらきりがないのですが、

こういった感覚を駆使して、

わたしたちはピアノを演奏するわけです。

 

 

ほとんど、五感(感覚)に依るところですね。

 

 

頭(脳)でやることは、

指使いの司令を出すことや、

音楽を表現する上での緩急をつけること、

音を正確に打鍵することなど、

おもに表面的なことをやる時に頭を使っています。

 

 

でも9割は、

感覚なのではないかと思うくらい、

ピアノは、「身体」で演奏する、

と言っても過言ではないほど、

脳の範疇を超えた技術なんだと感じています。

 

 

それと、「いまに在る」感覚とは、

とても似ている、と

わたしは感じています。

 

 

冬の冷たい風を感じる、

春の温かい風を感じる、

寒い時に温かいスープを飲んだ時の「あったまる感じ」、

真夏に冷たいタオルに触れた時の感じ、

眠るときにあったかい布団にくるまれた時の感じ、などなど・・・。

 

 

日常生活のありとあらゆる場面で、

五感を感じることは、

「いまに在る」を体感していることそのものなんだと思います。

 

 

これを、味わっていこう。

 

 

 

 

 

ただ、味わうだけ。

 

 

そこに、判断や考え、

ジャッジメントはいりません。

 

 

個人的な考えは、

脳からもたらされるもので、

いい、悪いを伴ったものになります。

 

 

ピアノの演奏も、

より良いものにするために、

五感を感じた際の、

判断は勝手に出てきてしまいますが、

(あ、今ミスした!!とか、思うようにならない時のイライラとか)

弾いているうちにどこかに消えていくんです、

わたしの場合・・・。

 

 

ミスしても、思うようにならなくても、

その時の一瞬の判断は仕方ない、

でもさーっと流してしまおうむらさき音符

 

 

こうやって、練習していると、

だんだんと判断やジャッジしていても、

流れていくから、「まぁいっか」と

スルーできるようになっていきます。

 

 

日常生活のいろんなジャッジや判断の場面で出くわしても、

(自分に対しても相手に対しても)

すぐにどっかに消えるからそのままにしておこう、と思うと、

それが「いまに在る」状態そのものなので、

その考えがすーーっと消えていきます。

 

 

わたしたちは、「諸行無常」の世界を生きているのだから、

ずーーっと同じではありません。

 

 

いつか、それは消えていきます。

 

 

 

例えば、

結婚したというお知らせを聞いたり、

実際に幸せそうに手をつないでいるカップルを見ても、

こういった感情すらも一時的・・・だということに気づいていくのです。

 

 

これは、「こんな幸せは今だけでしょ・・・」みたいに、

羨望や嫉妬のようなエネルギーで見るという意味ではありません。

 

 

わたしたちは、外側の誰かや何かと結ばれていなくても、

ちゃんと自分の中に「幸せの種」を持っているのです。

 

 

この世で「感じる」ことは、

すべて一時的である。

 

 

そしてわたしたちは、

その「感じる」ことを超越したものを持っている。

 

 

 

ただ、「感じる」。

 

 

これで、オッケーOK

 

 

五感に敏感になると、

この世のあらゆることに気づいていくようになります。

 

 

そして、

「自分自身」にも気づくようになっていきます。

 

 

ほんとうに「いまに在る」には、

それを超えていかなくてはいけない。

 

 

そのプロセスのなかに、

「感じる」ことがあるのです。

 

 

ブルース・リーの映画「燃えよドラゴン」の中の有名なセリフ。

 

 

「考えるな、感じろ」とは、

 

 

そういうことです。

 

 

これが本当に体得できたら、

今まで手をつけなかったことでも、

苦手だったものでも、

何でもできるようになるのではないでしょうか??

 

 

 

 

 

そして、究極的にわたしたちが

人間として生を受けたのは、

これが目的なのではないかと思います上矢印

 

 

だって、肉体(身体)があるのだから・・・ハート

 

 

 

今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませハートキラキラルンルン