こんにちは。
いつも訪問、ありがとうございます![]()
今日のタイトルは、
お寺の僧侶の方々に怒られるかもしれません、笑
私の母方の祖父は、
高野山の修行僧でした。
自分に厳しく(ということは、他人にも厳しい・・・
)、
曲がったことがゆるせないタイプのようでした。
(私が生まれた時にはすでに他界していましたので、聞いた話です)
子供である私の母親にも、
厳しくて、母は父親に近づくと怒られるから近寄らなかったと言っていました。
(そんなに怖いのか・・・おじいさん
)
でも、祖母にはすごーく優しかったそうです・・・。
(なんのこっちゃ
)
ずいぶんと自分自身を律して生きていたんだと思います。
それも、”いい”・”悪い”ではなくて、
自分を律して、罰して、縛って(意識でね)生きていると、
他人に対しても同じ思いを持っています。
よく、あの人は他人に厳しいけど自分に甘いよね、って
言葉を聞きますが、そんなことはありません。
自分に甘いように見えて、
実は、ご自分のことにも厳しい人です。
(言葉では何とでも言える、
でも本心は別ということが多い)
わたしたちが幸せや平和、至福の存在を感じるためには、
自分も他人もゆるすことが大切になります。
だから、自分を狭い価値観に押し込んで、
あれはしてはいけない、これはしてはいけない、と
自分を律するのではなく、
してはいけないと思っている自分の価値観は何なのか![]()
ということを知っていくことで、
自分を知ることができます。
それをお寺の僧侶の方々は、
座禅や阿字観のような『行』を行うことで、
自分自身と対話しているのです。
答えは自分の中にしかない。
それがわからなければ、
どれだけ内観しても、
外側に答えを求めていくことになる。
外に答えを求める、というのは、
”価値観”の枠にあてはめる、ということ。
自分を狭い狭い、”価値観”という枠にはめても、
自分が苦しいだけ。
究極のところ、
自分自身が幸せを感じるには、
”自由”でなければいけません。
『内観』は、お寺に籠もらなくてもできる。
いま、ここ、
自宅でできます![]()
わたし自身の話ですが、
日常生活の細かい場面で、
自分の気持ちに細かく細かく向き合っています。
例えば・・・、
車で移動中、
ナビにiphoneをつないで音楽を聴いているのですが、
「今、聴きたい音楽は何
」って
自問します。
そして、その答えで出てきた音楽を聴いているのですが、
ふと信号待ちで・・・、
「あっ
違うな・・・」と思ったら、
別の音楽に替える。
これを繰り返しています。
(飽きっぽいヤツや、と思えばそれでいいです。
でも、好きな音楽は一貫して変わりません
)
「いま、この瞬間」の自分の気持ちにいつもいつも向き合っていると、
ちょっとした”違和感”をすぐにキャッチすることができます。
”あっ、なんか違う・・・”
だから、人と会っていたり、
仕事で時間が決まっていたりするときは、
この違和感を感じていながらも、
切り替えられない時があり、
モヤモヤをためてしまうこともあります。
でも、ひとりになったらすぐに、
その違和感を解消する方法を考える。
だから、ひとりになる時間って、
ほんとうに大切なんです。
ひとりの時間って、
”さみしいなー”とか、
”あの人、今なにしているかなー”とか
気になったりするけど、
内観している人は、
人のことをかまっている時間はありません、笑。
いい意味で、
自分のエネルギーをチャージし、
その後の自分の状態をいつもパワフルにしておくことができるのです。
そうしたら、その後誰と会っても、
また仕事に戻っても、
パワフル復活
というわけなのです。
いつもいつも、
自分に自問してくださいませ。
それは本心![]()
本心じゃなかったら、どんな価値観でみているの![]()
今、何したい
どう感じてる![]()
時には、出て来る答えが自分にとって、
認めたくないものだとしても、
それを抱えている自分自身に敬意を持ってくださいね。
今すぐ、手放さなきゃいけないわけでもないし。
ゆっくりじっくりでいいしね![]()
いらない、お荷物をおろしていこう![]()
かるーく、ゆるーくね![]()
今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ![]()
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