こんにちは。
いつも訪問、ありがとうございます
エックハルト・トール著の本
「さとりをひらくと
人生はシンプルで楽になる」
をアメンバー限定記事で
わたしなりに解説しています。
(現在アメンバーの募集はしておりません)
現在、解説記事は80回を超えています。
そのうちの第1回〜40回までを
一般公開にしています。
(加筆修正をしてあらためてアップしています)
今日は、
「退屈」という感情について。
「ほんとうの自分」、
「大いなる存在」を知りたいと、
探求するわたしたちは、
”何もしなくても価値100%の存在”
なんて言葉を耳にしたり、
今、思うような結果が出ていなくても
「これでいいんだ」と
割り切るような考えを持つことで、
なんとなく、「退屈」な感情が
出てくることがあります。
みなさんにも、
経験があるかもしれません。
「ほんとうの自分」、
「ハイヤーセルフ」、
「大いなる存在」は、
行動とは無関係に価値100%なんです。
こんな風に、
頭で理解したら、
「じゃ、毎日好きなことだけして、
楽して生きていていいんだよね」って、
好きなことばかりして
生きていくことに、
抵抗感がなくなります。
そして、その後、
「なんか退屈・・・」という
負の感情が出てきて、
価値100%のはずなのに、
「退屈なわたしはダメだ」、
「何もしていない私はダメだ」という
ジャッジメントを自分に
してしまうことがあるのです。
「退屈」になるのも、
”エゴ”の得意技のひとつ。
”エゴ”は、
何かしていないと価値がない、と
思っているので、
何もしていない私でも価値100%だって、
頭で理解しようとしても、
「退屈」という感情が
出てくるのは当然です。
私も、1年くらい前まで
この感情がよく出てきました。
好きなことだけをしていても、
何もしなくても、
わたしの価値は100%
でも”エゴ”は、
意味がわかりません。
起きている時間を有効に、
すきま時間には、SNSの更新、
ちょっとした片づけなど片手間にできること、
ぼーっとする時間を与えてくれないのも、
エゴの得意技なのです。
そし、ヘトヘトに疲れ果てても、
「もっと頑張らなきゃわたしには価値がない」と
言ってきます。
「退屈」にさせてくれないのもエゴ。
「退屈」になったらなったで、
”もっとしっかりやりなさいよ”と
言ってくるのが、エゴ。
でも、「エゴ」の特性を理解すれば、
”あ、これは「ほんとうの自分」の声ではないんだ、
と気づくことができます。
子供の頃、
「ちゃんとしなさい」とか、
「真面目にやりなさい」とか、
たくさん言われてきた人ほど、
この傾向が強いのです。
昔、親や周りの大人たちに
言われてきた言葉が、
今は自分の言葉になってしまった状態。
擦り込まれてしまったのです。
それも、自分がその言葉たちを
”そうだよね”と納得して、
受け入れてしまったということも
理解する必要があります。
誰かのせいじゃない。
最終的に、
自分が受け入れたからです。
でも、
自分が受け入れたなら、
自分で手放すこともできます。
「それは、わたしの考えじゃない」
というふうに。
そもそも、
「ほんとうの自分」、
「ハイヤーセルフ」、
「大いなる存在」は、
”退屈”なんて感情を持たない存在。
価値100%の存在だと、
認められないわたしを
突き動かしてくれる存在が”エゴ”なので、
「はいはい、わかりました」と
言って、エゴを落ち着かせることも
できるのです。
なーんにもしなくても、
価値100%だから。
でも、
一生という限られた時間をくれた
〈わたし〉という人生の旅を
何もしないで終わるのは、
もったいないと思うので、
好きなこと、
やりたかったけど諦めてきたこと、を
やってみましょう。
この、”ひきこもる”時間をくれた
現在の状況は、
何かわたしたちを
変えるための贈り物なのかもしれません。
人との距離を感じる現状を
与えてくれたのは、
自分自身との時間を与えてくれている、
と考えると、
「ほんとうの自分」との絆を
深める絶好の機会ともいえるのです。
外飲みしかしなかった人にとって、
いまの現状はとてもツライ。
ひとりで飲んでも、
空いている飲食店があまりない。
仕事帰りに
誰かと一杯飲んで帰るなんて、
いまはなかなかできないかもしれません。
うち飲みでも、
ひとり飲みでも、
なにか、自分を変えてくれるできごとだと
視点を変えたら、
帰りにコンビニで缶ビールと
ちょっとしたおつまみを買って、
自宅でゆったりと飲むこともできるのです。
もしかしたら、
家族との向き合い方を
問われているのかもしれない。
今まで、
家に居場所がなく、
休日などすぐに出かけてしまう人。
自宅で家族とゆっくり語らい合うこと、
あまり会話のなかった夫婦の絆を深めること、
子供の話を聞くこと、など、
真剣に向き合ってこなかったこと、
あるのではないでしょうか。
それは、家族という人を使った、
自分自身との向き合い方を学ぶ、
ということなのではないでしょうか。
わたしのこのブログは、
そんな人間関係についても
書いています
すべては、
自分自身。
他人は、
自分の中にあるものの投影です。
今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ